第12話 失ってはならないもの
真っ白に染まり切った六本木の街並み。そこに二人の神の従者が佇んでいた。一人は希望の従者、一人は慈愛の従者。
彼らの足元には、半透明になって意識を失った、湊、リアム、そしてオリビアが横たわっていた。希望の従者が湊に視線を向けたかと思うと、彼の姿が透明に染まり、次の瞬間、光の玉へと変化した。その光の玉は、運命に導かれるように空の彼方に飛んでいってしまう。これで、彼の魂は終の世界の湊に融合されることになるのだろう。
そして、それに呼応するように、リアムとオリビアの姿も光の玉に変化し、どこかに飛びだって行ってしまう。そう、湊の魂が消えれば、その世界の全ては失われるのだ。
慈愛の従者にとって、この光景は心を傷めるものであった。神の意思とはいえ、せっかく、生き残った者がいるというのに、それを救うことができない。こんな光景を見せられるのであれば、破壊の従者に頼み、この場所に移動してもらうべきではなかった。
静寂が広がる中、慈愛の従者は視線を感じた。その方向に目を向けると、希望の従者が黙ったまま、彼女を見つめていた。一時の沈黙が二人を取り巻いた。
「・・・さっきの発言はどう言うことだ?」
希望の従者の言葉は機械音声ながらも重みがあるものだった。慈愛の従者は思わず唾を飲み込んだが、ここで引き下がるつもりはなかった。
「並行世界を消したくないの・・・」
慈愛の従者の言葉を受けて、希望の従者は六本木の街に指を向ける。
「見てみろ、これがまともな世界に思えるか? 並行世界の影響が・・・。これだ」
慈愛の従者が周囲を見渡した。真っ白で時間が停滞したようなこの世界は、決して正常とはいえない。これが、並行世界を生んだことによる惨事であるならば、それを正すための魂の戦いは必要なのだろう。
「でも、神様は魂の戦いをしたがっているの? だって、わたしがお聞きした時は・・・」
「お会いすることは禁じたはずだ。魂の戦いを神は望んでおられる。私にはそう言われている」
希望の従者の言葉に、慈愛の従者は返答できなくなる。それが神の御意志であるならば、彼女がそれに逆らうことは許されない。慈愛の従者が頭を垂れる中、希望の従者は彼女の肩を静かに見つめた。
「・・・やはり、お前が世迷いごとを言うのは、それが原因かもな」
希望の従者は微笑しながら彼女の肩方向に手を伸ばし、背負っているトートバッグの紐を引っ張る。すると、あっという間に、バッグの持ち主は慈愛の従者から希望の従者へと変わってしまう。
希望の従者がバッグの中に手を入れると、白い兎のぬいぐるみが取り出される。彼はぬいぐるみの耳を握りながら、兎のぬいぐるみに視線を落とす。その光景を目の当たりにした慈愛の従者の胸は大きな高鳴りを見せた。
「か、返して!」
慈愛の従者は焦燥した表情で、希望の従者の胸に手を当てる。そのぬいぐるみは彼女にとって、何よりも大切なものであった。希望の従者がそれに対して不満を抱いていることは感じていたが、力づくで、取り上げてくるとは想像していなかった。
「こういう物を持っているから、愚かな考えを持つのだ」
希望の従者はそう言うと慈愛の従者の肩を手で押す。彼女はふらつきながら後ろへと進み、ついには臀部を地面に打ちつけてしまう。
希望の従者は腕を天に向けて持ち上げ、兎のぬいぐるみを力強く下に叩きつけようとする。
慈愛の従者は思わず顔を背ける。
しかし、破滅的な音は、いつまでも彼女の耳には届かなかった。彼女が再び希望の従者の方を見ると、半透明の手が彼の腕を掴んでいた。その手の主である破壊の従者の身体は徐々に鮮明な色合いを取り戻していった。
「・・・それはダメだ」
破壊の従者は希望の従者の手から兎のぬいぐるみを取り上げ、それを片手で抱える。そして、座り込んでいる慈愛の従者の元へと歩み寄り、そのぬいぐるみを優しく彼女に差し出した。慈愛の従者は涙ぐむ目で感謝を述べながら、それを受け取った。
「大切なもんは無くさないようにな」
破壊の従者の声は機械的でありながらも、温かさを感じさせた。慈愛の従者は再び感謝の言葉を述べた後、兎のぬいぐるみをしっかりと両手で抱きしめた。二度と失わないと誓うかのように。
その時、希望の従者がフード越しに破壊の従者を鋭く睨んでいた。それに対して、破壊の従者も譲らずに強い視線を返す。
「人には譲れないもの、忘れられないものがあんだよ。お前にもあんだろ?」
「私にそんなものはない。神の仰せのままに行動するだけだ」
「なら、今すぐに思い出せよ。失ったもんをよ」
しばらく、険悪な空気が立ち込めたが、希望の従者が鼻で笑う。
「ふっ、まあいいさ。私は来週のことで頭が一杯なんだ」
「来週のこと?」
「来週の一つの魂の戦いに神が参加するのだ」
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