世界を抜けるまで、君と二人で

たると

世界を抜けるまで、君と二人で

 あー、だの、うー、だの、鈍い耳障りな呻きが校舎を取り囲んでいる。


 田中のひらひら揺れる紺色のスカートと、黒いしっぽみたいに細くて長い二本の三つ編みから目をそらした俺は、割れた窓から外を覗いた。

 思った通りというか、考えるまでもなく当然というか、かつては陸上部や野球部が走り回っていたグラウンドに、ゾンビがあふれかえっている。

 その肌が爛れていることに目をつむれば、体育祭のような賑やかさだ。


 三日くらい前にはもう少し生き残りがいたのに。

 ゾンビの群れの中にクラスメイトの顔を見つける。確かあれはこの前発狂して外に飛び出していった田中の友達だ。あいつが開けていったドアを閉めるのにも、もう手遅れだってのに助けに行こうとする田中を止めるのにも苦労した。

 仮にもクラスメイトがゾンビになってしまったというのに俺の頭に浮かぶのはそんなことばかり。


 自分の薄情さにもグラウンドの光景にもうんざりしてため息をつく。

 壁にもたれなおし、少し浮かせていた尻を埃っぽい床に落ち着けた。

 振り返った田中が不満そうに唇を尖らせる。


「ねぇ加藤くん、加藤くんも手伝ってよ」

「うるさいな、そんなことしてなんの意味があるんだよ」


 野暮ったいメガネの奥の目を見るのが嫌で、俺はそっぽを向いた。

 ますますむうっと膨れながらも田中は作業の手を止めない。

 ゾンビの呻き声と同じくらい耳障りな悲鳴を、田中に引きずられた机があげる。

 思い切り顔を歪め、俺は耳をふさいだ。


「おい、それわざとだろ」

「なんのこと?」


 田中はをきって、またガガガガ、と不快で大きな音を立てる。

 あぁクソッ。俺が手伝うまでずっとこうするつもりかよ!

 田中の思惑にハマるのは癪だが、こんな音をずっと聞かせられるよりはいい。


 廊下を塞ぐように並べられた机の上にさらにもう一列机を足そうとする田中の手から机を奪い取る。

 どかりと乱暴に置くと、土台にされた机が非難するように床と擦れた。

 俺の突然の行動に目を丸くしていた田中が、にっこり笑う。


「ありがとう、加藤くん」

「こんなもん作ってどうするんだよ」

「バリケードにするの。こう、机並べて」

「んなこと分かってるよ。俺が言いたいのは、バリケードなんか意味ねぇだろってこと」

「意味ないことないよ。ゾンビがこっち来れなくなるでしょ。もし乗り越えられたとしても逃げる時間くらいは稼げるし」


 田中は腰に両手を当てると、投げやりな俺の言葉に大真面目に答えた。

 メガネの奥の目はまっすぐで、こんな世界でも彼女が希望を失っていないことをはっきりと感じさせる。

 無性に苛ついて、俺は舌を打った。


「逃げてどうすんだよ、どこに逃げんだよ。学校だけじゃなくてこの町中ゾンビまみれだろうが。まさか走って町から逃げだそうってか? それまでにゾンビに噛まれて終わりだ。どうせ俺もお前ももうすぐ死ぬよ」

「加藤くん、なんでそんなに後ろ向きなの? やってみなくちゃ分かんないじゃない」

「お前こそ、なんでそんなに前向きなんだ? やってみなくても分かるだろうが」


 額を突き合せて睨み合う。

 しかしすぐに馬鹿らしくなって顔をそむけた。

 どうせ何を言ってもこいつはバリケードを作ろうとするのだろうし、手伝わなければあの嫌な音を聞かされ続けるのだろう。

 それくらいならさっさと終わらせてしまったほうがマシだ。

 教室から机を運んでくる。

 むすっとふくれていた田中がきょとんと首をかしげた。


「加藤くん? 手伝ってくれるの?」

「お前のことだから教室の机全部使って作るんだろ。その間ずっとガリガリガリガリ聞かされるよりはいい」


 田中の顔がパッとほころぶ。

 なんとなくその笑顔にむずがゆさを感じて、俺は乱雑に机を積み上げた。


 そこからは協力作業だった。

 俺が机の上にのぼって、田中が差し出してくる追加を受け取り、崩れないように積んでいく。

 教科書や横にかけられていた荷物などは全て捨てていたが、それでも机を高く持ち上げるのはなかなか辛かった。


 田中が話しかけてくるのに適当に答えてやりながら作業を進める。

 三十分程度かかって、ようやく教室が空になった。

 積み上げた机を崩さないように気を払いながら下りる。

 歪なバリケードを見上げて、田中が満足そうな吐息をついた。


「よし、できた! お疲れ加藤くん」

「はいはいお疲れ」


 腕にのしかかってくる気だるさを振り払うように肩を回す。

 田中はにこにこと機嫌良く俺を見ていた。

 居心地が悪くて目を細める。


「……なに」

「ううん。加藤くんって色々やる気なさそうだけど、なんだかんだ優しいよね」

「はぁ?」


 思わず声がひっくり返った。意にも介さず田中はにこにこし続けている。

 ひらりとスカートを揺らして窓辺に駆け寄る。そこは俺が数十分前に外を眺めてうんざりした場所だった。


「ちょっ、田中!」


 つい手を伸ばして引き止めそうになる。変わり果てたあいつの友達がまだ見えるかもしれない。

 俺の焦りをよそに、田中が窓から身を乗り出した。落ちてしまいそうな危うさはないものの、ゾンビに気づかれそうで肝が冷える。


「ほら、あの子が外に飛び出てっちゃったとき、私のこと止めてくれたじゃない」

「そりゃ、目の前で死なれたら寝覚め悪いし。ていうか、お前、そこは」

「それだけじゃないよ、文化祭のときだってかなり遅くまで残って黙々と作業してたし……それにさ」


 田中が肩越しに振り返った。風が細い三つ編みを揺らす。

 ぎゅう、と胸が締め付けられるような、心臓が跳ねるような、ふいに走ったそんな感覚が不愉快だった。


「今だって意味ないなんて言いながら手伝ってくれた。さっき私を呼んだのは、あの子がここから見えるからでしょう?」

「……」


 見透かしたようなことを言われ、俺は眉をひそめる。

 花のように笑った田中が可愛らしく小首を傾げた。


「加藤くんは無理だって言うけどさ。私は優しい加藤くんと一緒なら生き延びられるって信じてるよ」


 だから、加藤くんも諦めないで。

 希望と光にまみれた言葉に、俺は小さく口を開いた。

 何かを言いたくて、でも何を言いたいのか自分でも分からなくて、結局閉じてしまう。


 決まり悪くて目をそらすと、田中がくすくす笑う声が聞こえた。

 それを塗りつぶすように、鈍い呻き声が響く。

 背筋がゾッと冷えて、廊下に飛び出る。

 何人分もの爛れた肌が見えた。


「っ、ゾンビ……! くそ、なんでここまで入ってきてんだよ」


 もうすぐ死ぬ、なんて諦めたようなことを言っていた割に、俺のうちからこみ上げてきたのは陳腐な焦燥だった。

 同じように教室から出てきた田中が口を覆う。

 驚愕に動けずにいる間にも、ゾンビたちはゆらゆらと近づいてくる。


 どこから入ってきたのだろうか。下足の扉がぶち破られたのか? あぁ、本当に死ぬのか俺。

 目の前の光景から現実味が薄れていくのが分かる。

 指先から体温が抜けていく。

 絶望に座り込みそうになったとき、小さな手が俺の手首を握った。


「加藤くんっ! なにボーッとしてるの! 逃げるよっ」


 言うが早いか、田中は俺の手を引いて走り出す。

 緊迫した場面のはずなのに、ぽんぽんと跳ねる三つ編みがやけにコミカルだった。

 とっさの判断を下すこともできなかった情けない俺の口を、また情けない言葉がついて出る。


「待てよ、どこ行くんだよっ。どこ行ったって同じだろ!? 逃げても無駄だって……ッ」

「あいつらの仲間になりたいの!? いつ死んじゃうのかビクビクしながらゾンビまみれの町を走るより、ゾンビに噛まれた方がいいって言うの!?」

「そういうわけじゃ、」

「なら逃げなきゃ! やってみなきゃ……初めてみなきゃなんにも分かんないよ!」


 田中の力強い声に、びくりと肩が震えた。

 内容は対して変わらないのに、数十分前に投げられた言葉より簡単に受け入れられた。

 駆ける足に力がこもる。


 階段を駆け下りる最中、物が盛大に崩れる音がした。

 結局、ド素人の作ったバリケードは五分と持たなかったようだ。だが、田中が言っていたとおり逃げる時間を稼ぐ役目は果たしてくれた。

 俺の前を行く田中を追い抜かし、今度は俺が彼女を引っ張る。


「加藤くん」

「俺も、お前がいるなら生き延びられる気ぃしてきた! ──田中、逃げるぞ!」

「、うん!」


 裏口の扉をこじ開けて外に飛び出る。

 うじゃうじゃいるゾンビどもがゆらりと俺たちの方を見た。

 呼吸を整え、田中の小さな手を握り直す。同じだけの力で握り返された。

 ちらりと横目に互いを見合って頷き合う。

 徐々に、しかし確かに近づいてくるゾンビどもを突っ切るように、俺たちは駆けだした。

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