第45話 ご挨拶だ、婚約者殿!


 未だ、夜は明けない。

 長い夜だ。いい加減に疲労も溜まってきた。


 そのせいか、あたしはあと一歩を踏み出すことができずにいた。


「ここ、めちゃくちゃ嫌な声しか聴こえないんだが」

「薄皮一枚向こう側から?」

「あぁ」


 そこは、鶴御門家の奥にある大きな蔵の前だった。

 やっぱり趣深いといえば聞こえはいいが、この屋敷内でも特に古そうな建物である。


 そこからウゴウゴと聴こえてくる怨念は、とても言語化できないほど、どんよりとあたしの全身を身震いさせる。


 両腕をさするあたしが首を縦に振れば、シキは「そりゃそうだろうな」苦笑した。


「お前はここで待ってるか?」

「絶対に嫌だ!」

「なら、腹を括れ。泥棒が大好きな宝物庫だぜ?」


 そして、シキは平然とその錠前に手をかけた。


「正確に言えば、聖堂って呼んでいるんだけどな。歴史ある陰陽師家に古くから伝わる伝説の秘宝が鎮座されている」

「絶対にそれ呪われてるって」

「だから、虎丸の坊ちゃんがそう言ってただろ」


 この渦巻く声が聞こえないからこそ、こうして平然としてられるのだろう。

 当主よろしく鍵をあけるシキは、いつになく威勢がよかった。


「ほーれ、ご挨拶だ。俺の婚約者殿っ!」


 蔵の扉が、勢いよく開かれる。

 その奥は、暗くて見えないけれど、すぐにシキが携帯電灯で照らしてくれた。


 その光の筋の先には、一枚の鏡が丁重に鎮座されていた。

 鏡といっても、石鏡か。光を跳ね返したりしない。

 代わりに、禍々しい怨念を放っているのが、その石の円盤であることはすぐにわかった。


「あれがこの日本に伝わる三種の神器の一つ、八咫やたの鏡――大昔の神話から伝わる秘宝の一つで、代々これを所有する者が日本の頂点に立つと言われてきた代物だ」


 三種の神器……他にも剣とか勾玉まがたまがあるんだったか。

 いきなり出てきた伝説上の宝に、あたしは色々な意味で固唾を呑む。


「それが、どうして鶴御門家に?」

「あやかしが強い想いに宿るって話は今更だろ? 陰陽師が管理していたっておかしくあるまい」


 薄皮一枚を飛び越えてくる声なんて、彼には届かないから。

 シキはいつになく頼もしく、いつになく横暴に歩を進める。


「神器なんて崇められて、多くの権力者たちから奪い合われてきたものに宿らないなんて道理はない。そんな呪われたモノを元老なんて崇めているこんな家、とっとと潰れちまえばいいんだ」

「なら、この鏡自体が――」

「そう、下等な人間どもを管理してくださっているつもり・・・の元老様の正体ってわけだ」


 シキが鏡に素手で触れようとしたとき、はっきりとその声が聞こえた。


(左様――我こそが日本国を統べる支配者であり、真の統治者である! その我の意志に反するとはなんたる逆賊! いくら我が後継とはいえ、これ以上看過はできぬ!)


 そんな怒号が一切聞こえていないだろうシキはあっさりしたものである。


「今あやかしジジイはなんて言ってる?」

「なんか偉そうなことを言ってるな」


 だから、あたしも腹を括ってやる。

 しょせんは薄皮一枚向こう側の存在を鼻で笑ってみせれば、シキも「ハッ」と嘲笑した。


「か弱い女の子にしかイキれない老害が、いつまでも出しゃばってんじゃねーよ!」

(この小童こわっぱめっ!)


 シキの持った八咫鏡から緑を帯びた光がとぐろを巻く。

 シキの手を跳ね除けるよに飛び出しても、その場で浮いている鏡はまさに怨霊。


 その摩訶不思議な鏡に対して、一歩飛びのいたシキが威勢よく構える。


「来いよ! 今日こそやってやらァ!」


 いや、こいつ。ここまで来て力技かよっ‼

 あやかしたちの術技争いになってしまえば、さすがのあたしも出る幕はない。


 シキの足を引っ張らないように、一歩下がって……て、それでいいのか?


 ビリビリ、バチバチと。

 普通の人間には手も足も出ないような天外魔境な光や風圧に、あたしは吹き飛ばされないように踏ん張るしかない、が。


 そんな派手なドンパチに、蔵が長時間耐えられるはずがない。

 大事そうな柱に、大きなひびが入る。


 ……ったく、喧嘩も場所を選べっていうんだ!


「シキ!」


 次の瞬間には柱が折れて、崩れている天井からシキを守ろうと身を挺して飛び込む。


 そんなときだった。


(あぁ、本当に約束を叶えてくれるのね)


 あたしが首にかけっぱなしだったルビーが、まばゆく光る。

 ルビーから放たれた赤い焔が、瓦礫も、鏡からの攻撃も、すべてを燃やし尽くして。


「この……声は……」


 その赤い女性の声は、シキにも届いたのだろう。

 長い炎の髪をなびかせて、


(矮小な雑魚が、そこをどけ!)

(たとえこの身が焼け滅びようと、息子のためなら一歩も退きはせぬ!)


 たとえ、ルビーにヒビが入ろうとも。

 たとえ、息子の「おかあさん」と呼ぶ声に気付いてなかろうとも。


 その一人の女性は、たしかに一歩も怯むことなく、鏡からの攻撃を防ぎ続けていて。


「ったく、どいつもこいつも……」


 そっとあたしの肩に手を置いたシキが、ゆっくりと立ち上がる。


「年増は大人しく天国で茶でも啜ってろっていうんだ」


 相変わらず、シキの口は悪いながらも、とても優しい顔をしていた。


 炎と雷が交差する中、シキはしっかりとした足取りで歩を進める。

 そして、手が火傷するにも関わらず、その石鏡を思いっきり掴んだ。


「よォーし、捕まえたぞ。クソじじい」


 とうとう元老という神に近いという存在も、しょせんはジジイ扱いらしい。

 シキは容赦なく伝説の神器に唾を飛ばして、思いっきり地面にたたきつける。


(ぐがっ!)

「このまま割られたくなかったら、俺の捕縛命令を解きやがれ!」

(この小童が! 神に一番近い我を愚弄するとは――)

「あぁん?」


 そして、躊躇いなく鏡を踵で踏みつけては、ジリジリと体重をかけていって。

 八咫の鏡相手に極道のごとく凄むシキに、あたしは半眼を向ける。


 ……やっぱり、シキは悪いやつなのかもしれない。

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