第44話 この減らず口が


「逃げ道は確保してあるのか?」

「気合と根性だな!」

「おい」


 シキから冷たい視線を向けられるが、こちらとて準備期間ほぼゼロの強硬綱渡りでここまで来たのだ。けっこう頑張ったと褒めてもらいたいくらいである。


 そんな自画自賛はさておいても、シキの不安ももちろんなわけで。

 帝都の真ん中にある警察署が、当然設備や警備が杜撰はわけはない。


 ここまで無事にシキを連れ出すのに成功したのも、ひとえにタイチのおかげである。


 ……でも、本当にそれだけか?

 思えば、留置所内に警備がひとりもいなかった。

 ただその入り口に、日本でトップクラスの男が待ち構えていたわけだけど。


「本当、どうしようかね……」


 出入口がひとつしかない以上、出る時にも遭遇するのは必然だ。

 そう――未だ中庭で剣戟を続けている虎丸親子である。


 その息子兼現在は味方のタイチが出てきたあたしたちに気が付く。


「可憐なユリエ殿を歩かせるとは、男の風上にも置けないな! 鶴御門シキ‼」

「抱えたら抱えたらで、どうせ文句を言うだろう、お前は」


 タイチがどうこう言う前に、あたしは引っ掻いてやるところではあるが。

 だけど、タイチの気を逸らしてはならなかった。


「余所見とは舐められたものだな」


 長官の足がタイチの腹部にのめり込む。その勢いのままに吹き飛ばされ、タイチが芝生の上に転がった。口から吐きだしているのは、血か、それとも他のものか。暗がりじゃ確認できないけれど。


「タイチ⁉」


 あたしが慌てて駆け寄ろうとするも、シキに肩を引かれてしまう。


 こいつは、また‼

 だけど、その間に長官がタイチの背中を強く踏みつけていた。


「私をわずかばかり出し抜いたとはいえ、このまま逃がすとでも?」


 その視線の先は、すでにあたしたちのほう。

 ……やっぱり、こいつを倒さないことにはどうにも……。


 と、あたしが奥歯を噛み締めたときだった。

 ずっとだんまりだと思っていたシキが、ブツブツと何かを呟いている。


「お前たちは本当にいいのか。たとえ私がここで逃がしても、御上に目を付けられて、本当に逃げられるわけが――」


 そのブツブツの響きは、どこかで聞いたことあるものだ。

 とっても、とっても嫌な予感に、あたしは背筋を震わせたとき、シキの腕があたしを思いっきり引き寄せた。


「破ッ‼」


 途端、シキが立てた二本指を長官に突きつける。

 指先から放たれる稲光に似た光は、間違いなく陰陽術。ネネ嬢も舞踏会のときに、あやかしに乗っ取られた人に似たような術を放っていたっけ。


 そのときと同じように、バリバリッと感電した長官がその場に崩れる。


 だけど……あれぇ?

 陰陽術って、あやかし以外に使っていいものだったのか?


 あたしが恐る恐る見上げれば、シキはとてもキラキラした顔をしていた。


「ふう。今日もいい仕事をしたな」

「人に向かって陰陽術を使うのは、大罪だぞ……」


 地面に伏せったまま痺れているらしい長官がボソッとこぼす。


 やっぱりシキ、とんでもねーことしてるじゃないか⁉

 しかし、そこで顔を曇らせる男ではない。


「申し訳ございません。あやかしを倒すことに必死で、思わず巻き込んでしまいました。ほら、警察署なんて怨念のたまり場ですから。ついにその被害がかの長官殿に及んでしまうとなったら、もう辛抱たまらなくて――」

「もういい。その減らず口を閉じろ」


 とっても晴れやかに詭弁を垂れるシキに、先に諦めたのは長官のほうだった。

 口は動いても、身体を動かすことはできないらしい。


 ……とりあえず、大事がないようでなによりである。


「それでは、この報奨金はまた後日受け取りに参りますね」

「……ふん、勝手にしろ」


 そしてシキは何事もなかったように「それではユリエ、行こうか」といつになく胡散臭い色っぽさであたしの腰に手を回す。


 スタスタと、倒れる虎丸親子を置き去りにして。

 そのまま、様子を見に来た夜勤の警官にも「お疲れ様です」と爽やかに会釈するシキに、あたしはこっそり訊いてみる。


「……なぁ、今、本当にあやかしなんて、いたか?」

「いるわけないだろ」

「おい」


 え、いいのか?

 まぁ、勝手に犯罪者(冤罪)を脱獄させようとしていたあたしが言えることじゃないのかもしれないけど……警察署内で堂々と違法をしていいのか、大陰陽師家の若当主。


 警察署を優雅に出たところで、シキがチラッと後ろを振り向く。


「ま、長官殿も仕方なく御上の命令に従っているってだけだ。まったく、勤め人というのも大変だよなー」


 ……それは、タイチのみならず、長官も嫌々シキを捕えていたということだろうか。

 だからもしかして、あえて杜撰な警備を敷いて、あたしたちを見逃してくれた?


 そんな可能性に、あたしは小さく苦笑する。


「お前は絶対に誰かに雇われるとか無理そうだよな」

「そうか? けっこういい仕事すると思うぜ?」

「どの口が」


 そんな仕事人の鶴御門シキは、ごく当たり前のように警察署の門のそばに止められていた赤いバイクに近づいて行った。タイチと乗ってきた赤バイだな。現に、かけっぱなしの鍵には『虎丸タイチ』と記名された名札が付いている。


 シキはさも当然のように、そのバイクを起こした。


「それで、これから屋敷に戻るのか?」

「そうなるな。布団で休む前に、もう一仕事あるが」

「今からか?」


 月夜の下、堂々と脱獄した男は誰よりも悪い顔で微笑んでいた。


「諸悪の根源に文句を言いに行く」

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