第36話 幻滅させないでくださいまし
ひとしきり泣き終えてからの、おばばの指示は早かった。
ただちに、
「それで、わたくしの家に来たわけね。シキ様のご指示?」
「はい、快く我らを受け入れてくださり、誠にありがとうございます」
すべての準備は、すでに終わっていたらしい。裏門にはすでに馬車が用意されており、あたしはマリアさんとともに乗り込むだけだった。
鶴御門家と同様、瓦屋根に畳の日本家屋の一室で、袴姿のネネ嬢は優雅に生け花を嗜みながら告げてくる。
「たしかに、うちにも事情聴取は来ましたが……鶴御門家よりは安全ね」
兎橋家も、警察から事情聴取を受けたのか……。
平然としているということは、ネネ嬢の家族は逮捕されなかったということだろう。
シキが逮捕されたと言っているにも関わらず、ネネ嬢は落ち着きすぎていると思うけれど。
そんなネネ嬢は、ボキッと花の太い茎にハサミを入れる。
「調べによれば、元老からの告げ口らしいわ」
元老って……シキがずっと敵視していた、鶴御門家の重鎮のことだよな? あたしは一回もその面を拝んだことがないが。
ネネ嬢は短くなった花を平然と活けているけれど、あたしの目から見て、少々歪なバランスになってしまっていた。……もしかして、あえて動じてないように見せてくれている?
だけど、花よりも指摘することがある。
「おかしいだろ? だって元老たちもシキがいなくなったら……」
「代わりを祀り上げることなんて、案外容易なことよ。現に、わたくしに他の分家から見合いの話が来ましたもの。彼が新しい当主の候補なのかしら?」
自分の見合い相手に、ずいぶんさっぱりしたものである。
それが真のご令嬢というものなのかもしれないが、やはり訊いてしまうのだ。
「ネネ嬢は……その男が好きになったのか?」
「ふふっ、ユリエさんのかわいらしい思考、わたくし気に入っていましてよ」
ネネ嬢はそっとハサミを置く。
「正直、シキ様より格下としか思えませんわね。元老に従順な点が気に入られているのでしょうけど……わたくし、わたくしより強い男しか興味ございませんの」
そう小さく笑って、短くなった花を、あたしの髪に挿してきた。
「同性の友人に対しても同様ですからね。幻滅させないでくださいまし?」
「ネネ嬢~っ」
どうやら、あたしの教育係は継続中らしく。
毅然としたさまを崩さない心優しい指導者に抱き付けば、彼女は「もう」と肩をすくめた。
「だから、『嬢付け』で呼ばないように何度言えばわかりますの?」
シキがいようがいまいが、変わらず優しいネネ嬢に、あたしはいたずらに笑ってみせた。
「じゃあ、ネネちゃんだね?」
「ネネちゃん⁉」
顔を真っ赤にしたネネ嬢が、何度も咳払いをする。
そんなあたしなりのお礼に、マリアさんも乗っかることにしたらしい。
「しかし、ネネちゃん様も本当にマリアたちまで匿ってくれて大丈夫なのデスか? 最悪、ユリエ様だけでも――」
「何を言ってますの。わたくしたち、もう何年の付き合いで? そんなにわたくしを薄情者にしたいなら、勝手に出ていってくれても構いませんけれど」
あたしに抱き付かれたまま、ツンと拗ねたネネ嬢は「それより、『ネネちゃん様』って何ですの⁉」というほうが気になっているようだが。
こうしている間も、おばばは隅で静かに座ってるだけだった。
もう、目から涙はこぼしていない。それでも、目の赤みは引いていないけれど。
そんなおばばに話しかけることは忍びなくて、代わりにネネ嬢に訊いてみる。
「ネネちゃんも、シキが捕まったら寂しいよな?」
「まあ……同じ一門の幼馴染でもありますからね」
「じゃあ、あたしがシキを助けてやる!」
あたしはきちんとおばばにも聞こえるように、声を張った。
正直、おばばは好きにはなれないよ。
それでも、シキはおばばのことが大事と言っていたから。
そして、おばばもシキは特別大事のようだから。
そこに、あたしの好き嫌いは関係ない。だって、あたしは正義のヒーローになるんだ。ただ、悲しんでいる人がいるのだから。あたしの主観はいらない。
「牢屋から、あたしがシキを盗み出して――」
意気込んでいるのに、あたしの額にピシッとした痛みが走る。
どうやらネネ嬢に叩かれたらしい。
「ばかですの。脱獄犯になったところで、シキ様に何の魅力があるのかしら?」
犯罪者になったシキに用はないと言わんばかりのネネ嬢の辛辣さよ。
泥棒であるあたしもちょっぴり傷ついている間に、ネネ嬢が小棚から、中央だけ膨れた木盤のようなものを取り出してきた。
「それは……?」
「
ネネ嬢は空いている箇所にそれを置いては、深呼吸をする。
「わたくしの占い、けっこう当たりますのよ?」
そして、何か呪文のようなものを唱えると。
ネネ嬢と木盤のまわりに、蛍のような光が生まれる。
これは、故郷にいたのと同じあやかしの赤ちゃんか? シキは
「視えましたわ」
そして、ネネ嬢が「ふう」と呼吸を落ち着かせたかと思えば。
蛍のような光もおさまり、普通の畳部屋へと戻っていた。
ネネ嬢が静かに語る。
「元より、陰陽師とはあやかしを祓うだけの野蛮な職業ではございません。朝廷からの依頼で、星を詠んでは行政のよき助言者となり、神からのお告げを人間に伝える役目を主としておりました。あやかしを祓うのは、いざこいが起きたときだけ……今のシキ様は祓うことしかご興味ないようですけどね」
今のシキ、とわざわざ言うってことは、子供の頃は違ったということか。
おそらく、ネネ嬢も、そしておばばやマリアさんも、シキの過去のことは知っているのだろう。でなければ、三人とも表情を曇らすなんてことはないだろうから。
「それで、ネネちゃんは何を見ていたんだ?」
「件の盗まれた宝石の所在場所件……三ツ橋家にあるようね」
苦笑したネネ嬢に、あたしは眉間に力が入る。
「やっぱり宝石は盗まれていなかったってこと?」
「シキ様は、ない罪を着せられているということになりますわね」
「三ツ橋の旦那もグルということか……」
つまり、鶴御門の元老、警察、大財閥の三ツ橋家……。
その三つをシキは敵に回したということになる。
これはもう笑うしかないな。
何をどうして生きてきたら、こんな日本の重鎮たちに嫌われることができるのか。
「腹立つなぁ……」
「三ツ橋に何か恨みでも?」
「違う。なんにも悪くないのに、カッコつけて捕まったシキが、ムカつくって言ってんだ」
あたしが爪が刺さるほど手を強く握っていると、ネネ嬢があっさりと告げる。
「あなたを守るためじゃありませんの?」
「えっ?」
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