第35話 とても静かに泣いていた
「改めて紹介する。俺の乳母であり、侍女頭の――」
「アタクシめの名前など覚えずと結構でございます。その節は大変申し訳ございませんでした。謹慎があけましたゆえ、気を引き締めまして、シキ様とユリエ様にお仕えする所存です」
なんとも腰の低い挨拶である。
いや、身体の小さいおばあさんが、さらに背中を丸めて畳に額をつけているのだ。あたしもつい絆されてしまいそうになるが……ついついで許していい次元の悪戯ではなかったはずだ。
……ま、あたしが泥棒まがいのことを
だけど、シキは漬物をシャキシャキ食べながら告げる。
「お前は嫌な記憶しかないだろうが、正直おばばがいないと俺が困る状況なんだ。心機一転、仲良くしてくれ」
いやぁ、心機一転と言われましてもねぇ。
そうそう簡単に返事ができない案件である。あたしも漬物で口を濁していると、おばばが少しだけ顔をあげた。
「しかし坊ちゃん。本当に、この
「あぁ、腹を括った」
そして、わざわざグローブを外してから。
なぜか、シキはあたしの頭をポンポンと叩く。
すると、なぜだろうか。おばばはどことなく嬉しそうに視線を落とす。
「ならば、もうおばばも何も言いませぬ」
いや、あたしは言いたいことがたくさんあるんだけどね?
だけど、なんかシキもおばばもいい感じの空気を作ってくれちゃっているから、もしゅもしゅほうれん草を食べておくことにするけれど。これでも場当たり主義者なのだ。
「良かったデスね! 強力な仲間をゲットデスよ!」
……あれ? いつからマリアさん、あたしの後ろにいた?
だけど、これもなんかいい感じで和気あいあいな雰囲気になっているので、あたしが引き続き、朝食の完食を目指していると。
なにやら、外が騒がしい。
また何か、おばばに嵌められるんじゃないだろうなと訝しんでいると。
シキがあたしの名前を呼ぶ。
「ユリエ」
「なんだ?」
そして、シキがいつになく優しい笑みを浮かべていた。
「幸せになれよ」
えっ――と、疑問符を返す暇すらなかった。
嫌な予感は当たるもので、いつぞやのごとく、部屋に警察がなだれ込んでくる。
ただ、以前と異なることは、中央にいた人物が、おばばではなく恰幅のよい男性だったこと。
ひげ面の親父だった。鋭い目つきは、歴戦の武士を思わせる。肩や胸元についた紋章がやたら仰々しい。
腕を組んで仁王だつ男に、あたしは一瞬だけ怯みながらも箸を置いて立ち上がる。
「だ、誰だ、おまえは⁉」
「虎丸ソラノスケ。帝都という管轄の長官を任されている警官だ」
虎丸の長官って……こいつが、タイチのお父さんなのか?
十数人の警官を引き連れているものの、その中にタイチはいない。
まったく、非も疑問もぶつけようがない返答をしてくれやがって……。
奥歯を噛み締めるあたしに対して、シキは平然と食事を続けながら会釈をする。
「先日は嫁姑問題でご迷惑をおかけしました」
「……まったくだ。あのくらいのかわいい事件なら、いくらでも目を瞑ってやれたんだがな」
そのかわいい事件って……あたしがおばばに濡れ衣着せられたときのことか?
シキはしっかり、最後の味噌汁を飲み干したらしい。
そして、ゆっくり立ち上がったと思いきや、両手をあげる。
「今回の用は、俺でしょう?」
「シキ⁉」
だけど、あたしが問い詰める暇もなく。
虎丸の長官が声を張る。
「三ツ橋家から宝石を盗んだ疑いで、鶴御門シキを逮捕させていただく!」
それを皮切りに、虎丸長官のうしろに控えていた警官たちが、一斉に土足で部屋に上がりこんでくる。あたしやおばば、マリアさんを無視して――まっすぐに。シキに
「待て、どういうことだ‼ 訳を説明しろ⁉」
「訳も何も、言ったとおり泥棒を捕まえに来ただけだ」
泥棒って――三ツ橋家は、シキと出会ったときにあたしが侵入していた大財閥の名前である。
そこに盗みに入っていたのはあたしで、シキは陰陽師としてあやかしを祓いに来ていただけ。
実際、あのときは宝石『悪魔のルビー』を盗むことも叶わなかったはず――
それに何より、納得いかないのは。
「さぁて、臭い飯を食いに行きますかね」
と、シキが大人しく手錠に繋がれていることだ。
「おい、待て! 待てったら!」
あたしがシキを連れていこうとする警官に、あたしが掴みかかろうとするも。
「ダメです。今は大人しくしておきまショウ」
いつもあたしのお願いを聞いてくれるマリアさんが、ぎゅっとあたしの腕をつかむ。正直、けっこう痛い。その強い力は、振りほどこうとしても振りほどけなくて。
そんな間に、シキは警察に連れていかれてしまう。
驚くほど、あっさりと。
「それじゃあ、お前ら。元気でな」
そんな無駄にいい笑顔だけ残して。
なんだよ、どういうことだよ。
そう問い詰めたくても、マリアさんが腕を離してくれないから。
シキが、すぐに前を向いてしまうから。
前を向いたシキが、どんな顔をしているのか、見えないから。
あたしはただ「ちくしょー」と叫ぶことしかできない。
「食事中に失礼した」
虎丸の長官は律儀に帽子を外してから頭を下げて、最後に部屋を出ていく。
丁寧にふすままで閉められてから……おばばが、膝から崩れ落ちた。
唇を強く噛み締めて、小さい背中を再び丸めて。
静かに、とても静かに、泣いている――
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