第33話 親不孝な美少女なれど


「お前って本当に不思議なやつだよな」

「どういうことだ?」

「お前と食べる食事は、こんなものでも美味しく感じる」


 朝食は、トウヤのおばちゃんが用意してくれた。塩おにぎりと漬物のみ。

 質素と笑われるかと思いきや、二人きりになってもシキは感心するだけだった。


「ただ添えておくだけで食事が美味くなるなんて、本当に俺様は素晴らしい拾い物をしたな!」

「あーはいはい、よござんしたねー」

「あれか、お前が美味そうに食べるから、そう思えるだけか?」

「知らないから」


 と投げやりに答えつつも、あたしはやっぱり訂正する。


「……じっちゃんの米が美味いんだよ」

「一人で農家してるんだっけか」

「基本的にはな。でもトウヤも弟たちも、何かあればすぐ手伝ってくれて……」


 けっきょく、じっちゃんにはまだ会えていない。

 もう母親の顔は見たくないし、このまま村に長居せずに、シキも元気になったならすぐ帰りたいところだけど……。


 あたしは口に詰め込んだおにぎりを呑み込んでから、膝を叩く。


「やっぱり、結婚の挨拶っつーなら――」

「行くよ」


 シャキシャキとたくわんを食べながら、シキが即答する。


「行くに決まってるだろ。正直、昨日は練習みたいなもんだ」

「シキ……」


 そして、シキは口の端に米粒を付けながら口角をあげた。


「俺様の本気の挨拶を、とくと見やがれ」




 じっちゃんは朝から田んぼにいた。

 ちょうど田植えの時期だ。たまに腰を叩きながら、一株一株、丁寧に植えている。


「じっちゃーん!」


 あぜ道からあたしが手を振ると、じっちゃんはさほど驚くこともなく「おー」と優しい顔を返してくれた。


「ちょうどよかった。そこの御仁、手伝ってはくれやせんか?」

「お、俺か?」


 ……あたしじゃなくて?


 あたしが手伝うのは、毎年のことだからいいのだけど。

 あたしを無視して、シキに頼んだよね? 御仁だもんね?


 あたしがキョロキョロしていると、シキがぐいっと袖を捲る。


「よ、よし、任せろ!」




 そして、二時間後。


「こ、腰が……腰が……」


 そこには生まれたての小鹿よりも情けない御仁が誕生していた。

 しかも、ジャケットや帽子は脱いでいたから被害を免れたが、顔やシャツは泥だらけ。いつものキラキラ色男はどこにいったという惨状である。


 プルプルしているシキの隣に、あたしは座る。


「だから、あたしも手伝うって言ったのに」

「せっかく綺麗なおべべを着せてもらっているのだから、汚しちゃいけないよ」


 そう優しく制止してくるのは、石川ゴジュウロウこと、じっちゃんだ。

 じっちゃんは少し家まで戻っていたんだけど、籠に残っている稲の量を見て、がっかりと肩を落としていた。


「やれやれ、いつもの半分も進んでいないねー」


 まぁ、だって。シキはあまりに不器用だったからね。


 まず、田んぼで足がぬるぬるすると動きが遅い。

 ようやく田植えを始めたかと思いきや、上手く稲を立てられない。

 三・四本ずつと言っても、一本ずつ丁寧に数えているし、深く挿せと言ったら深すぎるし、浅くと言ったら浅すぎて稲を倒してしまうのだ。


 小さな田んぼと言っても、よそに売って一年食べていけるくらいの広さはある。

 そんな稲ひとつに何分もかけていたら、あっという間に収穫の時期がきてしまう。


 だけど、シキにやる気がないわけではないらしい。

 汗だくのまま、シキは慌てて立ち上がろうとする。


「す、すみません。今から急いで――」

「もう結構です。余計に手間がかかるし、帰りに事故でも起こされたら大変だ」


 そう言いながら、じっちゃんがシキに水筒を差し出してくれる。

 中身は……多分。麦茶かな。いつも手伝いを終えると、うんと冷たい麦茶をくれたものだ。じっちゃんの生活なら、氷も貴重なものなのにな。今もわざわざ家まで取りに行ってくれていたのだろう。


 シキはそれを一気に飲み干した途端、大きな声で叫んだ。


「うんめぇっ‼」

「ユリエも飲むかい?」

「アタシは見ていただけだから、じっちゃんが飲みなよ」

「それなら、半分ずつしようかねー」


 ほのぼのと祖父と孫のやりとりをしていると、シキがぼんやりとしていた。

 病み上がりに動いたから、どこか具合悪いとか?


 一瞬心配したものの、シキの「長閑のどかだなァ」の一言に、あたしは噴き出す。


 青い空。土の臭いと、緑の生い茂る山。

 ずっと帝都暮らしのシキにとっては、それなりに珍しい景色なのかもしれない。


 そんなシキに、じっちゃんが話しかける。


「田舎ですが、村自体はいいところでしょう?」

「なかなか含みのある言い方ですね」

「そうですね。ある程度人が集まれば、全員がいい人とはいかないものですから」


 ……そうだな。誰がどう見ても、うちの両親がいい人とは言えないものな。

 あたしも、じっちゃんも、複雑だけど。


 でも、あたしなりに会話を明るい方向にしようとする前に。

 いきなりだった。じっちゃんがシキに頭を下げてくる。


「ふつつかな孫でございますが、どうぞよろしくお願いします」

「……そんな、俺には過分なお孫さんです」


 じっちゃんは、どこでその話を聞いたのだろう。

 でも、じっちゃんは小さくなった身体で、これでもかと深く腰を折っている。


 そんなじっちゃんに、シキはいつなく優しい顔で「頭を上げてください」と手を差し出す。


「よろしければ、おじいさんも帝都に来ませんか? 住むところを用意します」

「いえ……わしは、娘夫婦の面倒を最後まで見ねばなりませんから」

「じっちゃん……」


 シキとの結婚なんて、しょせん偽りのものなのに。

 真剣にあたしの幸せを望んでくれているからこそ、じっちゃんの誠意が苦しくて。

 だからこそ、何より嬉しくて。


 言葉の代わりに、あたしの目から溢れるのは涙だった。

 そんなあたしの頭を、じっちゃんのあたたかい手が撫でてくれる。


「じっちゃん……じっちゃん……‼」

「まるで赤ちゃんみたいだねぇ」


 そう笑いながらも、じっちゃんの目にもうっすら涙が滲んでいた。




 しばらくして、じっちゃんはそっとあたしを離した。

 別れの時間だ。


「このままこっそりとお帰りください。ご安心を。うちには帝都まで行くお金すらありませんからね」


 つまり、ここを離れたら、もうあの母親たちのことは心配しなくていいということ。


 お金がないのも事実だろうけど……じっちゃんが帝都まで行かせないように見張っていてくれるということだろう。


「ありがとう。じっちゃん」

「幸せになるんだよ」


 それに、あたしは返事ができないけれど。

 じっちゃんの厚意に甘え、あたしたちはこのまま田んぼを離れようとあぜ道を帰る。だけど、やっぱり。このまま帰るのは寂しくて。


「ユリエ?」


 急に足を止めたあたしに、シキが声をかけてくる。


「下手に大声出したら、母親に気付かれるかな?」

「かもしれんな」

「そうしたら、一緒に走ってね」


 一方的に吐き捨ててから、あたしは大きく息を吸った。

 そして――


「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」


 あたしは大きく声を張って、振り返る。

 遠くから見送ってくれたじっちゃんに向けて、名乗りを上げるのだ。


「一見ただの親不孝な美少女なれど、その正体は天下の石川ゴジュウロウが孫娘――石川ユリエとはあたしのことだぁ!」


 遠くて細かな表情まで見えないけど……じっちゃん、喜んでくれたかなぁ。


 ちょうどそのとき、トウヤがじっちゃんのそばまでやってきていた。

 田植えの手伝いに来てくれたのだろう。


 トウヤに「あいつ、変わんないなー」と、笑われていた気がする。

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