第32話 あたたかいな


 不思議な夢を見た。

 布団のみ敷かれた座敷牢で、その黒髪の少年は声を震わせていた。


 どこか見覚えのある少年だ。

 だけど、あたしが知るその男は、銀の髪を持っているはず。


『おかあ……さん……?』


 彼のそばには、裸の男女が血だらけで倒れている。

 少年におかあさんと呼ばれた女性は、歪な笑みを浮かべたまま少年に詰め寄っていた。


 四肢に、服に、顔に、真っ赤な血を滴らせたまま。


『ふふっ……これでもう、あなたは私だけのモノ』


 その視線には、とてもこどもに向けるものとは思えない色情がにじみ出ていて。


『やめて……やめてよ、おかあさん……』


 唇を舐める女性の舌が、異様に赤い。

 少年は女性に服を剥かれていく。言葉の通り、脱がすのでなく、引きちぎるように。


 男女の差こそあれ、少年はまだこども。大人の力には敵わないのだろう。

 いくら抵抗しようとも、素肌が透けるのはあっという間のことだった。


『こんなの……おかあさんじゃない……』


 少年は否定する。大きな目からポロポロと涙を零しながら。


『こんなの……おかあさんのはずがない……』


 いやいやと首を横に振りながら、彼は母親を否定する。 


『こんなの、あやかしだ……あやかしに決まってる!』


 少年が強く女性を突き飛ばす。

 その隙に、彼が揃えた二本の指で陣を切った。


『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前ッ‼』


 途端、女性がとても人のモノとは思えない雄たけびをあげる。

 そして電撃に打たれたかのように跳ねた身体が床に倒れると、その後動くことはなかった。


 ずっと。ずっと。ずっと。


『う、うわあああああああん! おかあさん! おとうさん!』


 泣き叫ぶ少年が、気を失うまで。

 ずっと。ずっと。ずっと――――




「なんだ、この夢……」


 あたしがぼんやり目を開けると、窓から朝日が差し込んでいた。

 シキは静かに眠っている。そして、その向こう側に夢の少年とは違う、もうちょっとやんちゃそうな少年が自動車の模型を抱えていた。


(ユリエちゃん、いつもぼくと遊んでくれてありがとう)

「おまえは……」

(どうか、そのお兄さんのことを恨まないであげて。可哀想なひとなんだ)


 可哀想なお兄さん……シキのことか。

 やっぱり、あの夢の少年はシキの……。


 ぼんやりした頭で夢と現実と結び付けていると、やんちゃな少年が言う。


(そのお兄さんと……トウヤくんのこと、よろしくね)

「……あぁ、あたしが二人とも救ってやるよ」


 すると、少年の亡霊が嬉しそうに微笑んで。

 少年の亡霊が朝日に溶ける。小さな車のエンジン音を、あとに残して。


 次の瞬間、あたしの手がピクリと動く。

 どうやらずっと握っていた手の持ち主が目覚めたようだ。


「なんだ……お前か……」

「おまえとは失礼だな。天下の恋人どのだが?」

「さすが俺様の恋人殿。ずいぶんと偉そうだなァ」


 そう嫌みを返したシキが、ゆっくりと起き上がる。「大丈夫か⁉」と慌てて背中を支えようとするも、シキが自分の手を握ったり開いたりしている。


「もしかして、ずっと俺の手を握っていたのか?」

「あ、あぁ……」

「なんともないな」


 言われてみれば、昨日痒そうにしていた発疹もすべて消えているようだった。汗を掻いてくたびれた様子は仕方ないが、顔色も悪くない。


「試しに……熱を測ってみても?」

「試してみるか」


 すると、シキが「ん」と顔をこちらに寄せてくる。


 え、これは……おでこで測れということか?

 ここで変に緊張したそぶりを見せてしまえば、照れているのかとからかわれるのがオチである。あたしは平然を装ったまま額を合わせてみる。


 緊張しすぎて、熱なんてさっぱりわからない。


「どうだ、熱はあるのか。ないのか」

「……それより痒いとか、息苦しいとかは?」

「一切ない。それよりお前の額がベタベタして気持ち悪い」

「このっ⁉」


 あたしが慌てて離れると、シキがくつくつと楽しそうに笑っている。

 なんだよ、昨日から風呂どころか顔すら洗えてないのは、誰のせいだと……。


 あたしがむくれていると、シキが突然話し出す。


「俺の父は、俺の母に殺されたんだ」

「んん⁉」


 いきなり始まった暗すぎる話に、あたしの喉がおかしな音を立てる。

 だけど、シキには気にせず淡々と語り続けた。


「虎丸の坊ちゃんが『呪われた家』って言っていただろ? その辺とも絡みがあるんだが……鶴御門家の当主は、家の役目を継ぐために様々な女に子を成せと言われるんだ。少しでも才能のある子に、当主を継がせるために」


 たしかに、後継者が大事とされる御家柄ならば、愛人などが認められる家もあると聞く。それこそ文明開化の前は、愛人がひとつ屋根の下に暮らしていた華族もいたという。


 だけど、今は大正の時代だぞ?


「……ひとりの奥さんとの子だくさんではダメなのか?」

「残念ながら。しかし、実際に正妻に収まった俺の母は、その現実に耐えられなかったらしい。もちろんわかっていて結婚をしたはずだが、次々と愛人と子供を作る父に、次第に苛立ちを隠せなくなって――ある日、人が変わったように暴れだし、父を刺した」


 ……あぁ、それがあの夢か。

 自動車模型のあやかしが、最後に見せてくれたシキの幼少期。

 彼の泣き声が、今もあたしの耳から離れない。


 そんなこと知らないと思っているシキに、あたしは何も気の利いた言葉が思い浮かばず。


 ただ奥歯を噛み締めていると、シキは軽いことを話すかのように肩を竦めた。


「運悪く、その場に俺も居合わせてな。なぜか、母は俺を父だと勘違いした結果、俺を襲おうとして……俺はあやかしに乗っ取られたかと、術を放った。そのせいか、父との抗争中の怪我が原因なのかわからないが、その直後、母も亡くなった」


 あぁ、喉の奥に何かが突っかかったように、胸が痛い。

 それを取り除くかのように、あたしはゆっくりと余計なことを口にする。


「そのショックで、髪が白くなったりした?」

「お、よく知っているな。マリアからでも聞いたか?」


 その問いに、あたしは答えない。

 まさか、おまえに同情したあやかしが教えてくれたなんて言ったら……シキはきっと怒るに決まっているからな。もしかしたら、その同情もあたしの勘違いかもしれないけれど。ただたんに、一方的に祓われた腹いせだったのかもしれないな。そう考えるほうが、あたしの気がラクってだけの話だが。


 すると、シキが「ハッ」と笑った。


「だから、もしこのまま俺様と婚約して、ゆくゆく本当に結婚ということになったら、俺はいろんな女を抱くぞー。妬くか? 妬いちゃうかァ?」

「……女アレルギーが何を言うかな」


 そもそも、まともに女に触ることもできない男が、お世継ぎ作りなんてできるんかね。


 あたしの軽口に、シキが珍しく同意してくる。


「ほんとそれだよなァ。あれ以降、女に触れられるだけで痒くなったりしていたのに……なんでお前は平気なんだ? あのおばばでもダメだったんだぞ? お前は本当に女なのか?」

「なんだよ、確かめてみるってのか⁉」


 売り言葉に買い言葉。

 あたしが威勢よく身構えれば、シキが「ほお」とあたしの顎をクイッと持ち上げる。


 素手だ。指先から、わずかだけど彼の体温を感じる。

 あたしは、何も喋れなかった。

 シキも喋らない。


 ただ両者まっすぐにお互いの目を見つめ合って。

 固まって。


 慌てて離れたのは、同時だったと思う。


「そのアレルギーってのは、病院とかでちゃんと診断を受けたやつなのか⁉」

「いや、誰がこんな話を赤の他人にしたいと思うんだよ」

「……あたしに話しただろうが」

「……お前は……ほら、俺様のあやかし探知機だし?」


 そうだ、あたしはただのあやかし探知機。

 偽装結婚しようというのだから、そこに愛だの恋だのもないのだし、ただあたしもおまわりにしょっぴかれないために、こいつの言うこと聞いているだけ。うん、だけ。


「あやかしが視れなくなったってのも、その時期なわけ?」

「あぁ。子供の頃は声も姿も視えた。潜在能力はお前以上だ」

「ご苦労なことだなー」


 もはや他人事である。他人事ということにさせてくれ。

 まだ顔が熱くて、シキのことが見れないんだ。

 一生懸命に顔を火照りを覚ましていると、シキがボソッと呟く。


「俺の母さんは、あやかしに乗っ取られたんだ。そうに決まっている。……そうに、決まっているんだ」


 それはまるで、自分に言い聞かせるように。

 もしかしたら、シキもうなされている間、同じ夢を見ていたのかもしれない。


 だから、あたしは何も声をかけない。


「あやかしなんて、この世から全部消えてしまえばいい」


 代わりに、あたしは背中からシキを抱きしめる。


 嫌がられるか? からかわれるか?

 ドキドキしていると、シキが小さく笑った声が聞こえた。


「あぁ、あたたかい。あたたかいな」


 あたしの手に、シキの素手がそっと添えられる。

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