第31話 あたしがそばにいるからな


 その後、あたしはトウヤの家に甘えることにした。


 途中でトウヤが迎えに来てくれたというのもあるが、倒れたシキをあの母親に見せると、余計に面倒なことになりそうだったからだ。トウヤはトウヤで、急に車の音がしなくなったからと様子を見に来てくれたらしい。実際、あたしじゃズルズルと引きずるのが関の山だったから、本当に助かった。


「それで、あやかしを退治したら倒れたと?」

「うん……まぁ、そんな感じ」

「陰陽術っていうのは、命と引き換えにしなければならないものか?」

「んなことはないと思うけど……」


 実際、シキがあやかし祓ったところは何度か見たことあるし、ネネ嬢も少し疲れたとは言いながらも、こんな倒れたりはしていなかった。


 だから、多分別の原因があると思うんだけど……。


 部屋はトウヤの部屋を貸してくれることになった。

 あたしは布団に下ろされたシキを見る。


 露出している部分は少ないながらも、首のあたりに発疹がでている。腕もめくればひどくなっているのだろう。あれだけ痒がっていたしな。


 今は腕など搔いたりしていないものの、意識もないのだろう。ひどく苦しそうに呼吸を繰り返していた。


「おばさんには適当に言い訳しておく。これはじいちゃんちに持って行けばいいんだな?」

「あ、ありがとう……」


 これはと掲げられたのは、あたしがじっちゃんにあげようとした夕飯の包みだ。

 まさか、シキを一人にするわけにもいかないし。なかなかじっちゃんに会いにいけないな。


 ふと視線を下げたあたしの頭が、わしゃわしゃと掻きむしられる。

 トウヤの手は、今も昔も大きかった。


「おばさんの相手に疲れたとかじゃねーの? 明日にはすぐ起きるって」

「うん……」

「もし起きなかったら、おれが全速力で医者を呼んできてやるから安心しろ。な?」


 こういうときの、お兄ちゃん。

 小さい頃から、トウヤの優しさには何度救われてきたことだろう。


 だけど、あたしは気づいてしまう。

 長い付き合いじゃなきゃ、わからない程度だけど……。


 トウヤの顔が、どことなく暗かった。


「トウヤも、何かあった?」

「別に、おれは――」


 ふと落ち着いてみれば、いつも堂々と飾ってあったものの場所に、ハンカチがかけられている。こんもりと山になったその下に、何があるのか……あたしは嫌な予感しかしない。


「なぁ、いつもの……自動車の模型は?」

「さっき、いきなり壊れちまったんだよ。ま、古いものだったしな。寿命だったんだろ」


 あっさりと言うけれど、あたしは知っている。

 本当に、トウヤはこの模型を宝物にしていたんだ。そりゃあ子供の玩具として、乱暴に扱っていたときもあったけど……あたしが壁にぶつけそうになったときは、めちゃくちゃ怒られたっけ。


 トウヤがハンカチをそっとどかせば、その下には色んなパーツの破片が丁寧に積まれていた。


 素人判断だが、ちょっと直すには難しそうな粉々のところが見受けられる。

 いきなり壊れた原因……それに心当たりあるあたしは、唇を噛み締めた。


「件のあやかしの正体な、その車だったんだよ」


 それを、シキが祓っちまったから、きっと本体も壊れてしまったのだろう。

 一瞬の付き合いだったけど、本当に優しいあやかしだと思ったのだ。


 あやかしも人間も同じ、嫌なやつは嫌な感じがするものである。だけど、あのあやかしの車からは、あたたかいまでの優しさしか感じなかった。


 きっと、あの車のあやかしは、トウヤが模型を大事にしてきたから宿ったものだったのだろう。やっぱり、持ち主に似るんだろうな。


「そいつ、すごくしあわせだったと思うよ」

「えっ?」

「トウヤと遊ぶのが、きっとすごく楽しかったんだよ。だから、また他の子どもの子守りしようと……そう思ったんじゃないかな」


 それらは、全部あたしの憶測でしかないけれど。

 だからこそ、もっとあいつらの話を聞いてやりたかった。

 そして、それをシキに伝えることができたら。


 そりゃあ、夜の騒音被害の解決も大事だけど……もっと穏便に、優しい解決方法もあったような……そんな気がしてならないんだ。


 責める相手は、今も苦しそうに唸って眠っている。ただただあやかしが嫌いなだけとは思えない拒絶反応だった。そんな双方の橋渡しは、あたしにしかできないはずなのに。


「……ごめん、トウヤ」


 おまえの宝物を、壊したのはあたしだ。

 トウヤの顔を見れずにいると、小さく苦笑する声がきこえる。


「また、薄皮一枚向こう側ってやつ?」

「そう、そんなやつ……だから――」


 昔から、トウヤはあたしがあやかしの声が聞こえると言っても、こんな反応だった。


 完全に否定するわけでも、だからといって認めるわけでもない。

 一方的に非難してくるやつらのほうが普通だからな。まるまる信じてくれるのはじっちゃんくらいだ。


 だから、どっちつかずの態度は、むしろありがたかった。

 親も特殊で、自身も変わり者――そんなあたしと外の世界を、ずっと繋いでくれていたのがトウヤだったから。


 だけど、そんなトウヤが笑ってくる。


「どうせ、それもおまえお得意の妄想だろう?」


 件のあやかしの正体が自分の模型だったなんて、まるで信じないと否定してくる。

 すぐに、それもトウヤの優しさだって気づいてしまうけど。


「ユリエが謝んなよ。気づかないうちに、おれがぶつかってでもいたんだ。たぶんな」


 さらに、トウヤはあたしの謝罪を感謝にすら変えてくれるんだ。


「むしろ、ありがとう」

「トウヤ……」

「こいつも、おれのとこ来てしあわせだったなら何よりだ」


 そのときだった。シキが苦しそうなうめき声がひときわ大きくなる。


「わりぃな。うるさかったか」


 そう言って、トウヤが踵を返した。


「それじゃあ、ちょいと行ってくるわ。おれがいない間、何かあったら遠慮なく母ちゃんに言ってくれ」

「うん、ありがとう」


 そして、トウヤを見送ろうとしたときだった。


「しかし、あんなじゃじゃ馬に好きなやつができるとはなぁ」

「なっ⁉」


 トウヤはひとりで笑って、すぐに階段を降りていってしまうけど。


 その『好きなやつ』って、まさかシキのことじゃないだろうな‼


 そりゃあ、これから偽装婚約をしようというのだし、傍からそう見えるに越したことはないのだけど……そもそもあたしは、警察への通報を盾に脅されている状況だぞ? いい思いもさせてもらっているが、すべてがなかなかの横暴さだぞ?


 なんたって、あたしに拒否権なんてないからな!


「それなのに……あたしがおまえを好きだなんて……ないよなぁ?」


 普段なら、こんなことを聞けばニヤニヤと『ぜひ俺様に惚れてくれ。そのほうが利用しやすいからなァ』なんて調子に乗りそうなものなのに。


 シキはふぅふぅと苦しそうな息をしている。熱が上がってきたのだろうか。顔がやたら熱い。


「氷嚢をもらってきたほうがいいか?」


 女アレルギーの件は気になるけれど、一瞬だけと額に手を伸ばしたときだった。


「おかあ……さん……」


 シキの目から、ポロポロと涙がこぼれている。


「おかあさん……おかあさん……」


 シキの目は、閉じたまま。

 だけど必死に伸ばしている手を、あたしは掴まずにはいられなかった。


「大丈夫だ。あたしがいるぞ、シキ」

「おかあさん……」


 どんなことがあっても、あたしはシキの母親にはなれないけれど。

 それでも、シキはあたしの手を握ると、少しだけ表情を和らげるから。


「あたしがいる。あたしがいるからな」


 あたしは一晩中、シキの手を握り続ける。

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