第30話 何もしていないのに
わざわざ偽装結婚なのに、こんな田舎まで来るなんて。
そんなご苦労をしたシキを、あたしは笑い飛ばした。
「ははっ、お前ってけっこう律儀なのな」
「これでも当主様だからな。習わしにはうるさいつもりだ」
「詐欺まがいな商売しているくせに」
「詐欺じゃない。ちゃんとあやかしは祓っている」
「あーはいはい」
そんなくだらないことを離していると、だいぶ気持ちも落ち着いてきた。
あたしは汚くした箇所に土をかける。
「でも、あたしに無断でっていうのはいただけないな。今後があるかは知らないけど、ちゃんと相談してくれ」
「あぁ、肝に銘じるよ」
でも、わざわざ女の親に挨拶をして。婚約して。結婚して。
この偽装の関係は、どうやら『今後』があることがわかって。
少なくとも、今後も旨い飯にはありつけるわけだ。そして学校も卒業して、車も卒業祝いに貰わなくては。その例に、免許もとれたら、今度はあたしの運転で、今度こそ本当の旅に行くこともできるかもしれない。
そんな『今後』を、あながち嬉しいと思ってしまうあたしも現金だよな。
「さて、戻るか」
あたしが立ち上がって踵を返すと、シキが不思議そうな顔をしていた。
「なんだ? その顔は」
「用件は済んだし、このままとんずらしてもいいんだぞ?」
「バカ言え。トウヤからの依頼もあるだろ」
正直、これ以上両親の顔を見ていたいとは思わないが。
トウヤには、昔からお世話になっているのだ。
当然、おばちゃんに飯を食わせてもらったことも数えきれないほどある。
「一度受けた依頼には必ず応えなきゃ、石川ゴエモンの末裔の名が廃るだろう?」
「律儀なコソ泥だなァ」
鼻で笑われたって、構うものか。
たとえ普通の娘のように、『結婚おめでとう』と親から祝福されなくても。
あたしには『石川ゴエモン』という矜持があるのだ。
そして、適当に夜まで時間を潰して。
「ほら、ユリエがお風呂を沸かしますので」
「そのまえに、散歩に行ってこようかと。ユリエさん、道案内をお願いできますか?」
というわけで、適当に家を出る。
人気のない、真っ暗な田舎道がひどく懐かしい。
「お前、けっこう料理も上手いのな」
「ずっとやってたってのもあるけど……材料がいいんだ。米も野菜も、ここのはみんな美味い」
今日の夕食も、あたしが作った。
あんな母親や父親が、まともに食事を用意してくれるはずがないだろう?
だから、あたしはずっとじっちゃんに食べさせてもらっていた。
だけど、ある程度大きくなってからは、あたしのほうが作ってもっていくことのほうが多かったな。現に、今も多めに作った夕飯のあまりの包みを抱えている。
「あとでじっちゃんのところ寄ってもいいか?」
「勿論だ。丁重に挨拶してやろう」
「いや、普通でお願いします」
シキの丁重は本当に怖いので、それこそ丁重にお断りして。
月明りを頼りにあぜ道を進んでいると、シキがやたらキョロキョロとしていた。
おそらく田んぼのまわりで光っているやつらのことを気にしているのだろう。
こんな田舎に、外灯なんてない。その中で、まるで田んぼから舞い上がるかのように広がる光の粒たちは、とても幻想的な光景を作り出していた。
「もう飛んでいるのか」
「この辺は昔から早いなー。でも、これは蛍じゃないぞ」
「えっ?」
淡い色で発光しているそれらは、たしかにみんなが『蛍』と呼んでいる存在だ。
だけど、あたしがそのうちの一匹を手に閉じ込めてみても。
シキの前で開いたときには、もう光も、本体の虫の姿もない。
「あやかしたちだな」
途端、シキがバッと構えて何か呪文を唱え始める。
当然、あたしは構えた二本指を無理やり下ろさせるけれど。
「ただの赤ちゃんだ。可哀想なことするなよ」
「
「あたしは専門用語は知らないけど……じっちゃんによれば、田植えの時期になると、薄皮一枚向こう側からやってくるらしい。こいつらがたくさん来るほど、米がよく実るんだと」
「境界が薄くなるということか……」
「だから専門的なことはわからないって」
たしかじっちゃんも魂魄がどうとか言っていた気がするけど、あたしにとってそこはあまり興味がなく。
ただきれいで、特に害もない存在。
それなら、仲良くすればいいじゃないかと、ただそれだけだ。
「でも、まだ何者でもない、薄皮一枚向こう側の存在が、何になりたいか探索しているんだ。あたたかく見守ってやろうぜ」
そのとき、ブルンッとしたいななきが聴こえてくる。
こんな夜に馬を走らせるなんて、いつの時代だろう。
ましてや、こんな田舎にシキ以外の自動車なんて――と思ったときだった。
それは、少し変わった形の自動車だった。
前に二つ付いたライトが、まるでカエルの目玉のようにギョロッと見える。タイヤが大きく、屋根もない。あからさまに外国製の自動車の形に、あたしは見覚えがあった。
「トウヤの、模型……?」
その車が、田んぼの道なき道を蛇行しながら走り寄ってくる。
すると、あやかしの光たちが車のまわりで踊るように跳ねて。
その様は、まるで母親がこどもと遊んでやっているような、そんな楽しげな光景に見えて。
「なんだ、特別祓う必要なんて――」
だけど、あたしは隣から聴こえた言葉に背筋が震える。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列――」
あやかしの呪文の種類なんて、あたしは知らない。
だけど、それを唱えるシキの顔が、泣きそうなくらいひどく歪んでいたから。
あたしは必死にシキに縋りつくも、彼はその手を止めることはなかった。
「シキ⁉」
「――在・前ッ‼」
そして、短い呪文が終わったとき。
あたしの耳に、大小多くの悲鳴がいくつの木霊し始めた。
耳を塞いでも、その嘆きの声が心に届いてくる。
(どうして?)
(ぼくら、いったい何をしたというの?)
(何もしていないのに)
そんな不条理を嘆く怨嗟に、あたしは代わりに泣いてやることしかできなくて。
あたしがシキを訴えることができたのは、そいつらがみんな空へと消えていった後のこと。
「どうして……なぁ、シキ、どうしてこんなことを⁉」
「どうしても何も……あやかしなんて、この世にいたら……」
シキがぼりぼりと腕を掻きむしっていた。珍しい。虫にでも刺されたのだろうか。
いつもなら多少心配してやってもいいが、今はそんな気分じゃ――と、それにしては異様な掻きむしりようだ。とうとうグローブまで外して、爪で血が出そうなくらいにガリガリと腕を掻いている。
そして何より、呼吸がとても荒い。
「シキ……おまえ、何してんだ?」
「ごちゃごちゃうるせーな。ともかく、お前の従兄の依頼は果たしたんだから、これで――」
「シキ⁉」
あたしが身体を支えた瞬間、シキの体重がぐっと押しかかってくる。
細い身体といっても、あたしよりだいぶ身長が高い男の体重だ。そのままあたしも膝をついてしまうけれど、ひとまずシキがどこかに頭をぶつけるといった惨事は免れたらしい。
ぜえはあと息をするシキは、やたら汗ばんでいて。
それなのに、身体が異様に冷たい。
「シキ? シキ! 返事をしろ⁉」
あたしがいくら呼びかけても、シキが返事をすることはない。
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