第29話 思っていたよりひどかった
そうして、あたしたちは地元の村に立ち寄ることになる。
だけど、あたしはひとつだけ要望することにした。
「実家には帰りたくない」
「でも、じいちゃんにも会わないつもりか?」
「うっ」
トウヤの言う『じいちゃん』は、当然あたしに石川ゴエモンを教えてくれた『じっちゃん』のこと、石川ゴジュウロウである。
じっちゃんには会いたい……。
でもシキには会わせたくないな……。
あたしがジト―ッとシキを見上げていると、やたらニコニコしている。
嫌な予感しかしない……。
そんなとき、助け船を出してくれるのがトウヤだ。
「ひとまず、おれんちでお茶でもどうだ?」
「そうだそうだ。おばちゃんにも挨拶しないとな!」
自動車を余りすぎている土地に置き、あたしはトウヤの腕を引っ張って行く。
「妬いちゃうなァ」
後ろからシキの明らかに面白がっている声が聞こえるも、気にしないようにして。
だけど、トウヤは無視できないらしい。
「あいつとは、どういう関係なんだ?」
「……一緒に旅行をする仲?」
「それが本当に答えになっているのか、もう一度自分に胸に訊いてみろ?」
トウヤがこう言うってことは、あたしの答えに納得がいっていないということで。
だけど、なんてタイミングが悪いのだろうか。
トウヤの家の玄関先から出てきた女性に、あたしの身体が自然と固まる。
四十代という年に見合っていない若々しくも古臭いドレスは、色々な意味でこの場に不釣り合いで。無駄に「ふふっ」とお高く留まった笑い方を聞くだけで、あたしの手足が震えてくる。
だけど、その女性から逃げ出すよりも早く、彼女が顔を上げてしまう。
「あら、ユリエ……?」
あたしを一瞬見たかと思いきや、すぐに気が付く洋装の同行者。
そしてすぐそばに止めた自動車を見るやいなや、彼女の瞳が大いに輝きだす。
「まあ! まあ! ユリエ、何か嬉しい話を持って帰ってきたのよねぇ? そうよねぇ?」
……誰も、おまえの成り上がりの道具に戻りにきたわけじゃないさ。
そう言ってやりたいのに、何も言い返せない。
だって悔しいかな、あたしは母親の望むものを手に入れてしまったのだから。
すると、誰かがあたしの腰に手を回してくる。
確認するまでもない。グローブを嵌めた手でそんなことをするやつなんて、ひとりしか心当たりがないのだから。
「あなたが、ユリエのお母様で?」
「はい! はい! そうでございますわ!」
――言わないで。
そう願ったところで、あたしのお願いを聞いてくれるやつではない。
案の定、シキはいつも通りの外面の笑みで、優雅に挨拶をしてしまうのだから。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。俺は鶴御門シキと申します。このたび、ユリエさんを嫁にもらう許可をいただきにまいりました」
すると、あたしの予想通りに。
母親は夢見る乙女のような笑みを浮かべるのだ。
「まあまあまあ! こんな嬉しいことはないですわ! 式はいつ挙げますの? もちろんあたくしも帝都に住まわせてもらえるんですよね?」
「ははは、そのへんはこれから決めるということで」
あたしが「ただいま」すら言わない間に、母親は「それでは我が家でゆっくりご相談しましょう?」と、それまた年に不釣り合いな話し方で、シキに寄り添っていた。
「大丈夫か?」
「ああなったら、あたしも付いて行かないわけにもいかないし」
玄関口から、トウヤのお母さんが同情的な目であたしのことを見ている。
普段は絶対に使わないのに、丁寧に磨かれていたお高い輸入茶道具。
そのお披露目の場ができただけでも、あたしが帰ってきた利になることだろう。
こいつらも、ずっと母親に磨かれているだけじゃ、いつかあやかしになっちまいそうだったしな。
「えぇーと、ごめんなさいね。めでたい話に受かれちゃって、うっかり紅茶の淹れ方を忘れちゃったわ」
まごついている母親に代わって、あたしが茶葉を受け取った。このまま零されたら、あたしのせいにされかねない。
高そうな茶葉だが、一体いつ購入したものだか。すでに香りは飛んでしまっているが、腐っているわけではないようなので、腹を壊すことはないだろう。
どうせ紅茶を淹れてあげるなら、ネネ嬢に淹れてあげたかった。
なんやかんや、まだ喫茶店に行けていないのだ。帝都の女将さんにしごかれた技を、こんな場所で披露なんてしたくなかった。
こんな汚い台所で、錆びたやかんのお湯を使って、おいしい紅茶なんて淹れられるはずがない。それでも形だけでもと紅茶を出せば、母親は満足そうに化粧の濃い顔をほころばせる。
「ユリエも上手に淹れられるようになったわね。昔はあんなに不器用だったのに」
ウソつき。
紅茶以前にお茶自体『あたくしのような高貴な女は淹れてもらうものでしてよ』と、一度も淹れてくれたことがなかったじゃないか。たまに淹れたと思ったら、誰に見せるわけでもなく無駄に気取ったお抹茶くらいだ。
「あぁ、本当に美味しいですね。ユリエさんは本当に多才ですよね。こないだも夜会に招待されたときには、見事なダンスで俺をリードしてくれまして」
「あら、シキさんはダンスが苦手なの?」
「簡単なステップはできるつもりだったんですがね」
「ふふっ、ユリエも昔はなかなか覚えが悪くて――」
あぁ、そうだな。ステップを間違えるたびに、何回ビンタされたか覚えていないよ。
あたしがそっと母親の隣に座ろうとすると、シキが「こっち」と手招きしてくる。
「離れた場所に座るなんて、寂しいじゃないか」
「でも、またすぐ台所に――」
「大丈夫だから」
……何がいったい『大丈夫』なんだか。
だけど母親も「仲睦まじいのですね」と上機嫌だから、あたしはシキに言われたとおり、彼の隣へ。すると、シキはわざとらしくキョロキョロとし始める。
「ところで、お父様は?」
「あんなひとはもういいのですわ。あたくし、いつでも夜会に出る用意はできていましてよ? やはり婚姻式から盛大になさるのでしょう? 鹿鳴館を借りるのはどうかしら?」
本当に、この人は変わらないな。
あたしのことなんて、ただ自分が再び帝都に行くための道具としか思っていない。
ずっと言っていたもんな。『帝都のお坊ちゃんに見初められるような女になりなさい』て。
そもそも、母親はシキがどんな人物で、どんな仕事をしているのかも興味ないじゃないか。シキの着ている高そうな洋服と、自動車を見て『当たりだ!』とでも思ったのだろう? もしかしたら、自分がシキの嫁か愛人になっても、くらい考えていそうな気がする。
……あぁ、気持ち悪い。
あたしが口元を押えたとき、勝手口に人の気配がする。
誰だか声をかけるまでもない。
「水~、水を持ってこーいっ」
と、飲んだくれた男の枯れた声が聴こえてくるのだから。
それに、慌てて母親が「ふふっ」と笑ってごまかす。
「どこの迷子さんかしら。ちょっと待っていてくださる? あたしくが――」
「いえ、貴婦人が危ないですよ。俺が見てきましょう」
無駄に重そうなドレスを着たおばさんよりも、シキのほうが動きは軽い。
シキが勝手口に向かった途端、「なんでぇ、てめぇはよぉ」と品のない野次が飛ぶ。
母親が、あたしを険しい目で睨んでいた。
あ、あたしに対処してこいってことね。
あたしは何も答えず、シキのあとを追う。すると、シキは相変わらず完璧な微笑を携えたまま、懐から財布を出していた。そして、少し多い枚数を薄汚い男に渡す。
「へっ、わかっているじゃねーか」
すぐさま嬉しそうに外へ出ていく男もまた、あたしのことなんか意にも留めない。
「あれが父親か?」
そんなシキの短い問いかけに、あたしは答えることができなかった。
勝手口に残った酒に臭いが。居間から飛んでくる安い香水の匂いが。
とにかく、とにかく気持ち悪くて。
あたしは慌てて庭に飛び出す。ろくに手入れされていない庭の隅に、あたしは胃の中のものを吐きだしていた。
胃の中の汚物とともに、涙までポロポロ流れてくる。
これは嘔吐が苦しいせいだ。それだけに、決まっている……。
そんなあたしの背中を、誰かが優しく撫でてくれている。
あーあ、そんな近づいて。せっかくの高い服が汚れたらどうするんだ。
ま、あたしが着ている服も、いいやつなんだろうけどさ。こんなヒラヒラスカスカしたスカートなんて、初めて履いたのに……マリアさん、ごめんな……。
前に、『かわいい子は幸せになる義務がある』って言ってくれたけど。
やっぱり、あたしはいくらかわいくしてもらっても、叶えられそうにないや。
心の中で金髪のメイドさんを思い出していると、少しずつ呼吸が落ち着いてくる。
すると、珍しくそいつが謝ってきた。
「悪い。思っていたよりひどかった」
「ほんとだよ……どうして、母親に婚約のことを……」
「結婚する前に女の親に頭を下げにいくのは当然だろうが」
「えっ?」
もしや、人生に疲れたとか、全部言い訳で。
あたしの親に挨拶するためだけに、わざわざこんな田舎まで来たのか?
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