4章 故郷に戻れば、優しさもありました。

第27話 人生に疲れた


 ある日、突然シキが言った。


「人生に疲れた。旅に出るぞ」

「はあ?」


 疲れたと言われても、特に何かあったわけではないと思う。


 あたしは毎日学校に行っているだけ。

 シキも相変わらず毎日あたしの迎えにきては、夕食をどこかで食べて帰る生活。

 シキは日中何をしているんだと聞いても、どこかに金の匂いがしないか探っているだけだという。まぁ、またカフェーなどに入り浸って、あやかしの事件の香りがしないか調査しているということだろう。若当主なのに、ご苦労なことである。


 ここ二週間、彼があやかしを討伐したなど、明るい話を聞かない。


「金になりそうな事件がないのか?」

「なんて不景気な世の中だ! もっとあやかしが蔓延って悪さしてくれりゃあいいのに!」


 新聞によれば高度成長期なんて謳われていたりもするし、薄皮一枚飛び越えたあやかし事件など、ないに越したことはないのだが……。


「けど、旅はいいな」


 その単語に、あたしの心が少しだけ踊る。

 これでも、あたしは享楽主義者なのだ。




 自動車とは、明治時代の中頃に海外から輸入された乗り物である。

 最初は誰もが驚いたらしい。だって鉄の箱が、馬より早く走るのだ。

 大正になって久しい現代では、帝都の中を自動車も、馬車も、人力車、あらゆる乗り物が走りまわっている。まぁ、どれも高額なので、一般庶民にはなかなか手が出せない代物だ。


 その中で、鶴御門家が主に利用しているのは、馬車だった。


「元老どもが自動車なんてハイカラなもんを許してくれるはずがないだろう」


 だけど、現在。シキはあたしの隣で嬉しそうに車の運転をしている。

 いつもより丸い帽子を被り、普段より柔らかそうなジャケットに、膝下までの靴下と、かなり活動的な服装を着ていた。普段の美しさに少しだけ野性味が混じり、これまた色気がある。


 ……見てるのなんて、あたしだけなのにな。

 そんなシキは、人生に疲れたと言っていたわりにご機嫌だ。


「俺様ともなれば、趣味で車も買えるし、運転手免許もとってしまうけどなァ⁉」


 馬ほどでないにしろ、田舎道のせいかガタガタ揺れるし、ガソリンという油の臭いも慣れるまでは少々きつかった。それになにより、自動車なんて高級品が田舎を走っているわけがないから、すれ違う人たちの稀有の目にムズムズしてしまう。


 それでもはやり、タイヤの付いた黒塗りの四角い箱の中に、自分が座っているというのも、そう悪くないもので。ひだのついた膝下のスカートを撫でつけながら訊いてみる。


「あたしも免許ってやつ、取れるのかな?」

「運転したいのか?」

「ちょっと気になる」


 運転席を覗き込めば、足元には二つの踏むボタンがあるらしい。

 そんなあたしの頭を、シキが片手で撫でる。


「なら、学校を卒業した褒美にとらせてやるよ」

「いいのか⁉」

「卒業時の成績によっては、この車も付けてやらんこともない」


 なんだ、この太っ腹な男は!

 財政が苦しいなんて言いながら、やっぱり結構金持ちなのか鶴御門家。


 いつになくシキの横顔をキラキラ見つめていると、彼がただでさえ高い鼻を鳴らす。


「ちょうど、新しい車に買い替えたかったしな」

「ん?」

「今度は何色にするかな。赤なんてどうだ?」


 ……お下がりを押し付けたいだけかよ!

 でも、お下がりの中古品とて、手が出ない人がやまほどいる代物である。


 ありがたい話に違いないと、気分転換に窓を開けてみる。

 油の臭いと入れ違いに、澄んだ空気が胸を膨らます。


 だけど、この田園風景……妙に覚えがあるような……。

 そんなときだった。途端、車体が大きく揺れる。


「なんだ、シキ⁉」

「嫌な予感がするな」


 シキが懸命に足元のボタンを踏んで、レバーをカタカタ動かしている。

 だけど、車の速度はどんどん遅くなっていき。

 次第に、うんともすんとも動かなくなった。


 シキが苦い笑みを浮かべる。


「エンストだな、こりゃ」

「エンストって?」

「まぁ、車が故障して動かないってことだ」

「ダメじゃないか、それ⁉」


 慌てるあたしをよそに、シキが満面の笑みで告げる。


「お前が押せ」

「なんで⁉」

「こんな場所に車を捨てていけるはずがないだろう」

「あたし、女だぞ⁉」


 別に女なのだから敬えというわけではない。

 というか、二人で押そうと頼んでくるなら、多少の嫌みを言いながら喜んで手伝ってやる。


 だけど、こいつの言い方はあたし一人でってことだよな?

 ただ、どうしても体格差や筋力差に性差というものはあるわけで。そこを鑑みれば、男であるシキが押すべきなのではなかろうか。


 それなのに、シキは笑みを崩さない。


「でもお前、免許持ってないだろう?」

「……まあな」

「エンジンを踏んでいる間に、動くかもしれないからな。一人はここでいつ動いてもいいように備える必要があるわけだ」

「押しているだけなら、あたしがやってやるよ!」


 途端、シキの表情がキュッと険しくなる。


「愛しいお前を犯罪者にするわけにはいかない」 


 もうこいつ、ぶん殴っていいかな? 

 あたしがわなわな震えていると、シキがあからさまに嘆き始める。


「あぁ、俺はこんなところに愛車を捨てていなければならないのか! こんなところに置いて行ったら、あっという間に盗まれるだろうな。あるいは部品ごとに分解されて売り飛ばされるか……あーあ、俺の宝物だったのになぁ。それを愛しい恋人への贈り物にするという俺様の夢がああああああああ」

「あああああもう、わかったよ!」


 あたしは威勢よく扉を開けて、自動車のお尻を思いっきり押す。

 なんとか、ゆっくりとだったら動かせるか?


「ふぐうううううううう」

「はっはー。がんばれー」

「うるせえええええええ!」


 気のないシキの声援への怒りを力に、あたしは精一杯踏ん張るものの。

 ……まぁ、五分が限界だよな。


「ほら、五分だけ休憩をとらせてやる」

「ほんとおまえは意地が悪いな⁉」


 だけど、車から降りてきては差し出してくれた水筒を、あたしはありがたく頂戴する。


 中身は麦茶だった。もうぬるくなってしまっているけど、それでも美味い。

 あたしは一気に飲み干してから、なんとなく世間話をしてみる。


「そういや、教員免許も持っている言ってたよな? 資格とるのが趣味か?」

「万が一、陰陽業で食っていけなくなったときに、俺が稼げないじゃしょうがねぇだろ。何人食わせていかなきゃならないと思ってるんだ」


 あたしが空になった水筒を返せば、ひっくり返しても何も出てこないそれに、シキは少しがっかりしていた。ざまあみろ。


 それはともかくとして、あたしは口を手で拭いながら小首を傾げる。


「え? もしや、百人全員?」

「それができたら理想だが……他に行く当てがないやつらだけでも、二十数名はいるからな。そいつらだけでも、俺が食わせていかねーと」

「……でも、人生に疲れたと」

「うるせー。誰にだって休暇は必要なんだ!」


 空になった水筒で、軽く小突かれたときだった。


「ユリエ?」


 呼ばれた声に、振り返れば。

 そこには、坊主ゆえにまつげの長さが際立つ見慣れた青年の姿があった。

 丈の短い着物にステテコを履いた彼が目じりにしわを作る。


「こりゃあ、派手な出戻りだなぁ」

「トウヤ!」

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