第25話 蛍の光も流れ始めた
あとを追われてたか……‼
どうやら現場をはっきりと見られてしまっていたらしい。
タイチに掴まれた腕が痛い。
だけど、それに怯んだりするあたしではない。
「ちゃんと持ち主には返すけど、それはあの男ではないよ」
「なんで――」
こんな修羅場に、やはりフロックコート男も気が付いてしまったらしい。
無理やり掲げられたがま口を見ては、ポケットを探り、舌打ちしている。
このまま逃げるか? それとも、取り戻そうとしてくるか?
後者を選ばれると面倒だ。
そう判断したあたしは声を張る。
「ねえ、この人、お巡りさん」
すると、その男はそそくさと動物園の出口へ。
真に悪そうやつを見逃したことになるけどね。断じて同業者の情けではなく、単にあたしの保身を優先させただけのこと。
少なくとも、このお巡りさんはあたしを見逃してくれなさそうだから。
「どういうことだ?」
「どこかに逃げたりしないから、とりあえず行きたい場所があるんだけど」
あたしが顎で事務所を指せば、タイチは黙って腕は下ろしてくれる。
あたしの手首をまるで手錠のように掴んだまま。
ま、やることやれれば構わないけどね。
あたしは必死に訴え続けている老夫婦に声をかけるだけだ。
「ねえ、失くしたのって、このお財布?」
リンッと愛らしい鈴の音が鳴る。
すると、ずっと泣きそうな顔をしていただろうおばあさんの顔がほころんだ。
「あぁ、それだよ、それ……」
そのとき、ふっと手首にかけられていた圧力から解放される。
チラッと後ろを見れば、タイチが奥歯を噛み締めていた。
あたしは気にせず、おばあさんにがま口を手渡す。
「もうおばあちゃん気を付けなよー。鈴が可哀想に泣いていたよ?」
「ふふっ。子供の頃、母からもらった大切な鈴なの。ありがとう。本当にありがとうね」
(ありがとう!)
あたしたちが立ち去る間際に、鈴の音が聞こえた。
「どういたしまして」
事務所を離れるときまで、タイチはだんまりのままあたしの後ろに立っていただけだった。
このまま帰らせてもらえないかなー、なんて思っていながら出口のほうに向かおうとするも、やっぱり腕を引かれてしまう。
「まだキリンを満足に見ていないぞ」
「……もう蛍の光も流れ始めたようだけど?」
「すぐそこだ。もうひと目覗くくらいの時間はある」
なんたる強引さだ。まぁ、優男に見えてもエリート警察官だからね。たとえ女に不慣れでも、犯罪者となれば話は違うのだろう。
「さっきのお財布は、見ての通り落とし物を拾っただけだけど?」
「だけど、僕は君が男のポケットからあの財布をとっているのを見た」
「あたしはあくまで、取り返してやっただけさ」
「君は……何者なんだ?」
そう問われてしまえば。
あたしはもう、タイチの手を振り払うほかなかった。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ」
どうにも、いつものような覇気が出ない。
こんな寂しい気持ちで口上をあげたのは、初めてだった。
「一見ただの美少女なれど、その正体は天下の大泥棒の末裔――石川ユリエ」
タイチは何も言わず、真剣にあたしの言葉を聞いてくれている。
そんな彼に、あたしは最上級の笑顔で告げた。
「だからあたしたち、もう会わない方がいいかも」
そのときだった。背後から仏が恋したような耳障りが良すぎる声が聞こえる。
「ユ~リエ♡」
その美しすぎる貴公子の声が、とても怖い。
おそるおそる振り返れば、いつもより色気を倍加させた銀髪の貴公子のこと、鶴御門シキが眩しすぎる笑顔を浮かべていた。こいつにとって、夕陽はただの後光。年頃の女の子たちが奥で倒れているのは気のせいだろうか。
せっかくなので、あたしも全力で媚びてみせようか。
今日に限っては、渡りに船だしね。
「あら、シキ様♡ もしかしてわたしを迎えにきてくれたの♡」
「はは、勿論だ。驚いたよ、家にいるように言ったはずなのに、まさかこんな場所にいるとは」
「一日たりとも学問を欠かしたくなくて、学校に行ってしまったの。だってあなたにお金を出してもらっているんだもの。期待には応えたいわ♡」
「俺のユリエは本当に真面目だなぁ……動物の生態まで学びに来ているとは」
直後、シキの声音が急降下する。
「それで、盛った男についての勉強は終わったのかい?」
「なっ⁉」
とばっちりも甚だしいタイチが狼狽える隙に、あたしはシキの腕にしがみつく。
「今から帰るところだったの」と上目遣いをしてみれば、あたしを見下ろすシキの瞳は冷めきっていた。
「それじゃあ、寒くなる前に帰ろうか」
視線はともかく、シキはいつも通りあたしの腰に手を回し、出口へと向かう。
よしよし、色々うやむやに出来たな。
内心ほくそ笑んでいると、後ろからタイチの声が聞こえた。
「やはり、あなたにそんな呪われた家は相応しくない!」
……呪われた家?
おそらく鶴御門のことを指しているのだろう。たしかにおばばに冤罪で警察呼ばれたりとろくな目に遭ってはいないし、財政は厳しいようだけど……そこまで言うほどか?
チラリと振り返れば、タイチが固くこぶしを握っていた。
「必ず、僕があなたを救いだしてみせる!」
あれだけのことがあったのに、やっぱり何を勘違いしているのだろうか。
退園合図の蛍の光が、やたら物悲しく聴こえる。
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