第23話 は、破廉恥な


 ゾウは「パオーン」と鳴かない。


 そんな現実にちょっとショックを受けつつも、あの巨大な背中には乗ってみたいなと思いながら、動物園の像を見ていた。


「あのパタパタ動く耳が案外かわいいな、とあたしが思うように、今日参観に来ていた殿方たちも、『あの令嬢のペンを持つ手が華奢だな』みたいに思っていたのでしょうか」

「……申し訳ない。返答すべき言葉が見つからない」


 というわけで、なぜかあたしは若きエリート警察官である虎丸とらまるタイチと、帝都動物園に来ていた。


 天下の大泥棒・石川ゴエモンの末裔が、どうしてこうなった⁉


 本当にあのまま、あの足で来たのである。とはいっても、人力車で運んでもらってきたのだが。馬車や自動車よりは手軽とはいえ、、人力車も財布の余裕がないとなかなかできないことである。


「しかし、タイチもお金持ちなんだね」

「普段ならあまり誇りたくないことだが……実家の太さなら、鶴御門より安牌だろう。僕も警官である以上、殉職した際の退職金は大目に出るし、今後君に生活の苦労はさせないと誓おう」

「ゾウさんの前でいきなり暗い話をするのはやめてもらえます?」


 パオーンとは鳴かないけれど、ウォーンとは鳴くようだ。


 管楽器のような迫力に思わず拍手をしていると、隣のタイチがやっぱりあたしに見惚れていた。


「そんなに、僕のことを大事に思ってくれていたとは……」


 本当、こいつの前向きすぎる解釈は生きていて楽しそうだな。


 平日の夕方近くということもあって、比較的空いている。

 あたしたちのような男女より、老人やこどもの家族連れが多かった。観光かな。


 そんなのんびりとした空気の中、せっかく来たんだしとあたしはパンフレットを広げる。


「せっかくだからキリンでも観に行きましょうか。あとカバもいるらしいですよ!」

「君は大きな動物が好きなんだな」

「石川ユリエです」


 急にあたしが名乗ると、タイチが「えっ?」と目を丸くする。

 思いのほかこどもっぽい顔に、あたしはクスッと笑った。


「だから、あたしの名前は石川ユリエ。ユリエと呼んでください」


 一応、多少の猫かぶりはしつつ。

 本当は、本名なんて明かさないほうがいいのだろうけど。


 でも、学校に問い合わせたらすぐにバレること……というか、もうすでに知っていそうな情報だし。いまさら隠す必要もないだろう。


 一方的に名前を呼び捨てにしているのも気持ち悪いしね、という心持ちの提案に。

 やっぱりタイチが顔を真っ赤にしていた。


「は、破廉恥な」


 ……おまえは春画を見た女子か?

 一周回って、ちょっと愉快に思えるようになってきた。


 少しからかってやろうとあたしが「こっちみたいですよ」とタイチの手を引けば、彼があわあわ慌てふためく。


「そんな、心の準備が……」

「タイチは女性とデートしたことないの?」 


 あたしの何気ない問いかけに、タイチは食い込むように答える。


「当たり前! ……なのは、男として情けないのかもしれないが……」

「タイチも女性アレルギーとか?」


 色男のくせに最近まで女性と食事すらしていなかった腹黒野郎を思い浮かべながら尋ねれば、タイチの眉間にしわが寄る。


「なんだ、その奇病は。聞いたこともない」

「痒くなってない?」

「痒くない!」


 やっぱり、シキの女性アレルギーは帝都でも一般的ではないらしい。やっぱり本人が過去の珍事件でトラウマになっているだけかな。どんまい。


 それはそうと、あたしはタイチの顔をニヤニヤ見上げる。


「けど、顔は赤いね?」

「……少々恥ずかしいだけだ」

「無理しなくていいんだよ?」


 あたしが調子に乗って、タイチの顔を覗き込みながら口角を上げていたら。

 掴んでいた手が動かされる。タイチはその手を自分の頬まで寄せては、おそるおそるあたしの手の甲に頬釣りしてきた。


「これでも信用できないと?」

「あ、ごめん……」


 なにこれ、かわいい……‼

 子供たちの「かわいい!」という声が聞こえてくる。彼らが見ているのはレッサーパンダという毛の長い狸みたいな動物のようだ。


 だけど、このエリート警察官も負けじとかわいいぞ‼


 思わずあたしも照れて俯いてしまうと、タイチが声を震わせながら手を引いてくる。


「ほ、ほら。キリンを観に行くんだろう?」

「う、うん……」


 タイチの握力が、痛いほどではないけど、けっこう強い。

 胸がバクバクうるさいのは、気のせいだろう。……多分ね。

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