第20話 俺様を泣かせてみやがれ

 あたしがシキの腕の中でわなわなしていれば、当然のように彼を取り囲んでいた女生徒たちが「きゃあ♡」とよりいっそう色めきだす。


 せっかくネネ嬢のおかげで気持ちよく一日を終えようとしていたのに!


「どうしたんだよ、おまえ!」

「恋人を迎えに来てはいけないのかい?」


 ……そんなにいいですか? この胡散臭い陰陽師からの抱擁が。

 やはり見た目か。見た目なんだろうなー。


 改めてシキの美貌に感心していると、ネネ嬢が苦笑している。


「あらあら、嫉妬してしまいますわね」

「すまんな。また今度貸してやるさ」


 ん? あたしはおまえの所有物なのか?

 だけど、それに憤る間もなく、やっぱり腰に手を回したシキに無理やり促され、あたしはいつもの鶴御門家の馬車に乗せられることになる。


 しっかりと扉が閉められたのを確認してから、あたしはふんずり返った。


「なんだよ、迎えにくるほどあたしが心配だったのか?」

「ある意味な」


 言うと同時に、シキがバッと手を伸ばしてきた。


 慌てて身を引くも、彼が掴んだのはあたしの鞄で。

 容赦なくひったくったかと思いきや、問答無用で中身を確認する。


 教科書やノートを捲るたびに、彼の顔がどんどん険しくなった。


「……お前、やる気あんのか?」

「がんばって授業を聞いてたさ」


 正直なところ、授業の内容は本当に難しかった。

 まだ裁縫だ、花だ、実技はかつての母親の教えでついていけた。


 だけど、座学の難しさといったら。歴史とか石川ゴエモンにまつわる色々しか知らないし。外国の産業とか、多少は耳にしたことあるけど、いつ誰が来訪したとかはサッパリだし。


 でも、わからないなりに、一生懸命聞いていたんだ。

 それなのに、シキはあたしのノートを突きつけてくる。


「それなら、どうしてまっさらのままなんだ?」


 文房具など、必要なものは一通りシキが……というか、マリアさんが用意してくれていた。それはもう、見たことがないくらい真っ白な紙のノートだ。


 そんなもの、使えるわけがないよね?


「もしかして、文字の読み書きができなかったか?」

「いや? 小テストはちゃんとやったけど」


 あたしはシキから鞄を取り返し、「はい」と見せてやる。


 それは、熟語を答える問題だった。

 結果は半分正解で、平均点より少し下。

 だけど、編入初日としては合格だと、あのザマス先生にも「まずまず」と褒められたのだ。


 もちろん、ネネ嬢にも見せたら「あなた変なところ知識ありますのね」と感心されたくらいである。ネネ嬢は当然のごとく満点の用紙を見せてくれたが。


 それなのに、シキの顔は険しいまま。


「テストは初日ということで大目にみよう。だが、ノートすらとってないとはどういうことだ? 板書を写すのもれっきとした勉強だろう」


 シキの言いたいことがわからないわけでもない。学費を出してやっているからには、しっかりと学べということなのだろう。


 シキが嘆息してから、あたしを見る。


「いいか。俺様はこれから、お前をどうにか鶴御門家の嫁まで仕立て上げるつもりだ。その前に、婚約者――だが、婚約者といっても元老どもを納得させるだけの肩書が必要なんだ」


 どうやら、あたし婚約者化計画は着々と進行中らしい。

 そこに、相も変わらずあたしの意志はない。


「あたしは別に、おまえの婚約者になんかならないでも……」

「今すぐ警察に突き出してもらいたいのか?」


 なんたる横暴。あたしの人権はどこにいった?

 ともあれ、あたしがメソメソしたところで、この腹黒男が改心してくれるはずがない。


 彼はあくまで、あたしのあやかし探知能力のため、学校でなるべくいい成績をとるように、そして学をつけて根本的な知識の向上を図るように力説してくる。


 だけど、あたしにだって言い分があるんだ。


「だって、もったいないじゃんか……」

「はあ?」


 正直なところ、勉強はきらいじゃない。むしろ楽しいまである。

 だけど、それとこれとは話が違う。


 シキは忘れているかもしれないが……あたしは没落して田舎に逃げた親の娘だぞ?

 そこでどんな生活をしていたのか、きっとこの男には想像ができないのだろう。


 ……ま、あたしもわざわざ語る気もないけどね。


「きれいに使えば、また他のやつらにあげられるだろう?」

「鶴御門はそこまで貧乏じゃねーよ」


 そういう問題じゃない。

 ただ……これは育ちの違いってやつなんだろうな。シキは自分もまわりも貧乏だという環境に身を置いたことがないのだから。使えるものは、みんなで大事に使いまわす。そんな考えをしたことがないのだろう。


 別に、シキが悪いってわけじゃないしね。あたしは責めるつもりもない。

 そんなシキが、ふんっと鼻を鳴らした。


「……安心しろ。諸経費はすべて俺様の私財から出ている」

「は?」

「だから、この教科書も、ノートも、筆記用具も、鶴御門家ではなく、この、俺様が、買ってやっていると言っているんだ」

「はあ……」


 やたら恩着せがましく「なんなら、学費や制服代もだな」などと言われたら、さすがのあたしもイラっとする。おまえが、通えって言うから通ってやってるんじゃないか!


「お前がこの教科書に線を引けば引くほど、お前が何冊もノートを使えば使うほど、俺様の財布が寂しくなっていく。お前、俺様のことが嫌いだろう?」


 そしてシキは、黒い笑みを浮かべた。


「どんどん消費して、俺様を泣かせてみやがれ」


 ……あぁ、こいつは。

 わざわざ、あたしが気に病むことがないようにと、敢えて偏屈な言い方をしているらしい。


 悪ぶりやがって。不器用なやつ。

 あたしは思わず噴きだした。


「それじゃあ、どんどん汚してやらないとな」

「その代わり、毎日俺様が確認するからな。落書きでもしてみろ。その日の夕飯はお前が煮干しをしゃぶっている横で、うなぎを食べてやる」


 その日、夕飯に連れていかれた場所はうなぎ屋だった。

 あたしが美味いものを知らなければ、シキの嫌がらせが効果を発揮しないということだ。


 白焼きよりかば焼きのほうが美味しいと言ったら、貧乏舌と笑われたけど。

 解せぬ。タレご飯だけでも三倍はいけたのに。




 その後は、ありがたくノートは使わせてもらうようにした。

 やっぱり教科書に線を引くのは憚れるんだけどね。そこはシキも追及してこず、代わりに帰りの馬車で、いつも授業内容の説明を求められるようになった。


「おまえは先生なのか?」

「尋常小学校の教員免許なら持っているぞ」

「無駄にすげーな」


 そんなこんなで、一週間。

 だいぶ学校にも慣れて、ネネ嬢との戯れも楽しい。


 毎日シキが迎えにくるのでなかなか実現できないが、そろそろ放課後にネネ嬢と喫茶店に行きたいところである。友達の寄り道なんて、風情があるじゃないか。


 そんなことを考えながら、あたしが鶴御門のいつもの離れで目覚めると。

 シキがいないのは、いつものこと。


 だけど、お水を持ってきてくれたマリアさんがいつもと違うことを言ってくる。


「ご主人サマが、今日は学校をお休みするようにと」

「どうして? 今日も授業があるはずだろう?」

「さあ、マリアは理由までは……」


 行くなと言われても、今日は刺繍を仕上げて提出をしなければならない。

 宿題で持って帰ってきたのを、昨日夜遅くまで起きて進めていたのだ。


 作ったいたのは、鶴である。

 別に、指定は『動物』とだけだったからな。だったらと思いついたのが鶴だっただけ。まぁ、最近寝泊まりしているのが鶴御門家だし。ただ、それだけだ。


 ……これを未提出で、成績を下げられるのも癪だよなあ。


「まあ、いいや。とりあえず行ってくるよ」


 実際、学校に着けば。なんだろう、いつもより校舎に活気があるような気がする。

 その理由をネネ嬢に聞こうと思っても、ネネ嬢が登校することはなかった。


 朝礼のザマス先生によれば、「兎橋さんは家のお仕事のためお休みです」とのこと。それに、どうしてクラス中のみんながニヤニヤし始めるんだ?


「石川さん! あなた、今日日直ですわよ!」

「あれ、そうでしたっけ?」


 朝礼のあと、ザマス先生にプリントの配布を手伝わされるのはいいのだけど。

 裁縫の授業が始まって、さあ自慢の刺繍を仕上げようとしたときだった。


 鞄の中にしまっておいたハンカチが、ボロボロに切り刻まれていた。

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