3章 女の園は、意外と楽しいものでした。

第18話 勉強してこい


「――ということで、お前がやる気になれば予想以上に使えると確信したので、本格的に俺様の婚約者を目指してもらう」

「拒否権は?」

「あるわけないだろう」


 婚約者……恋人からなんか変わったなと思いきや、どうやらあたしの空耳ではなかったらしい。まじかよ……下手に令嬢らしい振る舞いもできると明かしたのが悪かったのか。本当に鶴御門の嫁にまでなっちまうのかよ……。


 その日も夕飯をご馳走してもらったあとにあたしが店先にいた野良猫とじゃれていると、シキも猫に手を伸ばしてくる。


「お前、学歴は?」

「尋常小学校までだけど」


 実家は落ちぶれた農家のあたし。如何に母親が華族かぶれていようとも、お金がなければ学は得られぬ。ということで、公では最低限の義務教育しか受けていない。


 すると、猫に思いっきり逃げられたシキは吐き捨てるように言った。


「論外だな。勉強してこい」




 というわけで、なぜか、あたしはセーラー服に身を包んでいた。頭にも帽子を被らなければならないため、シンプルながら手の込んだ一つくくりにされていた。


 さすがはマリアさん。

 見た目だけは立派な高等女学校の生徒である。


「そのはずなのに、まわりからの視線が痛いなー」


 それもそのはず、だってあたしは珍しい編入生扱いとされているのだ。


 いや、いきなり最高学年って?

 たった一年通うだけで、堂々と令嬢顔できるなんて、なんてお得なのだろう。


 もちろん学費は、全部シキが持ってくれるらしい。

 その見返りが、以下である。


「あれが……」

鶴御門つるみかど家の婚約者候補……?」


 そう、ジロジロと観察されるだけ。なんて美味しい話なのだろう――あたしはそう思い込むことにする。これでも、あたしは楽観主義者なのだ。


 ……場違いなのは、こないだ怒られたので考えないようにする。


 しかも通う学校は帝都ど真ん中の学集院女学校。選ばれしお嬢様のみ通うことが許される有名女学校である。本当、あたしがこんなことになっているって知ったら、母親は天に舞い上がるほど喜ぶんだろうな……。


 そんないない人はさておいても、下駄箱から職員室に向かうまでの間に、何十人の視線を集めたのだろうか。まぁ、職員室に入っても、先生方の視線もあまり変わらなかったけれど。


 その中で、大きな咳払いをした夜会巻きがやたら高い先生が「石川さんザマスね」とあたしを呼ぶ。


 ザマスって……どこの言葉だ?

 だけど、ザマスな雰囲気に呑まれたあたしは、ザマス先生に案内されるまま教室へ向かった。


「石川ユリエです。よろしくお願いします」


 自己紹介も無難に終わらせたつもりだが、相変わらずコソコソ話は終わらない。


「石川ってどこの華族?」

「地方なのでしょうけど、聞いたことがありませんわね」

「シキ様はどこであんな女性を見つけてきたのかしら?」


 女の噂は怖い。

 さすがお嬢様学校ということで、授業中は静かだったが……休み時間になれば、そんなヒソヒソ話があっさり再開する。


 ……やっぱりあたし、場違いかも。

 教室の隅の席で、嘆息していたときだった。


 ひとりの令嬢が、ツカツカとあたしのそばまでやってくる。

 はて、いよいよ嫌みを言うやつのご登場かと、顔をあげれば。


 見知った顔の令嬢が、あたしの頭を扇子で軽く叩いてきた。


「いつまで下を向いてますの? わたくし、そんな姿勢を教えてませんことよ?」

「ネネ嬢⁉」

「だから、嬢呼びはおやめなさい!」


 美人はセーラー服を着ても、やっぱり美人だった。

 どこでどんな格好をしていても気品が隠せない鶴御門家の分家、兎橋うばしネネ嬢が、今日も背筋を伸ばして、桜色の唇を尖らせている。


 そんな不機嫌面が、とても恋しくて。

 思わず、あたしはその細腰にしがみついた。


 すると、ネネ嬢が慌てだす。


「おやめなさい! 人前ですのよ⁉」

「人前でなければいいの?」

「そういう問題じゃないですわっ!」


 ……うん、段々とネネ嬢の扱いがわかってきた気がする。

 この人、本当にいい人だ。


 だけど、ネネ嬢が来てくれたら、さらにまわりのヒソヒソ話が増えた気がする。


 え? 普通、クラスの誰かが打ち解けてたら、他の人たちも寄ってきたり、雰囲気がやんわりするものじゃない?


 あたしがキョロキョロしていると、ネネ嬢の眉間にしわが寄る。


「本当は、話しかけるつもりありませんでしたの」

「なんで? あたしすごく嬉しいよ?」

「……やればできるのですから、言葉遣いを改めなさい。ここは、そういう場所ですわ」


 口調の指摘はともかく、なぜかネネ嬢の顔が赤い。

 それはともかく、ネネ嬢がそういうならば、あたしも一弟子として従うのもよかろう。


 改めて、言い直すことにした。


「わたしはネネ嬢に声をかけていただいて、涙が出るほど嬉しかったのですよ」

「んんんん⁉」


 どうしてだろう、ネネ嬢が悶絶してしまった。

 しかし、さすがはネネ嬢。すぐさま居と顔を直して、喉を鳴らす。


「あなたはお忘れのようですが、わたくしは鶴御門の婚約者の座を降りたことになりますの」

「あっ……」

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