第16話 それでは、ごきげんよう


 あたしたちが現場へ近づくほんの少しの間に、状況は刻々と変化していたらしい。

 タイチが主催男爵を庇った隙に、日本時計男の標的がほかに移ったようだ。


 それは、明らかに自分よりも弱そうな洋装の貴婦人たち。彼女らの髪飾りを毟り、あげくにドレスをはぎ取ろうとし始めて……それは色々とダメだろう⁉


「日本人の慎みをおまえが貶めてるんじゃねー!」


 あたしが投げた扇子が、暴れる男の頭に直撃する。

 隣のシキの「お前が言うか?」なんてツッコみは聞こえない。


 そんなときだった。あたしの目の端に、ひらりと一人舞う令嬢の姿が映る。

 その舞は、日本舞踊のよう。だけど着ている服や彼女の特有の色彩が淡いせいか、和洋折衷の情緒がよりいっそう彼女の……ネネ嬢の美しさを引き立てていた。


 彼女の美しさに目を惹かれたのはあたしだけではなく、会場中の人が感嘆の声を漏らしていた。暴れていた日本時計男もまた例外ではなく。


(この売国奴がああああああ!)


 より一層怒りを増して、ネネ嬢に狙いを定める。


「ちょっと何やってんの⁉」


 あたしが叫ぶと、ネネ嬢がこちらを見て目を細めたように見えた。

 だけど、それは刹那のこと。彼女はひらりとスカートを翻し、ひとり中庭のほうへと逃げていく。もちろん、日本時計男もまた雄たけびをあげながら追いかけていってしまうけど。


 すると、シキが走りを緩めた。しかも中庭に向かうのではなく、怯えて腰を抜かしていた主催者の男爵に「大丈夫ですか?」と男すらときめく笑顔で手を差し伸べている。


「お前何やってんだ⁉」

「何って……被害者の手当てに協力しようとしているのですが?」

「ほんとサイテーのクズ野郎だな!」


 被害者の前に、今なお襲われている婚約者を助けに向かうべきだろうが!

 多少見直したりしたところもあったけど、もう知らない!


 あたしはそれ以上何も追及せずに、慌てて中庭に向かう。

 警備の人がネネ嬢を助けてくれていることを期待したものの、一本の外灯以外、ネネ嬢の助けになる人は見受けられなかった。


 それどころか、ネネ嬢のスカートの裾が相手に踏まれ、まさに殴られようとしている。


 そんなの、あたしがさせるかっ!

 なんとか着いたあたしが身体を滑り込ませれば、相手のこぶしは目の前で。


 ――あ、これ思いっきり殴られるやつ。


 あたしが覚悟して目を瞑ったときだった。


「わたくしも鶴御門つるみかどの一門、兎橋の血を引く者――舐めるのも大概にしなさい!」


「破ッ」と凛とした声が聞こえたと思いきや、暴徒がバリバリと感電していた。


 これ……ネネ嬢がやったのか?

 あたしが呆然としている間に、男が目の前で倒れ伏せていた。


 急いで彼の首元を確認すれば、黒焦げになってしまった懐中時計が落ちる。

 もう、あやかしの声も聞こえないや。


 だけど、今回ばかりは仕方ないかもしれない。

 別に何も悪いことしてないのに、一方的に売国奴なんて恨まれても……それが、次代の流れってものだろう? 外からイイものを取り入れて、何が悪いというんだ。


「こいつにも、ネネ嬢の美しさがわかればよかったのにな……」

「あなた、いきなり何をおっしゃってますの⁉」


 しゃがんでいたあたしの頭上で、ネネ嬢が声をひっくり返らせている。

 あたしはやれやれと膝を叩いて立ち上がった。


「そりゃあ、可憐で優しくてきれいなお嬢様だと……」

「……わたくしもれっきとした陰陽師です。あやかし祓いの術だけでしたら、当主にも後れをとるつもりはなくってよ」


 たしかに分家なら陰陽師であってもおかしくないよな。

 頭からすっぽり抜けていたことは否めず、むくれることしかできないけれど。

そんなあたしに、ネネ嬢は凛々しく襟元を直しながら、「あと、ついでだから言っておきますが」と唇を尖らせていた。


「シキ様を昔からライバル視はしていても、恋慕など抱いたことはございません。だからわたくしのことは気にせず、お二人は存分に愛し合ってくださいまし」

「へ?」


 あたしが疑問符を返せば、外灯に照らされたネネ嬢の顔が赤く染まる。


「あなた、わたくしに気遣いするならもっとわかりづらくしなさい。別にわたくしはシキ様からの寵愛なんてこれっぽっちも望んでいませんの! 変に罪悪感持たれて、わたくしのほうが申し訳ない気持ちになってましたわ!」


 えぇ~、だって、だってネネ嬢はシキの昔からの婚約者だって!

 鶴御門家の人たちからもお祝いされていた仲なんだろ?


 それなのに、ネネ嬢がぼそっと呟く。


「むしろ、ちゃんと意中の相手ができたようで嬉しく思っていましたのに」

「は?」


 だけど、あたしが嬉しい意味を追求するよりも先に。

 諸悪の根源、鶴御門シキがパチパチと拍手しながら近づいてくる。


「さすがネネ殿。ユリエへの啖呵も含めてお見事でしたね」

「猫被るのも大概にしてくださいませ。人払いは済ませておりますので」

「あぁ、ご苦労」


 途端、シキが偉そうに鼻を鳴らせば、ネネ嬢は諦めたように嘆息を返す。


「あやかしの気配がしていたのなら、早めにおっしゃってください。人に宿られては、御当主様レベルの術者でないと、なかなか気づけませんのよ?」

「ネネがどのくらい成長したのか確認しておきたかったんだ。すまなかったな」

「まったく、心が籠っておりませんわ」


 たしかに、ヘラヘラ笑っているシキから謝罪の意は欠片も感じられないけれど。


 ……あれ、おかしくないか?

 シキも腕時計にあやかしが宿っているって、気が付いてなかったような?


 だけど、ネネ嬢はそこに気が付くことなく、不満そうな顔をしていた。


「それにしても、こんな野蛮な方をシキ様が選ばれるとは思いませんでしたわ」

「奇遇だな、俺も意外だ」

「そんなに……わたくしでは役不足でしたか?」


 それは、まさに『婚約者』についてだろう。

 その問いに、シキは思いのほか優しい顔をしていた。


「そういうわけじゃないのは、お前が一番わかっているだろう。俺の目指す家の形に、分家のお前だとそぐわないだけだ」

「前々から、あなたが元老様たちに反発してましたからね。わたくしの教育係を頼んできたということは、正式に彼女と婚約するおつもりで?」


 その問いかけに、シキは真面目に頷いてから。

 クスッと、意地悪く苦笑した。


「ただ、言うほどこいつも悪くはないぞ?」

「……そのご感想は、ちょっとだけ同意いたしますわ」


 え、なんだ?

 途中から何を話しているのかサッパリなんだが?


 だけど、ネネ嬢の中では全部解決してしまったらしい。

 華麗な所作で扇を広げて、自身を軽く仰ぎ始める。


「それでは、後始末はお任せしてもよろしくて? さすがに朝から働きっぱなしで疲れてしまいましたの」

「あぁ、ご苦労だったな。またユリエの教育を頼む」


 すると、ネネ嬢の険しい視線があたしを捉えて。

 思わずビクッと肩をすくめると、彼女が扇の向こうで笑った気がした。


「今度こそ、二人でゆっくり喫茶店を楽しみましょうね」


 そして、ネネ嬢があたしなんかよりよほど綺麗な淑女のお辞儀カーテシーを披露し、「それではごきげんよう」と優雅に帰ってしまった。

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