第15話 僕なら、もっと貴女を


「どうして、ここに?」


 思わず、あたしは虎丸タイチという若い警察官に尋ねてしまう。

 警察官と言っても、彼も今はお洒落なグレーのタキシードを着ていて。赤い蝶ネクタイが妙に似合っている。こうしてみれば、シキほどじゃないにしろ背も高いらしく、なかなか目鼻立ちも整っているようである。


 あたしが呆然としていると、シキがそっとあたしの背中を押してくる。


「俺は仕事の話をしてくるから、遊んでもらっといで」

「ふん、貴様より満足させてやるさ」

「近頃の若い者は……もう少し言葉を選ばないのか?」


 シキは呆れるようにぼやいてから、本当に踵を返してしまった。

 近頃の若い者って、おまえもそう変わらないだろうが。


 それはさておき、残ったタイチが「それでは、御手を」と嬉しそうにあたしに手を差し出してくる。……なんか、犬に懐かれたみたいだな。餌をやった覚えはないんだけど。


 ともあれ、こうなっては踊るほかないだろう。あたしは空気を大事にする主義なのだ。


 タイチも踊れるとはいえ、無難なステップを繰り返すだけのようである。

 そういや周りを見渡しても、まともに踊れているやつらは少ないな。ただフラフラしているだけというか……それに比べたら、シキもタイチもずいぶんしっかりとした教養を受けているようである。当然、自然とそれについていっているあたしもね。


 ネネ嬢は……特に誰とも踊らず、貴婦人らとの談笑に混じっているようだ。

 踊りながらそんな観察をしていると、タイチがふっと口角をあげてきた。


「やはり、あなたはしっかりとしたご令嬢だったようですね」

「それより、どうしてあなたがここに?」


 こいつが何を勘違いしているのか知らないが、あたしが泥棒であることがバレたらまずいのは事実。なので多少わざとらしくとも話を逸らせば、タイチは少し目を丸くしながらも、優しい声で答えてくれた。


「今日は父の名代として……ですが、貴女に会えるのなら来てよかった。あれからまた嫌な思いをしておりませんか?」


 嫌な思い……うーん。

 それなりに毎日美味いものは食べさせてもらっているし、こうしていい物だって着せてもらっている。屋敷の中の居心地は相変わらず良いものではないけれど、マリアさんはいい人だ。


 だけど、なんとなく肯定しづらくて答えずにいると、タイチの眉間にしわが寄った。


「やはり、気苦労が多いのですね」

「あまり……歓迎されていないようなので」


 途端、タイチがグッとあたしを引き寄せてくる。

 もうステップどころではない、力強さで。


 タイチはまわりも憚らずに声を張った。


「あ、あの浮気野郎のどこがいいのですか⁉ ぼ、僕ならもっと貴女を――」


 そのときだった。あたしたちの踊っている脇で、何やら騒動が起こった様子。

 どうやらまた、主催者の男爵が誰かに喧嘩を売られているらしい。


 あれは……昼間あたしが放り捨てた男だな?

 首にかけた懐中時計がポケットからこぼれて揺れている。


 だけど、夜だからだろうか。

 薄皮一枚向こう側から、誰かの声が聞こえる。


(日本の心を忘れた売国奴が!)


 そんな光景に、タイチは「失礼します!」と真っ先に駆け出していく。

 騒動の仲裁に入るようだ。おー、警察の鑑だね。


 もちろん、あたしや他のやつらも含め、しばらくはダンスどころではない。

 さて、あたしはどうしようかな……。

 様子をうかがっていると、そっと近づいてきたシキが耳打ちしてくる。


「お前、あの話は本当なのか?」

「あやかしの声が聞こえるってこと?」

「また何か聞こえたのか?」

「日本の心を忘れた売国奴……あの腕時計に嫉妬しているんじゃないかな?」

「日本での腕時計の生産はこれからだというからな」


 つまり、昼間から暴れているはた迷惑なオジサンの懐中時計が、海外製の腕時計に喧嘩を売っているのかな?


 ……種明かしをすれば、本当に酔っ払いの喧嘩と変わらないね。

 あたしは腕を組んで苦笑する。


「まあ、あやかしに違いないと思うよ」

「俺は倒すぞ」

「あたしはあるべきところへ還す」


 あたしたちは、互いに視線を合わせて。

 走り出したのは同時だった。


 さあ、どちらが先に祓うか、勝負だ!

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