第11話 ユリ姉かっこいい!
奥の小汚い従業員休憩室に通されても、一切文句を言わないネネ嬢が説明する。
あたしが、鶴御門家当主・鶴御門シキの寵愛を受けているということ。
そのため、現在あたしの淑女教育を分家で年も近いネネ嬢が任されていること。
……ネネ嬢が、正真正銘の婚約者であることは伏せて。
居たたまれない説明にソワソワしていると、女将があたしの背中をバシバシ叩いてくる。
「あんたぁ、どこでそんなイイ男を捕まえたのさあ!」
「……ま、これでも石川ゴエモンの末裔だからね」
女将に得意顔を返すものの、ネネ嬢の視線がやっぱり痛い。
そういや、ネネ嬢はあたしとシキの関係をどれだけ知っているのだろう。
今朝のシキの対応からして、偽の恋人関係とは知らないようだけど。
そんなあたしのために頭まで下げるなんて……屈辱じゃないのかな。
だけど、ネネ嬢は毅然と女将に説明を続ける。
「ともあれ、ユリエ様の生活と教育は鶴御門家と兎橋家がしっかりと保証させていただきますので、ご安心いただければと」
「それはとてもありがたいこと……で、いいんだね?」
「うん、ありがとう。女将さん」
一応、シキとも利害が一致したわけだし。
それに、ただでさえ半年もあたしの面倒をみてくれたのに、これ以上世話になるわけにもいかない。だから、彼女の優しさにあたしが幸せそうに見える笑みを返したときだった。
バタバタと部屋に入ってくるのは、一番にあたしに気が付いたウエイトレスのマリだ。彼女は女将の正真正銘の娘さんで、現在十三歳の中学生。学校が終わり次第、いつもこうしてお母さんの手伝いをがんばっている健気で少しおしゃまな女の子である。ユリとマリで……色んな人から姉妹みたいと言われてね。マリもすっかりそんな気分になったみたい。
そんな彼女が、あたしの袖を引いてきた。
「ユリ姉助けて! 二階のお客さんが暴れているの!」
「ちょっとマリ、ノックくらいしなさい!」
「だってえ~」
母親である女将に口を尖らせるも、相変わらずあたしを頼ってくれるのは嬉しいもの。お姉ちゃん分として、人肌脱ぎたくなるくらいには。
「ネネ嬢、少々待っていてもらえます?」
「構いませんけど、わたくしのことを『嬢呼び』は如何なものかと」
「それじゃあ、ちょいと人助けしてくるね?」
嬢呼びがダメなら……ちゃん付けでもすればいいのかな?
多分もっと怒られそうだな、とか想像しながら、あたしはメイド服に急いで着替える。
喫茶店とカフェーの違いとは。
近頃その区別のないお店も出始めているようだけど、この『カフェー喫茶・アネテ』では客層やメニューに違いがある。
一階が純粋にお茶や軽食を楽しむ店なのに対して、二階は紳士の社交場。珈琲だけでなく、酒やメイド服を着た女を楽しみ場所でもあるのだ。
「だから心配しなくても、あたしここで働いてたんだってば」
「そうだとしても、今やあなたは鶴御門シキの寵姫なのよ⁉」
「お姫様扱いとは、また大袈裟な……」
あたしは着なれたメイド服の裾を翻して、階段を上がる。
面倒になっていた半年間、タダで寝食の世話になっていたわけじゃない。ここの従業員としてしっかり働いていたのだ。
もちろん訳あり従業員の手前、手荒い仕事も喜んで担当した。
「まあ、見ててよ。お嬢様が知らない世界を見せてあげる」
二階のカフェーでは赤い絨毯ではなく、より男性的な緑の絨毯で色分けしている。
珈琲の香ばしさと、お酒と煙草の匂い。その中で、普段は男たちの談笑だったり、メイドの少し余所行きの声が混じり合ってるはずなのに。
今は、男たちの喧騒が上品な空間でぶつかり合っている。
「この、外国製の時計なんてしやがって!」
「ど、どんな時計をしてようが勝手じゃないか!」
いやあ、いかに紳士の場とて、酔っ払いが集まれば喧嘩の一つや二つは起こるもの。
だけど今日に限って、なんて低レベルな喧嘩のことか。
まあ、近頃は外国からどんどん色んなものが輸入されているというからね。懐中時計が主流の日本だが、最近は海外製の腕につける時計が流行り始めた……なんて話も聞く。様々な産業で国内海外が競い合って大変らしいが。そんなのしがない泥棒メイドには関係ないわけで。
あたしはテーブルが倒され、カップがガシャンガシャン割られていくど真ん中に突っ込む。
「はいはーい、お客様。ちょっと落ち着いてー」
「なんだ、このメイドは! 女にゃ関係ねーだろ!」
「いやあ、女に関係ないなら、女がいない場所でやってくれます?」
そんな減らず口、当然気性の荒い男は嫌うもの。
「てめえ!」
と、懐中時計を握りしめたこぶしが迫ってくる。
……大事な腕時計、壊れちゃうぞ?
と、弁償が面倒なので壊さないように注意しながら。
あたしはその腕を器用にいなして、相手の勢いを利用して殴り飛ばした。ちょいと棚に置いてあった調度品が割れちゃったけどね。まあ、暴れるこいつが悪いよね?
ということで、他のお客さんたちの拍手喝采を「どーもどーも」といなしながら、あたしはいつもの滑り台付き裏口へとズルズル引きずっていって。スーツのポケットから財布を取り出し、ざっくり弁償金含めた会計を頂戴してから裏口滑り台へポイッと捨てる。
「はい、おしまい!」
「やっぱりユリ姉かっこいい~!」
抱き付いてきたマリにお札を渡して、あたしの仕事は完了である。
ネネ嬢に「どうだ!」と自慢しに戻れば、彼女の隣には何故か見知った色男までいた。
「シキ、おまえどーしてこんなところに⁉」
「俺もネネから話を聞いて驚いていたところだが……とんでもない女だな、お前」
なんだか呆れられているようだが、きっとこれは誉め言葉。
だってあたしは何にも悪いことしてないからね。これでもあたしは楽観主義者なのだ。
「褒めるなら今日の夕飯も牛鍋でいいぜ?」
「昨日も食っただろうが……今日の気分は魚だな」
「寿司~~♡」
寿司や刺身は好きだ! 美味いものなら何でも良かったりするが、日本人ならやっぱり魚が落ち着く。ゴエモンも時代的に肉より魚を食っていたと思うしね。
そう、特上の寿司によだれを垂らしていたときだった。
「いやいや、彼女は鶴御門の方だったのですなあ」
そう話しかけてくるのは、襲われていた外国製の腕時計をしているオジサマである。
詳しい値段は知らないけど……懐中時計ならいざ知らず、腕に着ける時計なんてハイカラな逸品だ。当然お金持ちなのだろう。
そんな品の良さそうなオジサンが帽子を外して頭をさげてくる。
「改めてお嬢さん、助けてくれてありがとうございます」
「……はあ」
ある意味、ここの迷惑客を華麗に追い出すメイドとして、あたしはこの店の名物だった。
だからというのもあるが……ここまで丁寧にお礼を言われることはなかなかない。
しかも、オジサンは名案とばかりに両手を打つ。
「急に申し訳ないのですが、このお礼に、舞踏会に招待させてはいただけませんか? 寿司はありませんが、上手い馳走やケーキはたくさん用意してありますぞ」
美味いものは好きだけど、パーティーにはてんで興味が湧かない。
だからヘラヘラと断ろうとしたときだった。
「せっかくの機会だ。一緒にお邪魔させていただこうか」
あたしの腰に手を回して、ニコニコと愛想笑いを浮かべていた。
……余計なことを言うなとばかりに、あたしの脇腹を摘まみながら。
どうやら、あたしのお寿司は遠のいてしまったらしい。
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