第10話 紅茶にはけっこう詳しいよ


「どこが息抜きなんだよ~~」

「背筋が曲がるようなら、もっと帯をきつくしてあげても構わなくてよ?」


 マリアさんがまだ戻っていなかったので、結局あたしを着付けてくれたのはネネ嬢だった。


 以前マリアさんが言っていた通り、ネネ嬢は鶴御門家の使用人たちにもひと目置かれているらしく、彼女の一声でたくさんの綺麗な衣装が用意された。


 その中で、ネネ嬢が選んだのは橙色と紺色の女袴。髪には大きなリボンを付けられ、まるで女学生にでもなったような気分だ。ネネ嬢自身も袴を持ってきていたようで、桃色みが強い赤い袴を華やかに着こなしていた。


「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」

「そうですわね……あら、珍しく紅茶も置いてあるのね」


 ましてや、今いる場所は帝都の真ん中の喫茶店『アテネ』。

 木造と赤い絨毯のコントラストが上品な二階建ての人気店である。


 中央階段を昇った先の二階は上客用のカフェーとなっており、あたしたちのいる一階は女同士でも気安い店だ。時間的にも、学校帰りらしい女学生たちが美味しそうにアイスなどを食している。


 その中で、ネネ嬢は「では、セイロンティーを」と上品なものを注文する。

 緑茶はもちろん、外で飲むのも珈琲が増えてきている中で、紅茶はさらにハイカラな代物だ。


 あたしは思わず頬を緩めた。


「おいしいよね、セイロンティー」

「あら、あなた飲んだことありますの?」

「これでも紅茶にはけっこう詳しいよ」

「意外な趣味ですわね……」


 驚いた様子ながらも、ネネ嬢がワクワクしているようにも見える。

 やはり年頃のお嬢様らしく、流行りのものが好きなのかな?


 ならば、こういうものも好きなのではなかろうか――と、あたしがプリン・ア・ラ・モードをこっそり頼もうとしたときだった。


 ウエイトレスが思いっきりあたしの顔を覗き込んでくる。

 ……バレたか。まぁ、本当に隠すつもりなら目の前でこんな喋ったりしないけどさ。


「もしかして、ユリ姉じゃない⁉」

「気のせいじゃないですかね~」

「毎朝起こしてあげていたわたしが見間違えるはずがないでしょ! お母さん! お母さん!」


 その十四歳くらいのウエイトレスが、注文もおざなりに裏へと戻ってしまって。

 対面のネネ嬢が、思いっきり眉根を寄せていた。


「あなた、知り合いなの?」

「まあ、少々?」

「少々じゃないでしょうが、この親不孝者!」


 ズカズカ詰め寄ってきた女将さんに、あたしはメニュー表で思いっきり頭を叩かれる。


 さすがに、これにはネネ嬢も目を丸くしているが。

 あたしは何も反論できない。


 だって、女将さんが目を真っ赤にさせているのだから。


「あんたが帰ってこなくなって、どれだけ心配したことか……それがまあ、こんな綺麗な恰好までして……」


 あぁ、せめて客払いをしてから泣いてほしかった。

 周囲からめちゃくちゃ痛い視線を感じているが、その中でも一番鋭いのはもちろんネネ嬢である。


「どういうことですの?」


 だから、あたしももう観念して話すほかなかったのである。


「ここで、あたし住み込みで働いていたの」


 半年前、じっちゃんのなけなしの金で、親から逃げるように上京してきたあたし。


『母親から帝都帝都言われて、気が進まないかもだけどね……でも、帝都にはいろんなモノが集まるというから。石川ゴエモンの末裔として、自分の居場所を探しておいで』


 そんな言葉に背中を押され、貨物列車に飛び乗ったはいいものの……。

 もちろん帝都には頼れる親族もなく、まともな宿に泊まれる金もなかったあたしが行き倒れるのも時間の問題だった。


 そんな雨の降りしきる路地裏で、あたしを拾ってくれたのがこの女将だったのだ。

 細かな事情も聞かずに閉店後の店で淹れてくれたのが、ネネ嬢の頼んだ紅茶だった。


 初めて飲んだ紅茶のあたたかさを、あたしは一生忘れないだろう。

 ま、その後も住み込み従業員として面倒見てくれていたのに、どっかの誰かさんに無理やり連れていかれたせいで、一週間行方知らずの親不孝者と、泣かれてしまっているのだが。


 でも、あたしも思わず苦笑いをしてしまう。


「いやあ、そんなに心配しているとは思わなかったよ」

「あんたはもう、ほんとそーいうところだよぉ」


 いやあ、だってねえ。実の娘ではない、どこの馬の骨かもわからないあたしが消えたところで……ねえ。こんな心配してくれてるなんて、誰も思わないじゃないか。


 あたしが頬を掻いていると、なぜかネネ嬢が立ち上がる。

 そして粛々と頭を下げ始めた。


「この度は我が本家当主が心配おかけしましたこと、代わりに謝罪させていただきます」

「待って待って待って⁉」


 いや、本当に待って? どうしてこうなるの?

 悪いのシキじゃん! ネネ嬢なんにも悪くないじゃん!


 なのに、ネネ嬢は頭を下げたままあたしを睨んでくる。


「同じ家の者の詫びをするのは当然のことでしょう?」

「そういう問題かな~?」

「そういう問題ですの!」


 だけど、そんなあたしたちの会話の中で、女将も色々と察するところがあったのだろう。


「奥で、詳しいお話を聞いてもよろしいですか?」

「勿論ですわ」


 少し声を抑えながら、女将が裏のほうへと案内し始める。

 そんな様子をぼんやりと眺めていたときだった。


「あなたが来なくてどうしますの⁉」

「さ、さーせん……」

「せめて『すみません』と言いなさい!」


 やっぱりネネ嬢に怒られてしまったあたしも、渋々ついていくことになったのである。

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