第8話 どうぞよろしく!

 マリアさん、ごめん!

 あたしは心の中で謝罪しながら、着物の裾を広げてナイフを掲げる女性客に抱き付いた。


 そのまま床に倒れると、他の客からの悲鳴があがる。

 だけどとりあえず、ナイフを奪わないと――と思うけど、異様に力が強いな⁉


 振り払われるのは、こちらのほう。

 頬が熱いっ、と思ったから、おそらく切られたのだろう。


「どけっ!」


 肩が思いっきり引かれたと思いきや、真剣な顔をしたシキが「破ッ」と二本指を女性に突きつける。


(うががががががががががッ)


 その苦しそうな声が聴こえたのは、おそらくあたしだけだろう。


「やめろよ!」


 思わずシキの手を抱き込むと、女性から霧状にぼんやり見える何かが這い出てくる。


 あやかしだ。その姿が徐々に現実のものとなり、黒髪が異様に長い女性が手足の関節を逆方向に曲げ、四つん這いになっていた。金の瞳孔でぎょろりと周囲を見渡している。


 あたしを背に隠しながら、シキが毒づいてくる。


「なぜ邪魔をした!」

「だって苦しそうだったじゃんか!」

「苦しませるべきだろう! あいつらは忌むべき存在だ!」


 そのあやかしは、キィキィと鳴きながらも、何かを探しているようだった。

 ぎょろりとした視線の先には、壁の絵画。大きな月を切なげに見上げる女性が描かれたその絵を見つめては、キィキィと悲しげに泣いていて。


 こんなあやかしを、無条件に忌むべきとはのたまうのかよ⁉


 ここはレストランの上客が利用する二階部分。お客さんたちは階段になだれ込むように我先にと逃げようとしていた。店員さんたちも怯えた様子は隠さず、必死に避難誘導に勤しんでいる様子である。


 シキがあやかしに対して、再び何かを唱えだす。

 その間に、あたしはシキを突き飛ばして壁にかけられていた一番大きな絵画を抱えた。


「お前、なにを――」


 あたしは躊躇わず、窓から外へと飛び下りる。

 ここは二階だ。着地したときに足が痛いが、別に死ぬわけではない。


「ほら、お望みのお月さんだよ!」


 グッと堪えて、あたしが絵画を月へと掲げたときだった。

 あのあやかしの「キィ」とした鳴き声が聞こえたかと思いきや、絵の中から黒髪の女性が這い出てくる。そして、彼女はそのまま月へと舞い上がっていき。


(ありがとう)


 私を見下ろして、ゆるやかに微笑んだかと思いきや、月夜へと溶けていく。


「これは……」


 あたしが飛びおりた窓から、シキが呆然とあやかしが消えた空を見上げている。

 今までで一番間抜けな色男に、あたしは人差し指を突きつけた。


「ただ迷子になっていた女性を忌むべきとか、ちょっと器が小さすぎだな?」

「……お前は何者なんだ?」


 すると、シキも窓から飛び降りてくる。

 こいつも見た目によらず、運動神経も悪くないんだな……と少々がっかりしていると、シキがいつにないくらい険しくあたしを睨んできていた。


 だけど、あたしはニカッと笑うのみ。


「あたしは石川ユリエ。天下のヒーロー、石川ゴエモンの末裔さ!」




 解せぬ。

 あたしはまた正義のヒーローに一歩近づいたというのに、なぜ壁に詰め寄られているのか。


 場所が牢屋ではなく、鶴御門邸のいつもの離れだというのがせめてもの救いか。

 だけど、至近距離で睨んでくるシキの野郎はけっこう怖い。


「さあ、話せ。内容によっては、お前を警察へ突き出すぞ」

「それなら、あたしだっておまえの詐欺商売について洗いざらい話してやるからな!」

「この絵の弁償、誰がしてやったと思ってるんだ?」


 そう掲げてくるのは、レストランにあったあの絵画である。

 まあ、絵の中の女性が月に帰ってしまったので、女性が描かれていた部分がもぬけの殻になってしまったのだが。それを、シキが討伐中に破いてしまったからとか言って買取してきてくれたらしい。なんとなく月の影が、浮かれて舞い踊っている女性の影に見えるのはあたしだけだろうか。


 だから自然と、あたしの口角も上がっていたと思う。


「だって元からあやかしって、人間の強い感情が生み出す不思議存在だろ?」

「化け物は化け物だ。それ以上でもそれ以外でもない」

「芸術品に人の想いが籠るのは当然だし、その込められた想いがあやかしになるのも必然だよ」

「専門家でもないのに、どの口が言ってるんだ?」


 どうやら喧嘩を売りたいらしいので、買いましょう。

 あたしはこれでも博愛主義者なのだ。


「ちょいと夜だけあやかしの声を聞くことができる女の口ですが?」

「あやかしの声だあ?」


 夜だけって時間制限もあるから、またなんとも微妙な特技だったりするけれど。


 しかしシキの素っ頓狂な声が面白くて、あたしは鼻を鳴らす。


「おまえ、陰陽師のくせにあやかしの声が聞こえないのか?」

「化け物の声なんて聞いてどうする」


 ……そんな低い声を出さなくてもいいじゃないか。

 さすがにちょっと怖いと思ってしまうが、ここで怯むあたしではない。


「うちの家系、代々そういった特殊能力持ちが生まれるんだと。どうやら石川ゴエモンがあやかしと子供を作っていたらしくって。あたしはその遠い子孫に当たるらしい」


 いくら憧れの存在といえど、石川ゴエモンは三百年以上前の存在だ。

 しかも、その話を教えてくれたじっちゃんもどんどんボケが進んでいたし……けっこう抜けが多かったのだ。同じ血を引く母親は、話をするだけでも嫌がられたしな。


 だけど、シキには十分衝撃を与えられたらしい。


「あやかしだから……大処刑から逃れたと」

「まあ、そんな感じじゃないのかな。あたしもじっちゃんから聞いただけで、詳しくは知らないんだけど……」


 そこで、あたしはふと思いつく。

 こいつはあやかし祓いの陰陽師だ。つまり、こいつのそばにいたら、自然と困っているあやかしに遭遇する機会も増えるんじゃないのか? あたしひとりじゃ、たまに声が聞こえてきても、近づくためにそれこそ泥棒行為をしなくちゃならないことも多々あるしな。


「あたしは人間もあやかしも救う正義のヒーローになりたいんだ! だから考えようによっては、おまえのそばにいるのも悪くないのかもしれないな!」


 それに、こいつの陰陽師家業も、必ず退治しなくてもいいんだろ?

 人間に危害を与えるから退治されちゃうんであって、あやかしをきちんと正しい場所へ導いて被害がなくなるなら、こいつだって御の字のはずだ。人間が被害から免れたのなら、報酬にだって正統性があるしな。


「そうだよ、まさにあたしの目指す人間とあやかしのヒーローになる絶好の環境じゃねーか! しかも堂々と合法的に! あたしも釜茹でにされずに済む!」

「何を勘違いしているか知らんが、陰陽師はそんな楽しいものじゃ――」

「心配すんなよ、ちゃんとおまえが困ったときは、あたしが助けてやるからさ!」


 すると、なぜかシキは目をまん丸にするけれど。


「これからもどうぞよろしく、偽恋人どの!」

「……ただのコソ泥風情が、偉そうに」


 そうあたしの額を弾くシキは、今までで一番無邪気に笑っていた。

 

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