第7話 キレイキレイしましょう!
「
垢すり、いてええええええ⁉
あたしは西洋人形のようなメイドに風呂に入れられていた。
最初は柑橘の香りがするいい湯だと思ったが、その後の垢すりが本当に容赦がない。しかもずーっとニコニコと片言でしゃべり続けているのだから始末におえない。
「しかし、ユリエさまは何日お風呂に入ってなかったんデスか? こんな洗い応えがあるお嬢様は初めてで、マリア、とっても楽しいデス!」
「はいはい、それはよかったですねー」
そのあとは入念に身体にクリームを塗られ、全身に按摩を施される。
……これは、なかなかの極楽では?
ちょっと気分がよくなったあたしもおしゃべりに付き合ってやることにする。
「犬塚さんはここで働いて長いんですか?」
「そうデスねー。十五年くらいデスかねー」
んん? そんな前だと、本当に小さなこどものときからってことにならないか?
あたしが目を開けると、彼女は何の気なしにあたしの足を揉み解していた。
「マリアが十歳のときにシキさまに拾われマシタ。オランダ人の父がニッポンの母とニッポンと結婚したまではよかったんデスけど、流行り病で二人とも亡くなっちゃって」
あっさりそう話しながらも、「マリアのことはマリアとお呼びクダサイ」というから。
あたしが「マリアさん」と呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑った。
「マリア、この見た目だから。ただでさえ色々……怪しいお誘い多くて。めちゃくちゃ逃げて、怒られて……もうダメかなーってときにシキさまに拾われたんです」
たしかに、外国人のこどもがあまり良くない取引に使われるって話も聞いたことがある。
そこから使用人として、このお屋敷で楽しそうに働いている彼女を見ると、シキがとってもいいやつに思えるが。おそらく、昨夜シキが言っていた『あれ』というのも、マリアさんのことなのだろう。
……これ、十五年前の話って言ったっけ?
「そのとき、シキのやつは何歳なんだ?」
「四歳か五歳のときかと思いマス。マリアのことを『お人形さんがほしい!』と両親にねだってましたからネ」
それ、なんか色々危なくないか⁉
何がどうとは言わないけれど、そんな幼いころから人を人形扱いするとか……なんか、未来の腹黒な横暴ぶりが垣間見える五歳児とか、末恐ろしいんだが……。
「ハイ、次はキレイなおべべを着ましょうねー」
そんなことを話している間に、極楽按摩も終わってしまったらしい。
場所を移動する間にすれ違う使用人たちの視線がやはり痛い。
直接何か言われたり投げられたりするわけではないけれど、コソコソと陰口の気配はビンビンしている。は~、別に『誰からも嫌われたくないの』なんて泣く主義じゃないけどさ。それでも、多少、気は詰まるというものだ。
あたしはコソっとマリアさんに聞いてみる。
「あたし、やっぱりここの人たちに嫌われてる?」
「たったの七十人くらいですよ」
「それ多いから」
あっけらかんと言ってくれるが、一区画でそれだけあたしのこと嫌いな人がいるとか、けっこう落ち込むやつである。
だけど、マリアさんは声を潜めることなく堂々話を続けた。
「この屋敷にいるのが総勢百人くらいです。そのうち半数が元老様たちの派閥なので、致し方なしです。諦めまショウ!」
「……元老って、おじいちゃんな重鎮たちがいるってこと?」
「まさにその通りデスね。シキさまの天敵デス!」
そういや、シキも若当主とか呼ばれてたっけ?
伝統ある家とか言っていたし、古き良きを重んじるおじいちゃんらと、性格の悪い若当主はたしかに手を取り合って仲良くとはいかなそうだよね。
まあ、それで半分はわかったけど……それだけだったら五十人で済むはずだ。
「あとの二十人は?」
「シキさまのことが好きでも、シキさまの婚約者様のことも好きなので、複雑な思いをしている人たちデス」
「あいつ、れっきとした婚約者がいるのか⁉」
シキの野郎、縁談避けにあたしを利用するとか言ってなかったか?
しかし、本当の婚約者がいるとなれば……あたしを使って婚約破棄に持って行くことが目的ってことだよな? それ絶対に修羅場にしかならないじゃねーか!
「分家のご令嬢なのデスが、すっごくお可愛らしい方デスよー。きっとユリエさまも仲良くなれると思いマス!」
「それ絶対仲良くなれないやつ……」
これは本当にさっさとここから抜け出すしかない……。
でも、今抜け出したら……気になってしまうのはマリアさんのことだ。
ここ数日の、唯一の良心。最初は驚いたけど、こうして話していると屈託がなくて、とても話しやすい相手である。
経歴からして間違いなくシキ派閥で、あたしの味方として用意してくれたのだろう。この人にまで裏切られたら、さすがのあたしもちょっと泣いてしまう気がする。あたしはけっこう人情主義者なのだ。
なので、結局いつもの離れ部屋に戻ってきたときには、ひと目で高いとわかる織りの着物が用意されていた。え、あたしがこれを着るの?
そんな不安が顔に出ていたのだろう。
「ダイジョーブ! めちゃくちゃ似合うしかないと思いマス!」
「いや、でも……こんな高いの着せられて、あたしは何をさせられるのかな?」
嫌な予感しかしない。本当に嫌な予感しかしない。
だけどやっぱり、マリアさんはニコニコ楽しそうに笑っていた。
「カワイイ女の子は幸せになることが義務デスよ!」
たとえどんなに可愛くしてもらおうとも、別にあたしが幸せになりたいとは考えたことはない。だって、あたしは石川ゴエモンのあとを継いだ、正義のヒーローになりたいのだから。
幸せになるのはあたしではなく、周りの人々だ。
そう――昨日の高級レストランに、オシャレして再び訪れることになろうとも。
あたしがイイ思いするのは、お門違いというものである。
「視線が痛いな……」
たとえ二度見されようが、昨日とは意味がまるで違う。
髪もきれいに結われて、淡い色ながらも大ぶりの花柄が艶やかな着物に身を包み、しとしとと歩く姿はまるでご令嬢。
顔には
そんなあたしのために、銀髪の尻尾が目を引く洋装の美男子が椅子を引いてくるのだ。
「馬子にも衣装とは、まさにお前のためにある言葉だな」
「わ、わかってるよ、あたしには似合ってないことくらい」
耳を熱くしながらあたしが椅子に座ると、シキの野郎が小さく笑った。
「じゃじゃ馬も着飾ればまともになるんだ。胸を張れ。この場でお前が一番きれいだ」
「……くそお」
めちゃくちゃ悔しい。勝ち誇った顔をシキがとても恨めしい。
だってこいつ……昨日、あたしが委縮していたから、わざわざおめかしさせてもう一度連れてきたんだろう? こんな予約に半年かかるようなレストランに、連日で。
しかも一見どこぞの王子様のようなやつが、あたしの向かいで微笑んでくるのだ。
「美味いか?」
「……おまえには言いたくない」
だけど、昨日は味もわからなかったご馳走が、今日はたしかにおいしく感じる。
そんなときだった。どこからともなく声が聴こえる。
(……帰りたいわ)
途端、背後からの奇声に、思わずあたしは肩を竦める。
振り返れば、お客の貴婦人がナイフを持って、相席していた紳士に襲いかかろうとしていた。
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