第5話 そいつは俺のだ


 牢屋の床はとても冷たかった。

 端にたたまれている布団もせんべい状態。寝心地もお察しだろう。


 明かりも点在している豆電球のみ。もちろん窓なんてないし、連れて来られてまだ数時間だけど、時間の感覚がずれる予感がビシビシする。


 まあ、雨ざらしの路地裏で寝るより、百倍はマシだろうけどさ。


「石川ユリエの伝説もここまでか……」


 田舎から出てきて半年。盗んできた宝も十数個。

 最初は店のパンから始まり、中古屋に売られた鞄、金持ちが胸から下げていた眼鏡、食い逃げ犯の被っていた帽子、迷子の猫――石川ゴエモンの名に恥じぬよう、帝都に住まう人々のために、立派な義賊として信念を貫いてきたつもりだ。


 はて、あたしはどんな殺され方をするのだろうか。

 やっぱり河原で釜茹での刑だろうか。それとも腹切りか。さらし首か。


 短い人生の幕引きは、どうせなら華々しいものがいいと空想していると、死神がカツカツと足音鳴らして近づいてくる。


 彼は腕章をつけているものの、とても若い警察官だった。


「君は、昨夜三ツ橋家にいた――」


 目を見開いている生真面目そうな警察を見上げれば、たしかに昨夜シキの野郎に話しかけていたお巡りだった。年はあたしと大差ない十代後半だろうが、署内にいるということは結構なエリートなのだろうか。


 前髪をぴったり七三に分けている細身の警官が、あたしを見下ろして切れ長の目を見開いていた。


「どういうことだ? 君は若当主の愛人ではなかったのか?」

「しょせん、あたしは彼の玩具にすぎなかったのよ……」


 ただ単にやさぐれの八つ当たりである。

 だけど、なにやら警官からボソッとした声が聞こえた。


「……可憐だ」

「ん?」

「い、いや、なんでもない!」


 なんだか思っていた以上の反応が返ってきた気がするが、彼は真っ赤な顔のまま捲し立ててくる。なにやらバサバサと紙を取り出してきた。


「それより、親御さんの連絡先をお聞かせ願いたい。君の罪状は不法侵入と窃盗未遂とのことだが、悪い男に騙され連れ込まれたという状況は僕が証明できる。君の個人情報や、身元引受人の記載を――」

「書けないわよ」


 無論、あたしは田舎から出てきた天下の大泥棒。親も故郷も捨てて帝都に来た以上、身元引受人になってくれる相手などいるはずがない。


 だけど、どうやらこの警官は違う意味で納得したらしい。


「……文字が書けないのなら、僕が代筆するが」


 たしかに、現代の識字率は学校が普及し始めた今も二人に一人、くらい……という話をどこかで聞いたことがある。しかも女ならば、未だまともな学習環境が少ないのが実態だ。


 だけど……そんなこと、今のあたしにゃ関係ない。


「そもそも、あたしには帰る場所なんてないもの」

「まさに悲劇のヒロインではないか」

「何か言った?」

「んん⁉ すまん、喉の調子が」


 警官はわざとらしく喉を鳴らしている。


 昨日も夜遅くまで働いて、今日も働くとは……警官もご苦労な仕事だなーなどと他人事に思っていると、その警官はチラチラとあたしを横目で窺いながら、「それなら一つ提案があるのだが」と切り出してくる。


「僕が、身元引受人になっても――」

「横取りはやめてもらおうか、虎丸とらまるの坊ちゃん」


 そのときだった。ツカツカとブーツの踵を鳴らしてくるのは、見覚えのある色男。

 今日も中折れ帽子と袖なしコートを着た諸悪の根源、鶴御門つるみかどシキが、銀髪の尻尾を払いながら不敵に笑っていた。


「そいつは、俺のだ」


 シキの野郎、どうしてこんなところに……。


 あたしとしては、その腹黒さが露呈してしょっぴらかれたとなったら、多少の溜飲も下りるのだけど……まあ、陰陽師の若当主様がそんなことはないだろうな。


「坊ちゃんと呼ぶな! 僕には虎丸タイチというれっきとした名前が――」


 警官ことタイチという男が叫んでいる間に、シキは何故か持っている鍵で牢の扉を開けている。あたしでなくとも聞きたくなろう。


「なぜ、鍵をお前が⁉」

「すでに虎丸長官には謝罪と許可をもらってある」


 長官は……ざっくり言えば警察でトップクラスに偉い人のことだよな?


 どこをどう見ても、目の前のタイチがそこまで偉いようには見えないから、おそらく長官殿はお父さんとかなのだろう。家族そろって警察とは、なかなか頭の固そうな一家だなーなんて思っていると、目の前に黒いグローブを嵌めた手が差し出された。


 無論、その相手は鶴御門シキだ。


「帰ろう。俺の恋人殿」

「どの口が!」


 あたしはやつの手を思いっきり叩き落としてやった。

 いくら博愛主義者のあたしとて、さすがにおかんむりである。


 すると、初めてシキが気まずそうな顔をしていた。


「……おばばから聞いた。この件に関してだけは完全な俺の落ち度だ。長時間一人にしてすまなかった」


 ……こいつが、謝っただと⁉


 まだ出会って一日の付き合いだが、こいつの辞書に『謝罪』の文字はないタイプだと思っていたが……。


 だけど、簡単に絆されてたまるか。このしおらしさこそが、こいつの策略なのかもしれない。


「つまり、あたしが捕まったのと、あなたは無関係と?」

「おばばの独断だ。朝の会合がやたら長引くと思ったら……まさか白昼堂々ときみを排除するとは。完全に俺の読みが甘かった。本当にすまない」


 どうやら、さすがにこいつにも人の心はあったらしい。

 シキが帽子を外して、頭を下げてくる。


「また、俺のもとに帰ってきてくれないだろうか。今度こそ、必ず俺が守るから」


 そうだよな……こっちも命を助けてもらった恩義があるとはいえ、勝手に他人を『恋人』だなんて巻き込んでおいて、そもそもの取引材料であった『警察に突き出さない』をいきなり反故にされたんだもんな。


 いかにも性格悪いやつが、ここまで謝っているのだ。

 ここで許してやらないと、それこそあたしが悪者になってしまう。あたしはこれでも正義の味方なのだ。


「……二度目はないからな」

「肝に命じよう」


 まあ? このまま牢から出してくれるみたいだし?

 もしかしたら、この不義に報いるべくあたしを解放してくれるかもしれない。


 そう――再び差し出された手を取ってみれば。

 なんとあっという間に抱きかかえられてしまう。腕の力が、強いぞ⁉


 こいつ、絶対あたしを自由にする気ないな⁉


 あたしがいくらジタバタしようと、細男のくせにやっぱり力が強いから、一向に逃げられる気配がしない。傍から見てもじゃれ合っているようにしか見えないだろう。


 実際、タイチという警官の視線がひどく痛い。


「身内問題で警察を使わないでもらいたい」

「おっしゃる通りだ。長官にも嫌みを言われてきたよ」

「当然だな」


 そして、シキは「邪魔したな」とあたしを強制連行して牢屋から出るべく足を進める。


「……しかし、なんて気位の高い女性なんだ」


 なんか、また空耳が聴こえたような?

 だけどあたしはそんなことより、自分の先行きが不安でしょうがない。

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