第3話 もしや、あたしを慰み者に⁉

「石川ユリエ様ですけど、なにか⁉」

「まあ、なんて言い草!」


 そう叫びながら、お婆さんが二発目を打ってこようとする。

 だが、遅い! 先手必勝と若い反射神経で一撃を食らわそうとしたときだった。


「俺のために争うのはやめてくれ」


 誰かが後ろから羽交い絞め……もとい、抱きしめてくる。

 その主は振り向くまでもない。ニコニコ笑顔のシキの野郎だ。


「何をおっしゃいます⁉ 坊ちゃんはアバズレに騙されているのですよ⁉」

「俺の恋人にアバズレとは、たとえおばばの発言とはいえ看過できんな」


 この小柄のお婆さんは、シキの乳母みたいな存在なのか?

 かなりの名家は、そんな文化が根付いているはずだ。だから実質彼の母親なんだと大目にみても……うん、やっぱりあたしが殴られる謂れはないな。


 悪いのは、全部おまえんとこの坊ちゃんだぞ?


「いいですか。シキ様はこの若さながら、我らが鶴御門つるみかど家の当主なのですよ! 本来なら、おまえのような薄汚い女が近づけるはずもない尊き御方なのです! それなのに……それなのに、どうして……」


 なんだか一人で嘆き始めたので、あたしはずっと気になっていたことをシキに確認してみる。


「その鶴御門家って、そんなにすごい家なのか?」

「一応、現代に残る陰陽師界隈では老舗のほうだが……陰陽師って職業自体が廃れつつあるからな。実家が古くてデケェだけの男と思ってもらえれば十分だ」

「坊ちゃん⁉」


 当主自らの適当さにおばばもビックリのようだが、当のシキは欠伸を噛み殺しながら歩きだす。


「俺も疲れているから休ませてもらう。皆も早く明日に備えてくれ」


 すると、一斉に『おやすみなさいませ』と頭をさげてくる使用人たち。どうやら使用人の教育はかなり行き届いているのは結構だけど……当たり前のようにあたしの腰に手を回すのはやめてもらえないかな?


 現に、おばばも小走りで懸命についてくるではないか。


「お待ちください、坊ちゃん! その娘をどこにお連れするおつもりですか⁉」

「離れの部屋を使わせる。誰もそばに近寄せるな。命令だ」


 その固い声に、さすがのおばばも足を止めた。


「御意……」


 しょんぼりとした様子が、どうにも罪悪感をくすぐられる。

 だけど……こちらも出会いがしらに叩かれた手前、情けをかける筋合いもないけれど。


 そもそも、全部このシキの野郎が好き勝手すぎるのがいけないんだよな!

 離れの部屋ももちろん昔ながらもふすまと畳の一室である。調度品もひと目でわかる高価な代物。あの掛け軸ひとつで一年くらい食べるに困らなそうである。


 あたしが部屋に入るやいなや、シキがふすまをバタンと閉める。するとそそくさと水差しから直接口に水を含んだ。うがいしてから痰壺に吐き出す。


 何度も、何度も。何度も。


 手洗いうがいは万病予防になるという概念を、通りすがりの外国人が訴えていた気がするが……どうも潔癖症というだけとは思えない必死さで。


 この奇行の原因として思い浮かぶのは、先のあたしへの口づけ。


 ……もしかして、あたしが汚ねえとおっしゃるのか?


 そっちからしておいて、さすがに失礼にもほどがあるのではなかろうか。


「あたしが汚らわしいとお思いなら、あんなことしなればいいのに」

「お前が、というより、俺様が女アレルギーなんだ。気にするな」

「女アレルギー?」


 聞いたことがない言葉に眉間に力が入れば、ようやくうがいを終えたシキがため息を吐く。


「アレルギーとは治療法のない病的体質のことだ。人によっては蕎麦とか動物で倒れることがあるそうだが、俺の場合、女に触れるときはグローブ越しでないと発作が出る」


 そんな話、たしか西洋医学の記事で見たことあるようなないような気がするが……そうでなくても、異性に触れただけで発作が起こるとか初耳である。発情するやつらならごまんと見てきたが。


 しかしシキの渋い顔を見るからに、どうやら冗談というわけではなさそうだ。


「俺も触りたくてお前に触っているわけではない。だが、ああでもしないとおばばがうるさくて敵わん。俺様も我慢しているんだ。お前も我慢しろ」

「仕方ないとしても、言い方ってものがあるでしょうが!」


 あたしが地団駄を踏んでいると、部屋の隅に座り込んだシキがさらに言う。


「それじゃあ、お前が布団を敷け」

「なぜあたしが?」

「俺様こそ、どうしてそんな雑用をしなければならん」


 そりゃあ? 昔から坊ちゃんとチヤホヤされてきた若当主様には、荷が重いお仕事かもしれませんが? だけど、おまえがあたしをこう言ったのだ。


「あたし、あなたの恋人ぞ?」

「今すぐ警察に突き出してもらいたいのか?」


 残念ながら、あたしはこれでも合理主義者である。

 押入れを開ければ、そこには大層分厚い布団が二組入っていた。


 さすが金持ち。

 予備の布団まで豪華だな、と雑用に勤しみながら……ふと気が付く。


 あたしに布団を敷けと言うからには、こいつもこの部屋で寝るということなのだろう。

 

 も、もしかして……本当にあたしを慰み者にしようと……?

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