第3話

 枕元の明かりが照らす天井を見つめながら、真は改めて支社での事を思い返してみた。


 平然と、処理の命令を出す少女。


 たった一つ年上なだけなのに、真とは全く次元の違う場所に住む香織。

使う者と、使われる者。


 香織と初めて顔を合わせた時の事は、今でもはっきり覚えている。

 支社に配属が決まり、指定された時刻にあの建物へと出掛けると、控え室の例のソファーに香織は座っていた。


 最初彼は、制服姿の少女と言う、会社とは不釣り合いな存在に違和感を覚えた。

 てっきり彼は、研修で見たような、いかつい大男が待ち受けていると思い込んでいたのだ。


 ・・・・なんなんだ、この女?


 そんな真の疑問を感じたのか、

 「これから貴方達のピジョンになる、三鷹香織です」

 と、少女は、にこりともせずにそう言った。


 ピジョンとは、エンジニアを管理する者の呼び名。

 本社から回ってきた仕事を彼らにさせ、その結果を中央に報告するのが役目である。

 ピジョン(伝書鳩)と言う名は、恐らくそこから付いたのだろう。


 本社でも、ピジョンの姿は目にした事があった。

 彼らはみな、社に選ばれたエリート達だ。能力者の中でも、更に優れた者だけがその役職に 選ばれる。そして行く行くは、社を担っていく幹部へと成長していく筈。


 自信に溢れた顔、強い眼差し、命令する事に慣れた態度。

 本社のピジョンは、見るからにそんな感じの男達ばかりであった。


 ところが、T県のS支社は違った。

 ピジョンとして現れたのは、地味で物静かそうな少女。それも、女子高校生だ。一見すると、真面目で堅物のクラス委員、と言う感じか。


 時々眼鏡をかけている時があるが、そんな時は尚更そういう雰囲気になる。


 当然、驚いたのは真だけではなかった。

その日そこに揃った新人エンジニア、つまり大森祐介と岡村誠也も、あからさまに驚いた顔をしていたのを覚えている。


 三人は唖然としたまま、馬鹿のように少女を見つめていた。

 しかし、少女はそんな視線などお構いなしに、淡々と話しを続けていく。


 「私から話す事は、簡単な事だけです。まず、与えられた仕事は必ずやり遂げる事。チームである以上、チームワークを崩さない事。そして、余計な詮索をしたり、社命に逆らったりしない事」

 本社から送られて来たらしい、三人の少年の資料を捲りながら、香織はやはり事務的な口調で言った。


 「冗談じゃねぇ」

 真が開口一番に言ったのは、そんな言葉だった。

 「あんたに、俺達のピジョンが勤まるのかよ」

 女なんかに。

 そんな、あからさまな思いが顔に出る。


 戦場の最前線に出る兵隊、真としてはそういう気分だった。

 戦場は、男の世界だ。女なんかに、出る幕はない。


 「俺は、あんたが上司だなんて認めねぇぞ」

 初対面に係わらず、真の信じられないくらい横柄な態度に、他の二人は益々ぎょっとしたようだった。

 しかし、香織は動じない。

 無表情のまま真を見つめた後、僅かに口許を緩めた。


 「それは、あなたが判断する事では有りませんよ。あなたに今必要な事は、社にどれだけの戦力と成りえるかを見せる事の筈。何かを求める前に、まず必要な事をしなければならないのではないですか?あなたの不満は、それから伺います」


 かっと、真の頭に血が昇った。

 事務的な言葉。しかしその裏には、明らかに真を揶揄する響きがあった。

 どうせ何も出来ない癖に、偉そうな事を言うな。

 そう、馬鹿にしているのだ。

 それは、エリート教師が、愚鈍な生徒を鼻であしらう感じに似ていた。


 傍若無人に、クラスメートどころか、教師さえも震え上がらせていた真にとって、香織のそんな態度は我慢ならないものだった。

 誰もが、真を恐れた。そして、そいつらを簡単に従わす事が出来た。


 しかし、この目の前の女は違う。真を恐れるどころか、鼻先で笑って見せたのだ。

 それが、彼のプライドを著しく傷つけた。


 ・・・・・・こんな女に、何で俺が指示されなきゃならねぇ。こんな風に、まるで餓鬼のようにあしらわれなきゃならねぇんだ。


 「誰が、てめぇの下なんかで働くかよ。俺は、違う支社へ行く。今から、本社にそう伝えろ」

 低い声で、威圧的に言う。

 今までなら、そうすれば誰も逆らう事はしなかった。

 粋がっている男はともかく、女なら尚更そうだった。



 しかし、やはり香織は違った。ちらりと真を見ただけで、すぐに視線を資料へと戻す。

 「どうぞ、気に入らないのなら辞めて貰って結構です。社は、働ける人間しか必要としていませんから」

 「なんだと!」

 相手の予想外の反応に、真は益々めくじらを立てた。


 ソファーを蹴り上げ、鋭い目で香織を睨み付ける。

 が、香織はそれを殆ど無視して、他の二人に語り始めた。


 「あなた方には、明日から仕事をして貰います。内容は、さる会社に保存されている書類の破棄。詳しい事は、今夜トランシーバーに直接転送させます」

 「おい、てめぇは今、俺と話してんだろうが!」

 割り込むように、真は香織の前に立ちはだかった。


 今にも、殴りかからんばかりの勢いだ。

 それでも、少女の鉄面皮は崩れない。

 ちらり、冷静な目を真に流しただけで、再び二人の少年達へと戻す。

 香織は真を見ないまま、さらりとした言い方でこう言った。


 「もし、この会社でやっていく気があるのなら、ピジョンの言葉には逆らわない方が賢明ですよ。私は、あなたよりもずっと上の立場にあるのですから。逆らうのなら、それだけの事は覚悟しておいて下さい。言っておきますが、私は甘い人間では無いですから。勿論、全ての権利はあなたにあります。ETSは、民主的な会社ですからね」


 ・・・・何が、民主的だ。


 ごろり、ベッドの上で寝返りをうちながら思う。

 軍隊以上に封建的な会社じゃねぇか。

 何時だって、選択権だけは与えて貰える。しかし、答えは一つしか無い。


 真が反抗する度、香織は容赦ない罰を用意した。

 本社の教官からの、厳しい説教。そう言えば聞こえはいいが、要するに体罰だ。それも肉体的だけではなく、精神的なものまで。


 力と力なら、負けないつもりはある。しかし、トランシーバーと呼ばれる者達には、対抗する手段は無かった。

 脳に直接響く共鳴音は、ぶちのめされるより激しい苦痛を彼に与えた。そして、何度も繰り返し刷り込まれる言葉。


 会社に逆らうな。


 子供騙しの脅迫だと思っていたが、今日初めてその意味が分かった。

 逆らえば、処理される。それも、同じエンジニア仲間にだ。

 会社の為に生きるか、それとも死ぬか。そう問われれば、生きると答えるしかないではないか。


 誰だって、死にたくはない。ETSに必要のない人間と判断されれば、きっと虫けらのように殺されてしまうだろう。

 処理と言う、事務的な言葉の元に・・・・・。


 ため息を吐く。

 苛立ちが蘇り、無償に煙草が欲しくなった。

枕元に手を伸ばし、箱から一本引き抜く。それを口にくわえたまま、今度は次の仕事について考えを巡らせた。



 沖田秀夫。

 それが、処理する男の名だ。

 夜、十一時頃にその情報が届いた。

 真達エンジニアは、情報を直接トランシーバーから受け取る。



 トランシーバーとは、会社用語。早い話し、テレパシストの事だ。

 訓練された彼らは、相手がテレパストでなくとも、一方的に通信を送る事が出来る。

 直接、真達の脳に情報を送り込み、インプットさせるのだ。


 それによると、沖田はETSの本社で、教官をもう三年以上もしている人物だった。

 元、トップエンジニア。その能力を買われ、新人研修を受け持つ教官に抜擢された。

 真が研修を受けたのは違う男だったが、確か隣のクラスの者にその名を聞いたような覚えがある。


 専門は、Exsit。つまり、テレポーターだ。

 テレポーターは、チームに加わると、殆どが逃げ道の確保を任される。

 故に、非常口と言う名で呼ばれているのである。


 身長173、体重60、やや神経質そうな顔立ちをした、ごく普通のサラリーマン風の男だ。

 一見しただけだと、気弱な男にも見える。


 だが彼は、ETSのライバル社として最近社内でも噂になっている、DREAM LINDという会社に寝返り、情報を流していたという事実が突き止められている。


 通称DMと呼ばれるその会社は、ETSと同じように、表向きはごく普通のイベント会社だが、その実裏で能力者を集め、彼らにしか出来ない仕事をさせているという。


 ETSのエンジニアと、DMの能力者の間では、最近小競り合いが増えていると言う話も聞いていた。


 沖田は、他にも彼を調べていたエンジニアを、二人ほど処理している。それを、元教え子の罪にして、会社に処理させていた。

 顔に似合わず、冷酷で狡賢い男だ。


 ・・・そんな奴、処理されても当然だぜ。


 胸の中で、苦々しく吐き捨てた。

 ETSは、DMなんかと比べものにならないくらい、大きい力を持った会社だ。

 それこそ、能力者達の楽園。


 それを裏切るなんて、絶対に許せない。

 洗脳された訳ではないが、会社に入って真はそう思うようになっていた。

 彼にとって、会社は特別だ。


 いや、彼だけではない。全ての能力者にとって、特別だった。

 そこでしか、能力者は能力者として認めては貰えないのだから。


 「あなた達は、会社に選ばれた優秀な逸材です。能力者の、能力による、優れた社会を作る為、共に努力していこうではないですか」


 研修の時、本社のトップエンジニアが言った言葉を、ふと思い出す。

 真は、頭だけ起こして、煙草に火を点けた。

それから灰皿を引き寄せ、大きく煙を吐き出す。


 闇の中に、白い息が広がった。

 能力者達は、何時か人間社会の中心に立つ。

 それが、ETSの主旨だ。

 その時、一般人は自分に能力が無い事を悔やむだろう。


 ETSという会社は、その時の為の器。人間社会を本当に支配する者は、より優れた能力を持った者達でなければならない。

 非能力者が、何時までも大きい顔をしていられる訳が無いのだ。


 ・・・・だからきっと、裏切り者を許す訳にはいかないに違いない。

 強い結束があってこそ、その夢が実現する。

ETSが存続していく為には、能力者の裏切りは決して許してはならないのだ。


 真は自分にそう言い聞かせ、煙草を灰皿に押しつける。枕元のランプを消し、それから静かに目を閉じた。

 やがて苛立ちは少しだけ収まり、代わりに深い闇が意識を覆った。




※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物等は、全て架空の物語です



※ タバコは20歳を過ぎてから


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