第2話
「遅かったな」
最初にそう言ったのは、先に来て座っていた少年の一人だった。
くすんだ色のトレーナーとワーキングパンツ、キャップを覆った大柄な少年だった。
ハンサムではないが、人好きする顔立ちだ。まんまるの目と下がった眉が、格幅のいい彼をどこか可愛らしく見せていた。
名前は、大森祐介。学校が違うが、真と同じ高校二年生である。
「なんや、来たんか」
次に、祐介の横で、稀に見る美少年が素っ気なく言った。
彼は、グレーの上下、薄い緑のネクタイという姿。これは、市内でも有名な進学校の制服だった。
男の子にしては線が細く、純粋な日本人でありながら、どこかバタ臭い顔立ちをしている。
茶の瞳の前に、柔らかそうな髪が自然なウェーブを作って垂れ、いかにも少女マンガ的な美少年振り。
ただ、細い銀フレームの眼鏡が、彼を違った意味で近寄り難くさせているようだったが・・・・・。
彼は、岡村誠也。やはり、同じ高校二年生である。
真は、鋭い視線を二人に向けただけで、何も言葉を返さずに、だらしなくパイプ椅子の背に凭れた。
ギギギっと、椅子がいやな音を立ててきしむ。
彼の表情は、どう見ても不機嫌だと人に思われそうなものだった。心の憂鬱を、隠そうともしていない。
と、
「・・・・さて、揃いましたね」
彼らの正面に座っていた少女が、事務的な口調で告げる。
最初に彼女を見たものは、その背の高さに注目するだろう。少女にしては、かなり長身だった。座った状態であるに係わらず、そういう印象を与える。
多分、背筋をぴしっと伸ばした座り方が、余計にそれを強調させているのではないだろうか?
少なくとも、百七十はあるだろう。大柄な祐介はともかくとして、真や誠也と比べてもさほど差が感じられない。
二人とも、決して低い訳ではなかった。
それから、その整った顔立ち。きりりとした眉、つり上がり気味の大きな目、高い鼻、薄い唇。
長いストレートの髪のせいもあるが、なんとなく一昔前の女学生を連想させる。
今時は制服もミニが支流だと言うのに、その少女は昔ながらの紺のセーラー服に、白いリボンと言うスタイルに身を包んでいた。
なかなかの美少女ではあった。しかし、地味な上にどことなく人形染みていて、華やかさが余り感じられない。
真は、三鷹香織と言う、少女の名前しか知らなかった。セーラー服を着ているのだから高校生だろう。襟章の数字から見て、三年生らしい。そしてその制服は、市内でも有名なミッションスクールのもの。
ただ、それくらいの認識しかない。
この香織、彼らの直属の上司に当たる訳だが、残念ながらプライベートを言うものは、一切彼らには公表されていなかった。
「ほんまにかなわんわ、誰ぞが余計な事をしおったおかげで、僕らはえらい迷惑したんやからな」
誠也が、ふわりと前髪をかきあげ、顔に似合わない大阪弁で悪態をついた。
大阪に居たのは小学四年生までで、後はこちらに越してきたせいか、奇妙な訛りが混じっている。
「まあまあ、真だって反省してるさ。・・・・だろ?」
「しらねぇよ」
中に割って来た祐介に向かって、真はフンと顔を背けた。
「みてみぃ、こういう奴なんや」
誠也は顔をしかめ、祐介に向かってぶつくさと文句を言った。
それに答え、祐介も困ったように肩を竦める。
二人のその表情に、真は益々苛立ちが募った。
・・・・冗談じゃねぇ、警報機に引っ掛かった、てめぇが間抜けなんだろうが。
と思ったが、香織の手前、彼は怒りをどうにか耐える。
この女の前では、余りみっともない真似はしたくなかったのだ。
「青山さんは、本社の方から厳しい指導を受けました。彼も、心の中では深く反省しているでしょう。・・・・ともかく、その件についてはもう終わっているのです。ですから、あなた方もそのつもりで。これからが、大切なのですよ」
適度な湿りけを帯びたハスキーな声が、更に真の心を逆撫でする。
こんな風に、まるで何事も無かったかのように全て事務的に流されるくらいなら、小言の一つでも言われた方がまだマシだ、と思う。
三鷹香織と言う少女は、最初に出会った時からこんな風だった。
笑いもしなければ怒りもしない。何時も冷静に、淡々と物事を処理していく。
・・・・・嫌な女だ。
思わず、何時ものように憎まれ口を叩きそうになったが、その前に誠也が不服そうに口を開いた。
「なに言うてんですか、こいつ謝りもしてへんのですよ。そないな事言われたかて、はいそうですかとは言えしませんわ」
「上からの指示です」
香織は、その一言で誠也の反発を抑え込んだ。
感情を映さない顔、いつ何時も冷静な口調。同じ年頃の少女でありながら、そこには上に立つ者だけが持つ特有の威厳を感じさせる。
おまけに、部下をあしらうのもお手の物だ。
上からの指示、そう言われれば誠也とて従わざる得ないだろう。彼らにとって、会社から見放される事は、何よりも困る事なのだから。
「・・・・ほな、しゃあないですね」
じろり、真を一睨みして、彼はおとなしく口を噤んだ。
香織の方は、全く普段と変わらない。誠也のあからさまな不満の態度など、全く意に返す様子は見られなかった。
真としては、あてがわれたメンバーもさる事ながら、この目の前にいる女も気に入らない。
会社の力を認めているものの、現状にはとても満足出来なかった。
・・・・ちっ、すかしやがって。歳だって、たかが一こ上なだけじゃねぇか。こんな女なんかに、指示されても面白くもねぇ。
心の中で愚痴り、むすっと顔を横に向けた。
香織はやはり何時もと同じように、表情を全く変えずに話しを進める。
そうだ、何時もの事だ。何があっても、動じる事はない。
「・・・・さて、早速本題に入らせて貰います。ちなみに、今回の仕事は、他県のエンジニアチームに移行されました。この町でのS社の研究が、ストップされましたから。よって、あなた達には、違う仕事を請け負って頂きます」
・・・・・なんだって?
さらりと言われた言葉に、真は一瞬唖然とした。
B社から依頼された、S社の新薬についての情報収集は、まだ三分の一も手に入れていなかった。それなのに、研究はストップされ、別の場所に移ってしまったのだ。
恐らく、今度の事が原因だろう。
と言う事は、真達は仕事を失敗した上に、会社の信用をも著しく失墜させた事になる。
一度の失敗でも、依頼する側としては大問題だ。それは、依頼者側にとっても命取りになりかねない事柄だからだ。
それどころか、提携している会社や政府のお偉方、それにこれから取引する会社にも、不審を抱かせる事になるだろう。そうなると、当然依頼は減る。
笑い事では済まされない、マイナスのダメージだ。
本社から来た教官から、かなり体罰に近い指導を受けたが、会社の負うリスクを考えれば、それぐらいで済んだのはラッキーだったのかもしれない。
下手すると、チーム揃って首が飛ぶ可能性だってあった。
・・・・っんだよ、全部俺のせいかよ。
彼の場合、罪悪感は殆ど怒りへと変換される。誰かに当たらないと、気の済まない性格なのだ。
どん!
いきなり彼は、力任せに拳で^テーブルを叩いた。
古いテーブルが、壊れるのではないかと思うほどきしむ。
「何、勝手な事ぬかしやがる!これは、俺達の仕事だろうが。てめぇは、仮にも俺達のピジョン(内勤)なんだろ、なんとかしやがれ!」
「私とて、会社の中の一人に過ぎません。上からの指示なら、従わざる得ないのです」
香織は、至って冷静。感情を表さない静かさで、事務的に言った。
「くそっ!」
真は、乱暴に言葉を吐き捨てる。
苛立ちが、波のように神経を震わせた。
しかし、どうする事も出来ない。彼にとっても、会社は絶対だったのだ。
「・・・ちっ、勝手にしろ」
苦々しく呟いて、真は再び投げやりにソファーへ凭れた。
何も言い返せない自分に、余計むかっ腹が立つ。
「引き継いだのは、和田さんのチームです。彼等のチームはトップクラスですので、あなたが心配するまでもないですよ」
あくまでも事務的な香織の言葉に、思わず顔が引きつる。
・・・・厭味だろうか?
そう思ったが、彼女の表情を見る限りでは、判断しようも無かった。
和田とは、本部のエンジニアだ。彼が研修を受けた時、一度指導された覚えがある。
ブランドのスーツを着込み、高価な装飾品を身につけた、小柄で軟弱そうな男だった。
・・・・にやけた気障野郎。
嫌悪感と共に、その男の顔を思い出す。
和田は、当然真より年上だ。もう何年もエンジニアとして働いている、先輩中の先輩である。しかし彼には、先輩を敬う崇高な精神など、微塵も持ち合わせてはいないようだった。
「・・・・で、オレ達は、今度は何をすればいいんです?」
と、今度は横から祐介。
女の子には可愛いと評判の、爽やかな笑みで尋ねる。彼は誰にでも優しいが、特に女の子には優しくなるのだ。
「次は・・・」
資料らしき物を開いて、香織はさらっと答えた。
「裏切り者の処理です」
その涼しげな口許から出た言葉に、三人はぎょっと顔を強張らせた。
裏切り者の処理など、仕事と言うには、余りにも殺伐としている。誠也と祐介が、お互いに顔を見合わせた。真も、流石に驚いた。
バイトと称して、彼らが今まで密かにして来た仕事は、主に依頼された会社や人物の監視や情報収集、また極秘資料の入手などだった。
それで満足している訳ではないが、彼らは駆け出しのエンジニアの上、配置されているのはこんな田舎だ、重要な仕事を回して貰えないのは仕方ないと思っていた。
それが、ここに来ていきなり処理である。
驚かない訳がない。
「・・・・なんて、いいはったんですか?」
聞き違いであって欲しい。
そんな期待を込めた目を、誠也が香織に向ける。
「繰り返し言わせないで下さい。あなた達のテスト期間は、全て終わりました。これからが、会社での本番なのです。影の部分に属す者は、それなりのルールに基づいて行動せねばなりません。ルールを犯す者は、即ち会社に敵対する者。それを許していては、エンジニア達の統率と、今後の会社の存続に係わります」
一度言葉を止め、香織は視線を真っ直ぐ三人に注いだ。
「裏切り者は、処理されます。あなた達にも、それは身を持って知って頂かねばなりません」
「・・・待てよ、そんな事をしていいのかよ。それじゃあ、殺し屋と同じじゃねぇか」
名を知られた大手の会社だ、もしばれれば世間的にどうなる事か・・・・。
警察沙汰になるだけじゃない、日本のマスコミはこぞってETSを叩くだろう。
そうなれば、真達もただでは済まされなかった。
行く末は少年院か、保護観察処分だ。いや、それだけでは済まされないかもしれない。
三人の顔が、更に青ざめる。
しかし香織は、眉一つさえ動かさなかった。
「そうです、それもエンジニアの仕事の一部なのです」
当然だ、と言わんばかりである。
「わが社には、非合法的な事柄でも、合法的に出来る力があります。何故なら、政府の影をも我が社が一手に引き受けているからです。夜間特殊イベントスタッフとは、そうした裏の仕事を担う場所。諜報、隠蔽、工作、情報操作、そして暗殺。依頼されれば、どんな事でもします。確かに、普通では考えられない会社かもしれません。・・・・しかし、能力者にとっては、特殊なその才能を惜しみなく使う事の出来る、他には無い特別な場所。特殊な才能、それは、訓練されれば、高度な技術として大きく評価されます。評価されれば、あなた方の生活、信用、仕事、すべてにおいて価値が上がる。能力者達のスタッフを全てエンジニアと呼んでいるのは、そう言う意味があるからなのですよ」
まるで言いなれたもののように、すらすらと言葉を並びたてる。
いや、実際香織は、他のエンジニア達にも、きっと何度もその説明をしてきたのだろう。
「・・・・オレ、処理なんて出来ないです」
額に冷や汗を浮かばせながら、祐介が言葉を絞り出す。
「出来ない・・・・ですか?」
香織は、これといった表情は作らず、ただ機械的に首を傾げた。
「会社に従うかどうかは、全てあなた達次第です。我が社は、軍隊ではありませんから。ただし・・・・、敵と見なした場合、我々は全力を持って、その者を排除するでしょう」
ようするに、従わない奴は処理され兼ねないぞ、と言う意味だ。
それは柔らかではあるが、完全なる脅しと言って良かった。
三人は、またしても言葉を失った。
やばい仕事をしているとは思っていたが、まさかそこまでしているなんて・・・・。
「とんでもねぇ会社に、足を踏み入れちまった訳だ」
真はため息を吐いて、こめかみを押さえた。
この会社に入ってから、どんな仕事でもやると意気込んでいたが、流石に処理となると、彼とて躊躇せざる得ない。
餓鬼同志の喧嘩とは訳が違う。彼にとってもそれは、次元の違うものなのだ。
「悔やんでも、手遅れですよ。あなた達は、自分の意志と判断でこの会社に雇われたのです。たとえ片足しか取られていなくとも、今こうしてここに居る事は、否定しようのない事実なのですから」
「恐ろしい事を、平気で言うんですね」
祐介が、青ざめた顔で言った。
「仕事ですから」
これまた、当然のように香織が答える。
敬虔なクリスチャンの集う学校として有名な、お嬢様学校の制服を着た香織だが、果たしてどんな高校生活を送っているのだろうか?
全く想像のつかない、男達三人であった。
「ターゲットのデーターは、トランシーバー(テレパシスト)から各自に転送させます。指定ポイントには、直行して貰って構いません。出動時と終了時の連絡だけは、忘れないように。後、何かトラブルがあった場合、自分の判断で処理はせず、必ず私に報告して下さい。以上、詳しい詳細については、また日を追って連絡します」
そう言って、香織はソファーから立ち上がった。つまり、もう話は終わりだと言う事だ 三人も、仕方なくそれに従う。
誠也と祐介が、香織に頭を下げて退出した。真は頭を下げなかったが、それでも渋々その後に続く。
と、
「青山さん」
面倒くさそうに出口へ向かっていた彼は、香織に呼ばれて肩越しに振り返った。
「あぁ?」
「研修で習いましたよね?仕事には、チームワークが必要だ、と。まさか、あなたが忘れているとは思いませんが」
にっこり、無表情だった顔が、初めて笑みに包まれる。
真は、頭のてっぺんまで血が昇る思いだった。
香織は、滅多に笑わない。笑う時は決まって、嫌味に近い忠告をするのが殆どだった。
つまりは暗に、「あなたは、チームワークを知っているのか?」と言う含みを持たせているのだ。
馬鹿にされたと思った真は、無言のまま乱暴に部屋を出る。
それから、怒りに任せてドアを蹴り付けた。
バキ!!
鈍い音が、廊下の隅まで鳴り響いた。
・・・・気に入らない、あの女だけは、絶対に気に入らない。
「ちくしょう、馬鹿にしやがって!」
低い声を漏らし、しばらくドアを睨みつけた。
と、なんとなく視線を感じて横を向く。すると、誠也達がじっとこちらを見つめているではないか。
更にむかついてきた彼は、くるりと二人に背を向け、足早に階段の方へ向かった。
・・・・あの女、見てろよ。何時か、あの能面みたいな仮面を引き剥がし、目に物見せてやる。
真は、心の中で強く誓ったのであった。
※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物等は、全て存在しない架空の物語です。
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