宿屋の長男ラナルドの証言

「妖精さん」は俺ら兄弟の魔法の言葉です。

妹のモイラは昔から誰の言うことも聞き過ぎて、何度も自分の身を危うくするところがあったので「妖精さんはいつもモイラを見守ってるのだから妖精さんの言うことは絶対だよ」「妖精さんのことは人前で話しちゃいけない」というルールを与えて、モイラに約束を守らせてたんです。

誰にでも正直に答えてしまう子だけど「妖精さんが悲しむから」と言えば、モイラは必死で口を噤む。

どんなに大変なことでも「妖精さんが喜ぶ」と言えば夢中で頑張るんです。

妹は作業所で仕事を振ってもらおうと必死に声をかけていましたが、作業所の人間は大半が村の人間だから、みんなモイラの状態を知ってる。適当にあしらわれて、決して相手にされてなかった。

現場所有者のドゥガルさんは、そんなモイラを気にかけてました。

あの日も妹が現場でうろついてるのを見て気まずくなった俺に、ドゥガルさんの方から話しかけてきた。

「君の妹は、もういい人がいるんだろうか」と。

元々うちの宿で飯を食ってる時に、ずっと妹の姿を探していたから、気があることはわかっていました。

「よくは知りませんが、妹にそんな出会いなんてないですよ」と答えると「いづれは君たちも身を固めるだろう。そんなときに君の妹はどうするんだ」と言われました。

内心、余計なお世話だと思いましたが、黙っていると

「君の妹にぴったりの勤め先があるんだ」と言ってきました。

そして「よければ私に世話をさせてくれないか」とも。

信用できませんでした。妹は普通の人よりすこし……あれですから。普通の人が勤めるところでできるか心配でたまりませんでしたし。

ドゥガルさんは続けました。

「君たちが妹を大切にしているのは見てればわかる。しかし、いつまでもこうしていられないのもわかるよな。宿屋の経営も難しいんじゃないのか?」と。

たしかに、うちの状態は良くはありませんでした。

泥炭掘りで時々出稼ぎに来る人間をたまに泊めるくらいで、あとは閑古鳥が鳴く状態でした。

俺たち兄弟の中でとりあえず宿番に一人置けば事足りるので、二人は泥炭掘りに行く形で交代に現場に来てました。

「君たちが良ければ、モイラの生涯の面倒を私に見させてはもらえないだろうか」

思いもよらぬ申し出に耳を疑いました。

モイラは兄の贔屓目を除いても綺麗です。

ですが、一緒に生活をするとなると、なにかと手のかかる娘です。

妹を引き取りたいなどと言ってくれる人は現れないと思っていました。

今、目の前の裕福そうなこの男が、モイラの生涯を請け負いたいと言っている。

心が揺らぎました。

これはモイラにとって、またとないチャンスなんじゃないだろうか。

でも、モイラが嫌がることを強制はしたくない。

「せっかくのお言葉ですが、妹の気持ちも気になりますので」と言うと「モイラが私の元にいて居心地が良いという確証が欲しいんだね」とドゥガルさんは笑い、しばらくモイラと打ち解ける時間をくれないかと言いました。

それから現場でモイラを見かけるたびに、ドゥガルさんはモイラに声をかけて作業所の小屋に入っていくのを見ました。どんな話をしているのかはわかりませんでしたが、モイラの表情も最初は目をキョロキョロさせ動揺が見られましたが、何かのきっかけにいつもの笑顔をドゥガルさんに向けるようになりました。

もともと他人に対して警戒心の薄い子ではありましたが。

作業所の小屋は簡単な椅子とテーブル以外には、泥炭を切り分ける道具と計量秤が置いてありました。

乾燥して出荷するばかりの泥炭も、袋詰めにしていくつか置いてあります。

モイラはそこでドゥガルさんとしばらく話すと、樽いっぱいの泥炭を持って出ていくのです。

そんなことをしては困るとドゥガルさんに言ったところ、

「これは今の私にできる最小限の好意だ」と言うのです。

物でモイラの関心をひくのかとがっかりしましたが、明らかな歳の差を埋めるには、こういったわかりやすいきっかけがなければどうしようもないのだろうなとも思いました。

それから毎日、樽いっぱいの泥炭を持ち帰ってくるモイラを見て、母さんや弟たちは当然怪しみましたけども、モイラはドゥガルさんのことを言いませんでした。

家族はドゥガルさんにあまりいい印象を抱いていませんでしたし、もともとモイラを店の外に出すきっかけになったはドゥガルさんの態度がきっかけでしたから「彼からのお詫びの印だろう」と言いたくても、余計警戒されるだろうと俺も黙っていました。

二月が経つ頃には、ドゥガルさんはうちの宿に寄り付かなくなって、モイラは泥炭を樽いっぱい持ってくるようになるんですから、誰か気づいてもおかしくないと思っていましたけど。


モイラは泥炭の採掘場に来るとき、遠回りしてトロル岩に必ず寄っていました。

キースから後で聞いたのですが「トロル岩に住む妖精にお願いしたら泥炭がたくさん手に入る」と言われていたみたいです。

その時のモイラは毎日泥炭を手に入れられる状態でしたから、きっと妖精さんが叶えてくれたのだと感謝していたのでしょう。

「あの話、そろそろお袋さんに言ってもいいかね?」とドゥガルさんが言ってきました。

母さんにモイラの身受けの話をするつもりだろう。

俺の中では『なるようになればいい』と思っていたものの、母さんにあの話を持ち出すということになると、やはり動揺しました。

なので今のモイラの気持ちはどうか、確認してからお願いしたいと言うと、ではモイラに先に聞こうということになりました。

俺はモイラが必ずトロル岩に寄るのがわかっていましたから、ドゥガルさんと二人で向かいました。

今思えば、俺一人で向かえばよかった。

妹はクレイグといた。

内緒話をしていたのか、頬を寄せて笑っていた。

ドゥガルさんは二人の様子を見ると少し気分を悪くしたみたいだったが、モイラに自分のとこで一緒に暮らさないかと言った。

モイラとクレイグはなんのことかと、俺の方に目をやった。

俺は、なにか言わなければと思いながら、なんの言葉も浮かばなくて黙って立っていた。

「お兄さんには了解を貰ってるんだが、モイラを引き取りたいんだ。これから君たちのお母さんに会いに行くのだけれど、その前にモイラの気持ちを聞かせておくれ」とドゥガルさんは言った。

「妖精さんと離れたくない」モイラはそう言った。

その時のモイラは、なにか守るべき約束をクレイグによって仕向けられてると思った。

なにを言っているんだと俺が言うと「兄さんこそ急になんでこんな話になるんだ。モイラを嫁にやるなんて急すぎるよ」とクレイグが妹を庇うように前に出てきた。

そこでドゥガルさんが笑い出した。

「嫁、嫁かぁ……。申し訳ないが、妻はもういるんだ。モイラには愛人として来てもらいたい。なに心配はいらない、生涯面倒は」

言い終わる前にクレイグがドゥガルさんに飛び掛かった。

「っざけるな! モイラを慰み者にさせてたまるか!」

クレイグがドゥガルさんの首元を力いっぱい絞め、俺は慌ててクレイグを後ろから抱え込み、ドゥガルさんから離そうとした。

首を絞められていたドゥガルさんは、苦し紛れに腰にあった採掘ナイフを振り回して、クレイグの左腕に切りつけた。

突然の痛みに驚いて怯んだクレイグの右腕にも刃を振り下ろした。

両腕をきれいに切断された弟は膝立ちで呆然としていた。

俺とモイラも身動きが取れなかった。

「どんなに見た目が良かろうが、知恵遅れの女なんか娼婦に身を持ち崩したって不思議じゃないんだぞ! それを私が引き取ってやろうと言うんだ、身の程を知れ、この田舎もんが!!」

ドゥガルさんは、俺たちに向かってそう言った。

「そのための先行投資として、お前の欲しがってた泥炭も分けてやっただろう。なんの文句がある」

モイラは「ようせいさん」とつぶやくと、声を立てずに涙を流していた。

それを見た俺は、先の不安に焦ってとんでもない間違いを犯してしまったと気付いた。

クレイグの顔はみるみる白くなっていき、うつ伏せに倒れるとモイラが覆いかぶさるように縋りついた。

そのモイラの二の腕をドゥガルさんが強引に掴んだところで、俺が、ドゥガルさんを殴った。

このままでは申し訳が立たない。そう思った俺は追撃しようとすると、ドゥガルさんは芋のように地面を転ると立ち上がり、大声で喚きながら走って行った。

俺は奴を追いかけて村はずれまで出た。

その時は頭に血が上って、クレイグのこともモイラのことも、考えられなかった。

ただ自分の汚い思考を、過去を、消したかった。

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