ふわふわ毛玉が、がんばる理由

くろばね

冬空の下、ポメラニアンは爆走する


 冬の風に乗ってただよってくるのは、あまりかいだことのないにおい。


 ――でも、間違えるはずのない、間違えてはいけないにおい。


 ここだ! と強く決意して、ぼくは大きく床を蹴った。


「えっ!? あっ、うーちゃんっ! どこへ行くのっ!?」


 大好きな声が聞こえるけれど、振り返ってしまってはいけない。

 歳を取って病気になってしまったぼく(恥ずかしいけど、おトイレだって3回に2回は失敗してしまう)に走る力があるなんて、家族のみんなは思いもしていないだろうし。

 だからこそ、ぼくが勝手に部屋を出ないようにと取り付けられていた柵は、とうの昔に撤去されてしまっているし。


「ただいまー……って、うーちゃんっ!? そっちにいっちゃだめっ!」


 家族の誰も、家のドアを開けるときにぼくが飛び出してくるなんて考えもしないだろうし。

 さらにはこのタイミングで、探している人が家の近くを歩いているなんて。


 ――そんなチャンスはもう、この一度きりのはずだから。


「はっはっ、はっはっ」


 いける! とは思ったけれど、体は重くて胸はくるしい。自分の声が大きく聞こえて、そのたびに喉がカラカラになる。

 まあ、それもしかたない。もう十何年も生きているぼくは、にんげんで言うとりっぱなおじいちゃんなんだから。

 だけど、いまだけ。

 いまだけは、楽しくおさんぽに行けてたあのころみたいに、地面を何度もふみしめて。

 ただよってきたにおいをのがさないよう、必死に鼻を利かせながら。


「えっ……おわっ!? えっ、ふわふわ……犬っ!?」


 ……それだけを思っていたら、ぜんぜん前を見ていなかったみたい。ぼいん、と誰かにぶつかって、ごろん、とお腹を見せてしまう。


「散歩中に逃げ出してきた……にしては、リードもついてないし。えっと、大丈夫か? よっと」

「わう……わふわふっ」

「おお、人なつっこいなお前。もふもふで気持ちいいなあ、よしよし」


 結果オーライ、作戦成功。ぼくは見事ににおいの主をつきとめて、なんなら抱き上げてもらうことにも成功した。

 その人は大事そうにぼくを抱きしめると、そのまま体をなでなで、ふわふわ。優しい手つきに安心して、くったりと体を預けてしまう。うんうん、これなら合格、合格。あとはその優しさを、ぼくに向かわせるんじゃなくて――


「はあっ、はあ……っ! うーちゃん、いたっ!」

「きゃうっ!」


 追いかけてきてくれた声にお返事。くるりと振り向いてみれば、この世で一番大好きで暖かいにおいの持ち主――ミキちゃんが、狙い通りにそこにいた。


「病気なのに、そんなに走っちゃだめじゃない……! って、あれ、三杉くん!?」

「……この子、斉藤のうちの犬? そっか、犬飼ってるって言ってたもんな」

「う、うん。ポメラニアンのうーちゃん。もうおじいちゃんで、病気で、走れるはずなんてないと思ってたんだけど、急に逃げ出して、追いかけて……はあっ、ふうっ。はあっ」

「それで、ダッシュでここまで来たんだな。俺がきっちり抱いてるから、ゆっくり息を整えて」

「うん、ありがと……ふう、ふうっ」


 苦しそうなミキちゃんを見て、ほんの少しの罪悪感。まあ、ぼくの最後のお願いみたいなものだし、ここは許してもらいましょう。

 そう。

 ぼくはもうすぐ、みんなの前からいなくなるから。

 ずっと一緒で、兄妹みたいに育ってきたミキちゃんに、なにか恩返しをしたくて。

 

 ミキちゃんが好き(いぬなのでにおいでわかる!)で、ミキちゃんも好き(いぬなのでにおいでわかる!)なこの三杉という男の子に、ぼくのことを知ってもらうことを考えたのだ!


 ……それがどうして、恩返しになるのかって?


「わふ、けふっ、けふっ」

「お前もダメだろー? 病気なのにそんなに走って、飼い主を困らせて」

「きゃんっ!」

「返事だけはいいなあ。こうしてみると、すごく元気そうだけど」

「こんなに元気なうーちゃんは久しぶりなの。普段は寝てばかりで、たまに抱っこしてお庭にひなたぼっこに行くくらいで。だから、私もすごくびっくりしてる」

「めっちゃ俺に甘えてくるんだけど」

「それもびっくりしてる。うーちゃん、家族以外には塩対応だから」

「いいなあ。うちって犬飼えないからさ、こんなに懐いてくれる犬がいるなんて、すごくうらやましいよ」


 ……よし! 話の流れ、よし! あとはミキちゃん、勇気を出して……!

 三杉くんの腕の中でほっこりと暖まりつつ、ぼくは彼女の言葉を待つ。

 家で犬を飼えない、こんなに懐いてくれるけどもはや老い先の短いぼく、導き出される答えは……さあ……!


「……だったら、いつでもうちに、来ていいよ? そのほうがうーちゃんも、喜んでくれると思うし」


 よっしゃあ!!!!


「えっ……それ、いいの……?」

「う、うん……三杉くんが嫌じゃなかったら、だけど。うーちゃんはお外に長くいられないから、私の部屋で、とかに、なっちゃう、けど?」


 あっちょっとテンションが変だ。ぼくもだけど、ミキちゃんもね。


「……お前も、いいの?」


 返事の代わりに見つめてみれば、三杉くんは笑ってなでなで。うん、やっぱりこの人なら、ミキちゃんを任せても大丈夫そうだ。

 ミキちゃんが三杉くんをどのくらい好きなのかは、毎晩聞かされているからよーく知っている。借りたタオルを大事そうに抱えながらのろけられたときは、さすがに面倒に思ったくらいだ(おかげで彼のにおいがわかったんだけど)。


 きっとふたりに足りないのは、ちょっとしたきっかけだけ。

 だから。

 ぼくはもうすぐ「終わる」けれど。

 そんなぼくをきっかけに、ふたりが「始まって」くれたら。

 ぼくがいなくなって、悲しんでくれているミキちゃんを慰めることで、ふたりの仲が縮まっていくのなら。

 それはなんだか、とってもうれしいことだなって。死んじゃうのも悪いことじゃないなって。そう思わない? 思うよね……ふが、へっくち!


「うわ、犬もくしゃみってするんだな。そういや斉藤、上着も着てないけど、平気?」

「……平気じゃない。すごくさむい。もう、うーちゃんのせいだよ! 早くおうち、帰ろ!」

「わんっ!」


 ちょっと締まらなかったのを、元気に吠えてごまかしてみる。ポメラニアンの毛はふわふわでも、寒いものは寒いのだ!

 だからぼくは、がっしりと三杉くんにしがみつく。離さないぞと、ミキちゃんの腕には戻らないぞと、全身を使ってアピールをして。


「……本当に懐いてるね。だったらその、悪いんだけど、さっそく私の家に、抱っこして戻ってもらえる、かな。あったかい飲み物とか、出せるし」

「う、うん。でもあの、家族の人とか」

「大丈夫、三杉くんのことはその、色々話してるから」

「どんな話をっ!?」


 そんなふたりの笑い声を心地よく聞きながら、ぼくはウトウトと、目を閉じた。




 ……さすがにまだ死なないよ!? このあとは、ちゃんとおうちに帰ったからね!?





 

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