第12話 アルバイトを始めた 3

涙をはらはらと流すトニーちゃんに、私は恐る恐る声をかけた。


「あの、トニーちゃん」

「ナナちゃんが」

「はい?」

「あの可愛いナナちゃんが! 我が身を顧みず金の亡者への第一歩を踏み出そうとしているお! 僕はとっても悲しいお!」


顔を両手で覆いながら大げさなことを言うトニーちゃんに、私は眉を寄せた。


「いや、金の亡者って。ていうか、突然現れてどうしたんですか?」


するとトニーちゃんは両手を顔から外した。

顔の液晶画面の表情が完全に消えて、真っ暗になっている。

文字通り表情がなくなった目の前に映るロボットに、背筋に冷たいものが走った。


「私がなぜ現れたのか、心当たりはあるだろう?」


今までの明るくて人懐っこいおじさんの声から一転、重厚感と威圧感に溢れた美声に心が縮み上がるのを感じた。

自然とカワウソさんをテーブルの脇に置き、居住まいを正して問いかけに答えた。


「……グリードとの条件を破って短期のバイトを探そうとしてました」

「立場を理解できているようで何よりだ」


言って、トニーちゃんの液晶画面に再びイラスト調の表情が現れた。

心から悲しそうな表情をしていた。


「ナナちゃんが今、心身ともに余裕があるのは条件を守って働いているからだお。人の体力は無尽蔵にあるわけじゃない。ナナちゃんもわかっているでしょ」


トニーちゃんの表情が、キリッとした真面目なものになった。


「これ以上の就労は、ナナちゃんの心身を確実に崩すことになるお。僕はそれを見過ごすことはできない。というわけで、ナナちゃんには期間限定で副業に関する情報の閲覧と応募の制限するからね」

「……はい」


私はうなだれた。

初めてだ。

情報の閲覧制限を食らうなんて。

この街はトニーちゃんのような上位AIによって管理されている。

そしてトニーちゃんは、グリードと同じ使命を持っている。


『人を救い、幸福へと導く』


だから当然、そこに住む人々も管理の中に含まれていて、就労状況とそれに付随する体調管理もしっかりと把握されている。

私達のあらゆる個人情報はトニーちゃんたちにしっかりと握られているのだ。

今回の件は、お金を稼ぐことは幸福へと確かに繋がるけど、それより以前に体調を崩しては元も子もないと判断したのだろう。

話には聞いていて知ってはいた。

心身ともに不健康な状態に陥ると、理由次第だがこの街の法律に違反することになる。

だけどその前に、警告を与えて釘をさすことで違反をしないようにしているのだと。

トニーちゃんの砕けた言葉遣いに惑わされそうになるが、これは立派な警告なのだ。

ううう。

私は肩身を縮めた。

まさかその網に引っかかるとは思わなかった。

私はただ、もう少しお金を稼いで、楽しいことをたくさんできるようになりたかっただけなのだ。


「ナナちゃんがお金を稼いで、いろんな経験をすることは大切だと思っているお。だけど、体はそれ以上に大切にしてほしいお」


トニーちゃんの口調が柔らかく優しくなった。

少し顔を上げ、上目遣いでトニーちゃんの表情を伺い、我が目を疑った。

イラスト調のその表情は、ぎこちなさなど感じさせない、優しく柔らかく労るものだった。

AIに心はない。

だけど、実はあるんじゃないかと錯覚させるその技術は、今まで見てきたアンドロイドたちよりも確実に頭一つ抜けている。

本当にトニーちゃんは凄いな。

私は立場を忘れて感心した。


「ナナちゃんも前に言っていたおね。ナナちゃんにとって幸せとは何かって聞いた時、『心身ともに健康であることじゃないかな』って。そのことを忘れないで欲しいお」

「はい」

「じゃ、この話はこれでおしまいだお。今度は楽しいお話しで会おうね」


私は思わず身を乗り出した。


「あ! トニーちゃん待って下さい」

「何かお?」

「あ、えと、すみません。忙しいなら、また今度でいいんですけど」

「まだ時間に余裕はあるお。何か聞きたいことがあるのかお」

「はい」

「いいお。話してみて」


優しく促されて、私は慌てて質問の言葉を組み立てた。


「あの、お金って、幸せになるためには必要ですよね?」

「ふむ。……ナナちゃんはどう思っているのかお」

「え、えーと、今回のアルバイトをやって、お金増えて、凄く嬉しかったし幸せを感じたんですけど、何か違和感があるなって」


先程感じた疑問を率直にトニーちゃんへとぶつけると、トニーちゃんは何回か瞬きをし、ネコの口元のような口を開いた。


「なるほど。じゃあ、ちょっと考え方を変えてみるお。もしお金が即幸せに通じるものなら、僕やグリードがそれを奨励しないわけないと思うんだお」


言われて気づいた。

全然考えが及んでいなかった。


「……それもそうか」

「ナナちゃんがお金を手にして得られた幸せは、恐らく目標を達成したことによるものと、お金を得たことで生活が安定することによる安心だと思うお。お金そのものじゃないお」


トニーちゃんの語りは明朗でわかりやすい。

私にあわせてくれているんだろうけど、とても助かる。


「それとさっきも少し触れたけど、お金は持つことによって選択肢を、使うことによって経験を得られるんだお。その経験が人の欲望を叶えることがある、幸福を感じることがあると、僕は思うんだお」

「な、なるほど」


考えでゴチャゴチャしていた頭の中が、きれいに言語化されて整頓されていく。

それはちょっとした快感だった。


「これは前時代で使い古された一般論だけどね。人の中には、お金や資産を使わずに貯め込み増えていくことに喜びを感じる人もいれば、宵越しの金は持たないとあっという間に使っちゃう人もいる。人とお金の関係は多種多様で観察していて興味深いお」

「前時代の漫画や動画でも、お金にまつわるお話は多いですよね」


トニーちゃんはニコニコ笑って頷いた。


「うんうん。その中に、身の丈以上のお金を持つことで不幸になったお話も見聞きするおね。逆に、少しのお金から大きな幸福を生み出したなんてエピソードもある。お金を持つことが即幸せになるとは限らないって言っているのは、そういうことだお」

「ですね。……お金、取扱いが難しいなあ」

「稼いだお金でそれを勉強するのも選択肢の一つだお。くれぐれも、お金で得られる選択肢と経験に振り回されないようにね」


トニーちゃんはニッコリ笑って手を振ると、目の前の映像が消えた。

トニーちゃんとの対話が終わり、私はテーブルに突っ伏す。

短い時間に色々あって疲れた。

でも、話を聞けてよかった。

そしてつくづく思った。

やっぱり私は浅はかで、何もかも、特に経験が足りていないと。

AIのトニーちゃんの方が、人間の欲望についてよく理解しているってどうなのさ。

思わずため息をついたその時、端末から電子音が鳴った。

グリードからの映像電話だ。

……またお説教かな、フフフ。

気は重かったけど応答しないわけにはいかない。

私は応答ボタンを押した。


「はい」

「ナナミ」


グリードの映像が目の前に現れた。

複眼のシャッターは閉められていて、表情の手がかりになるものがない。


「グラトニーから報告があった。既に警告を受けただろう」

「うん」

「だから私からは二つだけ、言いたいことがある」

「何でしょう」

「せっかくお金を稼いだのに体調を崩しては元も子もない。体調にはくれぐれも気をつけてくれ。これがまず一つ目だ」


私は黙って頷いた。

AIが人の体調を気遣うのは、人がそうであるように当たり前のものとなっている。

そういう風に設計されていて、定型文みたいなものだ。

でも、気遣ってくれているんだと錯覚してしまう私のチョロさよ。


「もう一つは提案だ。今以上に稼ぎたいのなら、働き方を変えることを提案する」

「働き方を変える?」

「そうだ。もっと稼ぎのいい会社へ転職することだ」


転職。

これもまた全然考えていなかったことだった。


「君の今の仕事を否定する意図はない。ただ、君のパイロットの資質は君が思っている以上に有益なものだ」

「そんなこと」

「そんなことはあるのだ、ナナミ。以前行った企業イベントを覚えているか。その際に披露した君の操縦技術に、業種問わず各社からあのパイロットは何者かと問い合わせが多数寄せられた。ぜひ一目会いたい、話がしたいという熱心な企業もいた」

「え?!」

「個人情報に関わることだ。問い合わせには応じなかったが、君がその気になれば、その操縦技術をもって大企業メジャーへの転職も可能だと推測する」


私はアホのように口を開けてグリードを見つめた。

私の知らないところで、そんな話があったのか。

……ちょっと怖い。


「繰り返すが、君の今の仕事を否定する意図はない。君が敬遠する傭兵になれという話でもない。単純に今より稼ぎたいのならば、転職も視野に入れてみてはどうかという話だ」

「そ、そっか」

「今のアルバイトは楽しいか」


グリードの問いかけに私は大きく頷いた。


「うん! いろんな人やパワードスーツに接することができて楽しいよ」

「そうか。なら、現状維持でも構わないだろう。ただ、選択肢は君が思っている以上に多くあることを忘れないでくれ」

「……うん」


転職かー。

勤めてまだ一年と半年くらいしか経っていないから、転職なんて考えもしなかった。

確かにお給料はお安めだけど、今までは特に不満はなかったし、今も副業で懐は満たされている。

でも、これは直感なんだけど、ずっと今の会社にいる姿も想像できなかった。

だけどそれ以上に、転職しようと思った先の未来も想像できなかった。

……あああ、やっぱりいろんなものが足りない。

あまりにお子様だ。

私は思わず大きなため息をついた。


「元気がないようだ。グラトニーからキツく言われたのか」

「ううん、違うよ。自己嫌悪で落ち込んでんの。浮かれてグリードとの条件も破ろうとしたし」

「……君は私のことを生真面目だと評してきたが、君も負けじと生真面目な部分があるようだ」


グリードは両手を組み合わせた。


「では挽回の機会を与えよう。次の土曜日、私と一緒に動物園に行くことを要請する」

「グリード」


グリードの口調は、無機質なものだ。

だけど、いつもより柔らかく優しく聞こえる。

錯覚だ。

錯覚のはずなのに。


「君が行きたがっていたこの街で一番大きな動物園だ。君は動物を観察する。私はそこに来ている人を観察する。きっと様々な発見があるだろう。それは有意義な時間であると思われる」


複眼を覆い隠すシャッターが下りて、鮮やかな青い目が一斉にこちらを見た。


「君の欲望と快楽を私に見せてくれ」


その視線と言葉と口調に思わず頬が熱くなるのを感じた。

思わずうつむく。


「あの、グリード」

「何だ」

「何かさ、その言葉、恥ずかしいんだけど」

「私に恥ずかしいという感情はない。故に──」

「あー、そうだった。ゴメン。いいです。大丈夫」

「そうか。何かあったら言ってほしい」

「うん。……そろそろ寝る支度しないと」

「ああ。おやすみ、ナナミ。良い夢を」

「おやすみ」


そして電話は切れた。

私は脱力をして、椅子にもたれかかる。

全く、思わせぶりな雰囲気と言葉選びをしやがって。

落ち着け。

この数カ月で格段に表現力も演技力もつけたけど、実際には心も感情もないAIだぞ。

それでもその言動は、心に響いて水面のように揺れる。

私は再びカワウソさんを手にすると、そのフカフカの胴体を撫でて、その揺らぎを抑えようとした。

なんか最近こういうことが増えたような気がするんだけど気のせいだろうか。

……何か厄介な沼に足を取られかけてるな?

まずくね?

…………よし!

私は勢いよく顔を上げた。

今夜からよりしっかりするようにしよう!

勉強もして、経験も積んで、周囲に気を配れるようにしよう。

注意もいっぱいしよう。

なんか忙しいな?!

でも頑張ろう!

私はカワウソさんを抱きしめ、固く心に誓うのだった。


<アルバイトを始めた 完>

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