第12話 アルバイトを始めた 2

「いらっしゃいませ!」


私は笑顔でお客を出迎えた。

帽子を被った中年のおじさんだ。

いつもこの時間に来ているという常連客だと店長から聞いた。


「はいはい、きましたよー。いつものね」


このおじさんの『いつもの』とは、テイクアウトでアイスコーヒーのMサイズ氷なしのことだ。


「はい、かしこまりました。テイクアウト、Mアイス氷なし」

「かしこまりました」


一緒にカウンターに入っているサヤネさんが整った笑顔で朗らかに応じた。

その間におじさんにお会計をしてもらい、滞りなくアイスコーヒーが提供された。

おじさんが気さくな調子で声をかけた。


「ナナミちゃん、緊張してる?」

「はい、緊張しています」

「まだ一週間くらいだっけ? 大丈夫だよ。困ったことがあったらサヤちゃんに頼りなね」

「はい、ありがとうございます」


私が頭を下げると、おじさんもニッコリ笑ってコーヒーを片手に店を出ていった。

私はその背を見送りながら、肩の力を意識して抜いた。

グリードとの雑談から数日後、私の副業ライフが始まった。

勤め先は、アパテイアにいくつかあるメンテナンスステーションの一つだ。

このメンテナンスステーションには、人のための小さなドリンクバーがあって、その接客が私の仕事の一つである。

結局、グリードの勧めた情報を頼りにして今の仕事を決め、面接もどうにか通過して翌日から仕事が始まったのだった。

グリードの勧めに従ったのは、その方がグリードも安心するだろうという思惑があった。

まんまとグリードの作ったレールに乗せられた気はしないでもないけど、一週間近く働いた感想としては、良い職場ではないかと思っている。


「ナナミさん、グラスの洗浄をお願いします」

「はーい」


カフェの先輩店員のサヤネさんの指導の元、私はグラスの片付けを始めた。

サヤネさんは、青みがかった銀髪に紫の目をしたクールな美人系の人型ロボットアンドロイドで、もう五年以上ここで勤めている看板娘のような存在だ。

ぶっちゃけてしまえば、彼女一機でこの小さなドリンクバーは切り盛りできる。

だけど、人の接客を求める人は一定数いることと、私のパイロットの経験が活かせることから採用となった。

と、店の帽子を被った男性がこちらに向かって駆け足で来ているのが見えた。

店長のリヒトさんだ。


「サヤちゃん、大型をハンガーまで動かしたいからナナちゃんを借りたいんだけど」

「はい。ナナミさん、行ってきて下さい」

「はーい!」


私はバックヤードでエプロンを外し、自前のヘルメットをつかむと店長の後に続いて店を出た。

店長の向かう先には、あっ! ノーザンライツ工業のレグルス、しかも最新型だ!

おおおおお、もしかしてあれに乗れるのか?!

期待に胸がときめいた。

シリウスが丸くて愛嬌のある姿だとしたら、レグルスは全体的に四角くて愛嬌のある姿をしている。

主に大きな工事現場で見かける機体だ。

私の予感は的中した。

片膝をついたレグルスの側に、お困りな様子のパイロットスーツのおじさんがいた。

リヒトさんが腕を上げレグルスを指し示す。


「この機体だけど、AI接続リンケージだと動作が不安定になるから、手動マニュアルでハンガーまで動かして欲しくて。頼めるかい?」

「かしこまりました!」


私は満面の笑顔で頷いた。

やったー! 最新型のレグルスに乗れるぞ!!

心配そうに見守る持ち主の視線を背に受けながら、私は張り切って胸部のコクピットに乗り込んだ。

うはー! まだピカピカやん!

テンション爆上げ。

乱暴に扱った形跡もないし、初期不良かな?

コクピットを閉じ、エンジンをスタートさせて操作レバーを動かす。

お、少し重たいかな?

でも大丈夫。

私の操作にあわせて、レグルスはゆっくりすんなり立ち上がった。

持ち主さんは驚きの表情で、店長さんは笑顔でこちらを見上げているのが見えた。

私はマイクをオンにする。


「じゃあ、ハンガーまで行きますね」


ハンガーを指差し、私は足元と周辺をもう一度確認してレグルスを動かした。

スムーズに歩くレグルスに、私は安堵とともに頷いた。

よしよし、素直ないい子じゃないか。

ちょっと調子崩しちゃったんだよね。

でも、もう大丈夫。

今から整備士さんに見てもらおうね。

私は操縦しながら心で呼びかけた。

もちろん、返事はないけど。

強化外骨格パワードスーツは、手動で操縦するマニュアルと、AIと接続して操縦するリンケージとがあり、現在はリンケージでの操縦が主流となっている。

で、ここに不調を訴えてやってくるパワードスーツの大半はリンケージの不調がらみだ。

リンケージは繊細な技術で、それが新型ともなれば不備は出やすい。

で、そういう時に必要とされるのが、操縦桿でタフネスにガシガシ動かせるマニュアル操作で、私はマニュアルの免許──正確には限定解除──をもっているし本業もマニュアル操作だ。

これこそが、私が採用された決め手だった。

どっちかと言えば、ドリンクバーの方はオマケになる。

問題なくハンガーまでレグルスを運び、安心したような笑顔を見せる持ち主さんを見て、私もつられて笑顔になった。


「どうもありがとう。若いのにマニュアル操作できるなんて渋いね」

「よく言われます。でも好きなんですよ」


持ち主のおじさんと軽く雑談をし、私は整備場から離れた。


「ナナちゃん、このままここで誘導の手伝いお願いね」

「はーい」


店長さんの指示で、私はメンテナンスステーションに入ってくるロボットやパワードスーツの誘導をすることになった。

バタバタしている間に三時間が経過して、今日のバイトは終わった。

店長に見送られ、私は自宅へ戻るための地下鉄の駅に向かう。

電車に乗り込んだけど運悪く座れず、ドアに寄りかかるようにして真っ暗な外を眺めた。

やっている間は無我夢中だけど、こうしていると結構疲れていることがわかる。

任される仕事も少しずつ確実に増えているしな。

お金を稼ぐって大変なんだな。

窓に疲れた女の顔が映った。

あ、これはダメな表情だ。

私は表情を引き締めた。

ほーら、言わんこっちゃない。

週三で良かったろ?

お堅い性格のグリードはそんなこと言わないけど、それに近しいことは言いそうだった。

むむむむむ!

負けないぞ! 頑張って稼ぐんだ! 稼ぐんだからね!!

私は窓ガラスに映る自分の顔にそっぽを向き、端末でSNSのチェックをするのだった。


そして一ヶ月後の自室にて、私は口座のチェックをしていた。

胸がドキドキしていた。

両手を顔の前に合わせ、その顔が自分でも自覚できるほど気味悪くニヤける。

空中ディスプレイの文字、正確には数字が輝いて見えた。

頼もしさすら感じる。

今日はバイトの給料日だ。

そして、ちゃんとお金が振り込まれていた。

ああ!! 待ってましたよ、今日この日この時を!!

喜びのあまり、身近にあったカワウソさんのぬいぐるみを掴むと、抱きしめて身体を振った。

嬉しい嬉しい嬉しい!

これで生活費は余裕でクリアできるし、ちょっとの贅沢なら許されるだろう。

あの一ヶ月前の絶望的な気持ちと暗澹たる未来への展望はどこへやら、明るく幸せな気持ちになった。

その時、この街の上位AIの一機、トニーちゃん──正式にはグラトニー──から出された課題が脳裏をよぎった。

……幸せ。

これも幸せに入るのかな?

浮かれた気分が少し静まった。

食欲、物欲、好奇心が、お金の力で満たされる。

欲求五段階説とやらも、お金の力があれば満たされるものが多い。

というか、必須なような気がする。

お金があれば、幸せになれるということかな?

そうだと思うけど、素直に頷けない何かを感じる。

何だろう?

……………。

ま、いっか!

私は顔を上げ、再び口座の数字を眺めた。


「うふふ」


思わず声が出る。

せっかく念願のお金も手に入ったし、今はこの喜びに浸ろうではないか。

まずロディアのクリアかな。

それとも先に動物園に行こうかな。

うーん、嬉しい悩みだ。

胸に抱いているカワウソさんのぬいぐるみのような、フワフワフカフカの妄想に身を委ねていた時だった。

……もう少しお金、稼げそうじゃね?

思考の地平線から、もくもくとわき上がるものがあった。

いやいやいやいや。

私はすぐに頭を横に振った。

いま体力的に余裕があるのは、本業に支障がないように、アルバイトの時間を週三で三時間に設定しているからだ。

これ以上働くのは、明らかにオーバーワークだし、グリードの出した条件を破ることになる。

……言わなきゃいいんじゃね?

……一日の短期だったらバレなくね?

お金があればあるほど心に余裕ができる。

幸せになれる。

それは今まさに私が体験したことだ。

……見るだけなら。

そう、短期のバイトがどんなものか見てみるだけならいいよね!

私はキーボードを操作して、短期バイトを検索した。

おお、いっぱいサイトがあるなー。

その中の一番上に出てきたサイトをクリックした。

…………あれ?

クリックをしたのに、画面が切り替わらない。

しばらく待ってもサイトが開く形跡はない。

ついでに言えは、キーボードもカーソルも固まっている。

フリーズしたのかな?

仕方ない、再起動するか。

私は溜息をつき、電源ボタンに手を伸ばした時だった。

空中ディスプレイにノイズが走った。


「ナーナーちゃーん」


聞き覚えのある声と共に、ディスプレイに黄色のロボットの映像が現れた。

ロボットの顔に当たる部分についている液晶画面には、イラスト調で可愛らしく涙を流して悲しんでいる表情が表示されていた。

こ、これって!


「えっ?! トニーちゃん?!」

「そうだお。ナナちゃんとお話できるのは嬉しいけど、こんな形で実現はしたくなかったお」


空中ディスプレイに突然現れたのは、トニーちゃんだった。

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