第12話 アルバイトを始めた
第12話 アルバイトを始めた 1
胸が潰れるような思い。
骨が削れるかのような焦燥感。
骨の髄まで響く鈍い痛み。
目の前が暗くなるような思いはするけど、私の目はしっかりと現実の情報を脳へと送り続ける。
空中ディスプレイの文字、正確には数字を遮断したくて、私は手で目を覆った。
「……やっちゃった」
お金がピンチだった。
特に出費が大きかったのは娯楽費だ。
毎月の電子雑誌代と動画の鑑賞代は想定内だからいい。
グリードとハウオリのプールに行って調子づいたのが始まりだと思う。
せっかく水着買ったのに一回きりはもったいないよね! とアイちゃんとハンナちゃんとでまたハウオリのプールへ行ったのが一番大きい。
楽しかったなー。
楽しかったけど、懐は確かに痛かった。
次にVRゲームにはまってVRカフェ代がかかった。
まさかハマるとは思っていなかったし、ストーリーも意味深で気になる。
それと、本物のプリンが無性に食べたくなって、お高いカフェにも行った。
本物のプリン、美味しかった♡
また食べに行きたい。
あと、SNSで話題になっていた漫画の単行本を大人買いした。
だって、面白くて手元に置いておきたいなって思って。
でも! ぶっちゃけ予算オーバーだ!
まだ今月はいい。
食費を削れは何とかなる。
でも、来月以降もVRゲームの続きはしたいし、シリウスのメンテもしたいし、動物園にも行ってみたいし、新たにカフェを開拓して美味しいものを食べてみたい。
もしかしたらまた、SNSで面白い漫画やアニメを知って衝動的に欲しくなるかもしれない。
今まで感じたことのなかった欲が、私の心に芽生えていた。
私、こんなに欲深かった?
財布の紐、ゆるゆるだった?
てか、もっと身の丈にあった生活してたよね?
「ううううう……」
思わず口から出るうめき声。
何でこんなことになっちゃったのさ。
私はディスプレイを消し、テーブルに突っ伏した。
ああ、お金がない。
お金がない。
お金がない。
お金がっ! ないっ!!
私は目を閉じた。
お金がないことが、こんなにも焦りと不安を生み出すなんて知らなかった。
ここまで身と心を苛むなんて知りたくもなかった。
どうしよう。
仕事でレアメタルをザクザク発掘できればいいけど、そんな都合の良い運任せなことには頼れない。
ギャンブルなんてもってのほかだ。
てか、行ったこともやったこともない。
…………バイトをしたらいいんじゃね?
私は目を開き力強く顔を上げる。
そうだ! その手があった!
私の会社は副業OKだ。
足りない分は、別の場所で稼げばいい。
会社が終わった後に、本業に支障が出ない程度でできるやつを探せばいいんだ!
身を苛んでいた不安が消え、にわかに目の前が明るく開けたような気がした。
私は再びディスプレイをつけると、アルバイトの求人サイトを開く。
出てくる数多の求人の数々に自然と顔がほころんだ。
よーし、探すぞ!
私は早速条件の入力を始めた。
そしてその週の土曜日。
グリードといつものカフェでお茶をしている時、軽い気持ちで副業の話をした。
「反対だ」
「え?! 何で?」
グリードの予想外の言葉に私は驚いた。
てっきり賛成してくれると思ったからだ。
私は少し身を乗り出す。
「私のこの状態ってグリードの観察にうってつけの状態じゃん。お金を稼ぐという欲望をパワーにして労働に勤しむってさ」
「それは否定しない」
「でしょ」
グリードは、製造元から使命を受けている。
『人を救い、幸福へと導く』、というものだ。
そのために人を知り、人の行動原理、快楽や欲望を知ることを目標にしていて、人を観察し触れ合おうと頑張っている。
だから今の私の状態は、グリードにとっては理想的な観察対象だと思うんだけど、何やらお気に召さない様子。
グリードは、ドラヤキに見えなくもない頭の下に手をやった。
「だが、そのために体を壊しては意味がない。君は危険な街の外でフルタイムで働いている。それだけでも体の負担は大きいのに、この上副業をしては体を壊しかねない」
「残業だと思えば」
「週五で毎日三時間以上の残業は」
「週五じゃないよ」
私は否定をこめて両手を振る。
「さすがにはじめから飛ばすつもりはないよ。まずは週三くらいで様子を見ようかなって」
「つまり将来的には週五も視野に入れていると」
「……できたらね」
「ダメだ」
グリードはキッパリと言い切った。
むむむ!
グリードに話したのは失敗だったか?
でも目敏いグリードのことだ。
たとえ言わなくても、きっとどこかで察して忠告をするに違いない。
私は真面目にグリードと向き合った。
「本業を疎かにするつもりはないよ。体の負担の軽い、簡単なバイトにするし」
「私は君のオーバーワークによる体調不良を憂慮し、副業そのものに反対している」
「憂慮って」
AIに心はない。
だから憂慮、つまり心配するも何もないと思うんだけど、そういう言葉を選んでくるあたり学習はちゃんとしている。
堅苦しい言葉遣いは、おそらく設定のせいだろうけど。
それにしても、全く持って取り付くしまがない。
グリードの言っていることが正論で強く出れないのも大きい。
グリードの攻略がうまくいかず、まごまごする私に対しグリードは両手を組み合わせた。
「今回の件は君の自業自得によるものだが、どうしても生活が苦しいというのなら私が援助しても」
「それはダメ! 自業自得ならなおのこと自力で頑張らないと!」
私は思わずグリードの言葉を遮り身を乗り出した。
「私は、グリードと対等な友達でいたいんだよ。だから、援助とかそういうのはダメ!」
ただでさえ、このカフェでは毎回奢ってもらっているのも気が引けるのに、これで生活費の援助をしてもらったら、それはもう友達ではないと思う。
「君がそういう人だということを私は知っている。だからこれは最終手段として提案をした」
ムキになる私に対して、グリードはどこまでも冷静だった。
「ここまで色々言ってきたが、私がいくら反対したところで、君は副業をやることをもう決めているのだろう」
いつもどおりの淡々とした問いかけに、私は戸惑いつつ頷く。
グリードの言うとおり、私は副業をすることを決めていた。
「私は、そんな君の意志を尊重したいとも考えている。故に条件付きで副業を承認をしたい」
「条件?」
「簡単なものだ」
グリードの出した条件は、私が話していた内容を踏襲し具体的にしたものだった。
週三日、三時間以内のもの。
夜十時までのもの。
労働負荷が軽いもの。
「以上を踏まえ、私が独自に検索したアルバイト情報がこちらになる。参考にしてほしい」
「早いよ!」
「こういったことは、
私の目の前で情報が展開されるのを見ながら、私は思わずむくれる。
お父さんかよ! しかも過保護かよ!
面白くないぞ。
……でも情報はありがたくいただこう。
端末に情報を取り込みながら、グリードを見る。
「グリード」
「何だ」
「何かお父さんっぽいよ」
「私は君の父になるつもりはない」
グリードは事務的な態度で言った。
「私は君の一番の友人になりたいと思っている。具体的な目標はアイラだ。彼女を師として設定し、追いつき、追い越すことを課題にしている」
「待って。友情を学ぶのに師弟関係って聞いたことないんだけど」
「あってもいいだろう。私は人ではなくAIだ。人から学ぶのは自然な姿と言える。事後にはなってしまうが、アイラにはちゃんと説明をして」
「説明せんでもいいから」
この事務的で生真面目な性格設定のせいで、たまにポンコツさんになるんだよなー。
それがこのAIの個性とも言えるし、下手にナンパになるよりやりやすいだろう。
それはともかく。
「よく考えて仕事は選ぶよ。心配してくれてありがとう」
「礼には及ばない」
感情なく言ったグリードだが、ふと手を顔の下にあてた。
「実はもっと良い方法はあるのだが、今は触れずにおこう。仕事が決まったら教えてくれ」
「わかった」
答えながら、内心首を傾げる。
もっと良い方法って何?
でもグリードは今は触れないと言っていた。
この段階で問い詰めても、グリードは絶っ対に話さない。
何で頑固な性格設定にしたのか。
……ま、いっか!
私は話題を変えることにした。
「そうだ。最近ロディアにログインしてる?」
ロディアとは、今私がハマっているVRゲームの略称だ。
「ああ。週一かニでログインしている。毎日インしているハンナと一緒に、リベラリタスやインドゥストリアを野良で討伐したり、人を観察したり、スクショを撮られたりしている」
「ハンナちゃんとも仲良くなったんだね」
私は嬉しくて笑顔になった。
グリードの交友関係が広がるのは間違いなく良いことだ。
大きな使命を果たすための小さな小さな一歩だけど、確実な一歩だと思う。
「類は友を呼ぶとは前時代のことわざだが、ハンナもアイラも君に似ている。だから友好関係が築けたと推測する」
「え? そう?」
意外な発言だ。
アイちゃんとは性格が真逆だし彼氏持ちだし、ハンナちゃんは私にはない独特のノリがある。
似ても似つかない性格だと思うんだけど。
「アイラもハンナも君同様、己の欲望に素直で正直だ。わかりにくく拗れた人と欲望を読み解くのもやりがいを感じるが、君たちのように素直な方が観察対象としては理想的と言える」
……理由はわかったけど、正直過ぎやしませんかね、グリードさん。
私はわかりやすく顔をしかめた。
「また一言二言余計なことを言ってるよ」
「……どこがだ?」
「まずは自分で考えよ?」
この後もグリードとのんびり過ごした。
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