第2話 チョコレートをもらった 後編

映画館と劇場に面した広場は、商業施設とは違った混沌ぶりを見せていた。

やはり赤とピンクで彩られているが、電飾が商業区画と比べてけばけばしい。

目がチカチカするだけならまだいい。

爆音で流れる音楽と、広場に設置された大型ディスプレイには、ホストやホステスがこれでもかと言うくらいに大絶賛の上で紹介されている。

頭が痛くなるような光景だった。


「チョコパイ! チョコパイ! いかがっすかー!!」

「今ならまだ席空いてるよ! そこの彼女にご縁のなさそうな君! 可愛い彼女たちと一緒に過ごさない?!」

「チョコパイあるっよー! いつでも出来たて! ほっかほっかっすよー!」

「え、間に合ってる? ハハハハハ! 嘘つけよ! ほらほら見てって見てって!」

「チョーコパイ! チョーコパイ!」

「二次元のリノンちゃんもかあいいっすけど、うちとこの三次元のリノンちゃんもかあいいっすよ! ほら!」

「三次元に見切りをつけようとしているそこの貴方! 早まるな! 貴方にはまたアンドロイドがいる!! 人には決して表現できない美の体現者、アンドロイドがいるよー!」


周囲の大音量に負けじと声を張る呼び込みの声と、気を良くした酔っ払いたちの歌声と叫び声が聞こえる。

……チョコパイの主張が激しいな。

てか、チョコパイって何?

どうせ、ろくでもないものだろうけど。

グリードが私の方を向いた。


「ナナミ、チョコパイとは何だ? 検索したら洋菓子が出てきた。ここにも洋菓子店があるのか?」

「知りません。あとで本人に聞いてみたら」

「そうしよう」


間違いなくグリードは実行する。

その様を想像し、思わずため息がこぼれた。

そして風俗の喧騒にそっぽを向く。

そっぽを向いた先に、映画館のビルが建っていた。

屋上に翼を広げた竜のオブジェ聳えているのが目印だ。

ビルに取り付けてあるディスプレイには、バレンタイン特集と銘打ち、名前だけは知っているラブストーリーのPVが流れている。

デートといえば映画館、と言われ前時代からの鉄板スポットだったらしいけど、それは今も変わらない。

映画館には明らかに恋人同士と思しき人々が、入り口に流れ込んでいた。


「じゃ、映画観てくるね。二時間後に映画館前に集合でいい?」

「わかった。鑑賞料は大丈夫か?」

「懐に痛くないものを観るから大丈夫だよ。気をつけてね。また酔っ払いに絡まれないでね」

「ああ、君の手を煩わせることのないよう、十分に気をつけよう」


こうして私達は別行動を取ることにした。

グリードが風俗街へ向かっていくのを一抹の不安を覚えながら見届け、映画館へと入る。

映画館も盛況だった。

ロビーには多くの人が行き来している。

チケットもグッズも飲食も長蛇の列をなしていた。

だが、商業区画のあの凄みに満ちた行列に比べたら実に可愛いもので、並ぶ人々の表情も歴戦の猛者のものでなく、明るく柔らかく朗らかだ。

寄り添うカップルに幸せに爆ぜろと念じつつ、私は端末を手にする。

さて、何を見ようかな。

上映ラインナップをチェックすることにした。


私はアニメや漫画が好きだ。

今の時代の作品も好きだけど、前時代の作品を発掘したもの、モノも資源も豊富にあった幸せな時代の作品が大好きだ。

今の時代の作品は、確かに技術は優れている。

でも、お話がどこか上滑りしているような、明るく振る舞おうとして、無理しているような感じを受けるのだ。

だから、自然にありのままに、キャラも物語も描写できる、様々な意味で余裕のあった前時代の漫画やアニメが好きなんだと思う。

他の人々もそう思うのだろう。

現に今回のバレンタイン特集も、殆どの作品が前時代のリニューアルやリバイバルものだ。

あ、この絵かわいいな。

童話や絵本のような、優しい色合いのアニメ映画だ。

ピンクブロンドの髪の美少女と、華奢な黒髪の男の子が手を取り合って、背後に迫る人々から逃げている。

女の子は笑顔で、男の子は困ったような少し照れているような、複雑そうな表情なのが印象的だ。

お話は、強引に結婚を迫ってくる非常識な王子に耐えかねたお姫様が、一目惚れした貴族の御曹司を巻き込んで逃避行をする、というラブコメだった。

自然と頬が緩んだ。

三次元のカップルは幸せに爆ぜてほしいが、二次元のカップルは俄然応援するのが私である。

興味が湧いて鑑賞料を見た。

あまり人気がないのか、鑑賞料は大作の半額だった。

安っ!

これなら、ドリンクとお菓子をつけても予算内に収まる!

キタコレ運命! 君に決めた!!

というわけで見る映画も決まり、長蛇の列にもめげずに並んでチケットと食事もゲットした。

そして、上映時間ギリギリになんとか滑り込み、無事に映画鑑賞をできたのだった。


ああ、心が洗われた。

えー話やないの、この作品。

無事に映画を見終わった私は、グッズ売り場で電子パンフレットを買い、端末からそれを見てニヤニヤしていた。

本当は音楽も買いたかったけど、予算オーバーになるからグッと諦めた。

私はロビーで映画の余韻に浸る。

作画は抜群に良かったし、背景もメッチャきれいだった。

音楽はクライマックスまでは過不足なく、でも最後のバトルシーンはすごく格好良くて、シーンを盛り上げていたし。

そしてストーリーが面白可愛い。

外見はともかく、中身はイケメンの御曹司が最初から最後まで格好良かった!

本当に半額で良かったのか?

むしろなぜ半額なのか?

いや、ありがたいけどさ!

私は未だ人が群がるロビーをうろつく。

あー映画館出たくないなー。

現実見たくねー。

ギラついた欲望見たくねー。

しかし、グリードと約束した二時間は過ぎている。

いい加減外に出て、グリードと合流しよう。

映画館の出入り口に向かうと、人目を引く多脚ロボットがいた。

容赦なく人々の視線を集めているが、グリードは平然としたものだ。

声をかけようとした時、グリードがこちらを向いた。


「ナナミ」

「ゴメンね。待たせちゃって」

「いや。待ったといっても五分ほどだ」

「ちゃんと調査できた?」

「ああ。チョコパイの正体もわかった。チョコパイとは──」

「言わんでいいよ!」


せっかく浄化された心が、生々しい欲で汚されるのは避けたかった。


「では、これからどうする?」

「行くとこないなら、いつもの公園まで戻って解散かな」

「時間も時間だ。そうしよう」


私達は歩き出す。

興行区画の喧騒を抜けた瞬間、心からホッとした。

昼間は静かでまだ行きやすいんだけど、夜のあの周辺は苦手だ。


「そう言えば、調査をしている間にジョン・ライルと会った」

「え?! アイツあそこに来ていたの?!」

「ああ」


ジョン・ライルとは、友達の彼氏の部下だ。

つまり私にとってはただの知人である。

春節の時も何故か一緒についてきて、グリードとも知己になった。

思わず眉間にシワが寄る。

今日この日、あの地域を歩いていたということは、奴も彼女がいなかったということだ。

春節の時、私に彼氏がいないことを散々ネタにしていたくせに、許せん。


「それ、間違いないんだよね」

「間違いない。店を物色しているようだったが、私が声をかけた途端……あの感情は『気まずい』というのだろうか? とにかく顔色が赤に青にと様変わって忙しそうだった」

「……ああ、うん、だろうね」


ざまあ。

内心で唇の片側を上げた。

風俗店を物色している時に、知人に会うなど気まずいに決まっている。

恐らく向こうは素知らぬフリをして、やり過ごそうとしたのだろう。

だが、そこは空気を読まないAIのグリード氏、往来で堂々と声をかけたのだ。

その気まずさたるや、許されるなら全力で走って逃げたかったに違いない。


「彼から色々話を聞きたかったが、急用を思い出したからと言って立ち去った。残念だ」


奴め、小賢しく逃げたか。

私はにっこり笑った。


「また会う機会はあるから、その時に聞けばいいよ」

「そうだな。是非話を聞かせてもらいたい」

「うんうん。未来に楽しみができたね」


クククク、困れ。

私をネタにした罪は重いぞ。

私達は商業区画へと戻ってきた。

二時間以上過ぎ、店じまいしている店舗も多くなったことで、人のピークは一段落したようだ。

大分歩きやすくなっていた。


「ナナミはどうだった? 映画は楽しめたか?」

「うん。隠れた名作を見つけられて大満足だよ」


映画の内容と感想を話しながら通りを歩き、商業区画を抜け、無事にいつもの公園にたどり着いた。

近くに地下鉄の駅があるだけで、ベンチと花壇があるだけの小さな公園だが、人を待つには都合は良かった。

だがこの時間は、ベンチは既にホームレスたちで埋め尽くされており、座るスペースも話すスペースもない。

人が来ていないことをいいことに、私達は地下鉄の入口付近で立ち止まった。

すると、グリードは目のシャッターを上げた。

水色の複眼が現れ一斉にこちらを見る。


「今夜はありがとう。君がいなければ外に出向くことすらしなかっただろう。帰ったら記録を見返し、人への理解に努めようと思う」

「うん、まあ程々に頑張って。人って本当にいろんな人がいるからさ、マイペースでいこ」

「そうだな。人という種でひと括りにするには人はあまりに多種多様だ。今夜の欲望の多様さを見てそれを実感した。これからもよろしく頼む」

「うん。それとシャッターは閉じよ」


グリードは素直に目のシャッターを閉じた。


「それじゃ、また連絡するね」


そうして今夜は解散となるはずだった。


「ナナミ、ちょっと待て」


グリードは私を呼び止めると、背後のコンテナが開いた。


「コンテナの中に君に贈りたいものがある。気に入ってくれると良いのだが」

「え?」


開いたコンテナの中からトレーが出てきた。

そこには、厳ついコンテナと多脚ロボットのギャップが凄い、可愛いラッピングが施された手のひらサイズのプレゼントが乗っていた。


「え? これ私に?」

「ああ。先程商業区画にいた時、君が目に止めていたチョコレートだ」


思わずコンテナから目を離し、グリードを見やった。


「は?! いつの間に買ってたの?!」

「風俗街の調査をしつつ、ドローンを飛ばして店で買った」

「え?!」


よくよくコンテナの中を覗いてみれば、確かに飛行ドローンが納まっている。


「マルチタスク! 器用! そしてお金持ち!」

「時間と金銭には余裕はあったが、品切れになる懸念があった。しかしどうにか間に合ったようで良かった」


グリードは改めて言った。


「今日までの礼と、これからも世話になる礼だ。受け取ってくれ」

「そっか」


気を遣ってくれたのか。

本当に私が貰っちゃっていいのかな。

いや、本人が私宛だと言っているじゃん。

嬉しいな。

素直に思う。

思わずほっこりした気持ちになった。


「義理チョコという言葉があるそうだな。このプレゼントに相応しい言葉だと思う」


……その台詞、口に出す必要ある?

ほっこりした気持ちが途端に冷めたものになった。

彼の言っていることは正しいし、使い方も間違っていない。

だがもう少し、TPOとか、前後の空気とか、行間を見極めて言葉を選んでほしい。

そう思うのは、贅沢なことなのだろうか。

AIってみんなこうなのか、それともグリードが例外なのか。

私は内心で深くため息をついた。


「ナナミ?」

「あ、頂きます! チョコどうもありがとう!」


私は慌ててプレゼントを手にし、グリードに見せた。


「お家に帰って、コーヒーと一緒に頂くね」

「もしよければ、味の感想も聞かせてほしい」

「わかったよ」


バックにチョコをしまい、私は手を振った。


「じゃ、今度こそまたね」

「ああ。社宅まで気をつけて」

「うん」


私はグリードに背を向け、地下へ続く階段を降りた。

こうして私はバレンタインの当日、多脚ロボットのAIから義理チョコを一つ貰った。

戦果はそれだけだ。

いや、映画で隠れた名作を発見できて満足できた。

うん、チョコは買えなかったけど勝ちだ。

私はバレンタインに勝ったのだ!

そう思うことにした。

そうだ、ホワイトデーはグリードにお礼をしなきゃ。

……何をお礼したらいいの?

全く検討もつかないまま家に帰った私は、コーヒーを入れてチョコを一つ食べてみることにした。

繊細な装飾が施されたチョコは、見ただけでもお値段がお高そうで、手に取る指が震えた。

口にした瞬間、


「うっまっ!」


思わず声が出た。

今までで一番美味しいチョコレートだった。

口の中に瞬く間にとろける様は、甘美の一言だ。

しかし、私の心情が大いに反映されたのか、甘くはあったけど苦さの方が強く、なぜか塩っぱさも感じた。

……あーあ、お高くて美味しい義理チョコもいいけど、来年こそは本命チョコを買ったり貰ったりしたいなー。

コーヒーを啜りながら思うのだが、彼氏のいる未来は何故か想像できないのだった。


<チョコレートをもらった 完>

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