第3話 パラボラまでの道のり

 一週間経ってもラジオからは何も聞こえなかったので私はラジオを受信している月面の受信設備まで歩いて確認しに行くことを決めた。詳しいことはわからないが、いつも聞いている地球のラジオ放送は月面の巨大なパラボラで受信し、そこを中継してクレーターホームまで伝送されているのだとカトリは言っていた。私はその言葉に心躍った。つまりパラボラの調子が悪くなりラジオを受信できなくなったと。つまりそこが直ればまた聞こえると私は理解した。

カトリはパラボラの緯度経度を知っており、幸いなことに知り合いがそこに駐在しているという。私はカトリに七十歳過ぎの老人が明日訪ねるのでその相手をしてほしいと伝えて貰った。私の心の中には、久しく忘れていた感情が湧いていた。その日、ラジオ無しでもすぐに入眠できた。

私はこれまでクレーターホーム近傍しか歩いたことはなかったが、パラボラは約十キロ離れていて、未知の道のりだった。前日に用意した新品の作業着を慎重に身に着けると、今一度、ラジオの電源を入れたが、もちろん一切音は聞こえなかった。私はクレーターホームのドアを後ろ手に閉めた。変わらぬ日常。新鮮な地球の出が見える。柔らかいレゴリスの上を注意深く歩いていく。踏みしめるたびに何かきゅっとした音が聞こえそうな気がするが、それは空耳である。昨日確認した通り、西側に見える楯状火山の右裾野とクレーターの内壁段丘と間を、延々と柔らかいレゴリスを踏みしめて進む。二十分も歩くとクレーターホーム群は見えなくなった。平坦で海のように見える場所にも起伏があり、すぐに先が見えなくなった。ただ二時間ほど歩き楯状火山の中央頂がほぼ真横に見えたので予定通り小休憩をとった。行動食と水分をわずかばかりに口に含む。思っていたよりも順調だった。再び二時間程歩くと、いつも見る楯状火山と異なり、アルベドが極端に高く、光って見える唐突な高まりが遠くに小さく見えた。私が暮らす「嵐の大洋」にこんな奇妙な地形が存在することに驚いた。岩塊上に椀状の物体が見える。あれがパラボラだとすぐにわかった。近づいていくとその異様な巨大さだった。さらに近づくとパラボラはクレーターホームが犬小屋のように感じる程に巨大なアンテナで、白色岩塊の上に設置されている。こんなにも巨大な岩塊は初めて見た。月面で粉砕されていない岩を見ることは珍しい。岩は隕石の衝突や太陽風の影響で粉々になる。白色扁平で巨大な岩塊上に、パラボラが乗っている。一歩一歩近づくと、岩の大きさは三十m程だった。遠くから見ると岩塊に細い線が描かれているように見えたがそれは細い階段で、パラボラの脇にはクレーターホームが建っていた。目を細めてみると作業着を着た人が手を振っているのが見えた。

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