第2話 子供の魔女と詠唱師

 世界を救う? 


 あまりにも話が飛躍し過ぎて、思考が追いつかない。


「あの……すみません、意味が分からないです。なんで僕が?」


「これを書いたのはお前だろう?」

 神様と名乗るおばあさんは、両手でポエムノートを示す。


「そうですけど、あの……ポエムを見られるのは恥ずかしいので、返してもらえないでしょうか」


「お前の世界では、これをポエムと呼ぶのか?」

「……他に呼びようがないので、僕はそう呼んでます」


「そうか……ポエムか……」


 椅子に座っている神様は、膝の上にポエムノートを置くと視線を落として、静かに語り出した。


「この世界ラプソディアには、言葉に特別な力を宿すことが出来る『詠唱師』という者達がいる。詠唱師が詠唱することで、人々に幸福をもたらし、世界の平穏と安寧が保たれてきた。しかし『魔女』という特殊な存在が現れて、世界は一遍してしまったんだ」

 

 焦燥が入り混じる言葉と共に、部屋の景色が切り替わる。



 先ほどの自然豊かな田舎の風景とは打って変わって、視界一面に建物が立ち並ぶ、全く別の場所が360度映し出される。


 巨大な神殿、高い時計塔、立派な西洋風の建築の数々、地平線まで建物や家が広がっている。


 まるで関東平野に広がる、東京の街の様だと思った。

 街の中には、たくさんの人が居るのが見える。


「イオニアという、この世界で一番大きな街だ」


 神様の言葉と同時に、景色が下に降り始める。

 空からだんだん視点が、地上に降りていく。


「え?」


 街の中にたくさん居る人が……人ではなかった。

 頭から角が生えている。

 口元から牙が生えている。 

 目は赤黒く光っている。

 顔は笑っている。


 そして意識を失ったかのように、フラフラと歩いている。


 街の人、全員が。

 子供も、大人も、老人も。

 何千、何万、何十万、何百万?

 ……見当も付かない。


 大量の化け物が、笑顔で徘徊している。

 とてつもなく不気味な光景だった。


 変な音も聞こえる。

 それが、笑い声だと分かるまで時間が掛かった。

 言葉は一切無く、夥しい数の笑い声だけが、絶え間なく聞こえる。 


 街は壊れてるわけではなく、争った形跡もなく、風景は普通に見える。

 そこに居る人々だけが異常。 


 それ故に違和感が凄まじく、グロテスクであり得ないものを見ている感覚に陥った。


「元はお前さんと同じ、普通の人間だったんだ」


 悲しそうな声で神様は言う。


「今じゃ魔人と呼ばれている。角が生え、牙が生え、笑う以外のことをしない。それだけの生き物。言葉を喋らないし、意志の疎通も出来ない。笑いながら彷徨うのみ。魔女が人間を、あのような魔人に変えてしまったんだ」


 嘆きと怒りが入り混じる表情で、神は声を振り絞る。


「この世界の人間、ほとんどが魔人にされてしまった。人間はもう残り少ない。間もなくすべての人間が魔人となり、この世界は人間が居ない世界になってしまうだろう。そうなる前に、なんとか別の世界から助けを呼びたかったが……間に合った。マイトと、このポエムを召喚出来た」 


 神様はノートを両手で握り、感極まった様子で頭を下げた。


 今の深刻な世界情勢の話が、なぜポエム繋がるのか……わけがわからなかった。    


「名立たる詠唱師が、魔女を止めるべく挑んだが、すべて返り討ちに遭い、魔人になった。どんな詠唱も魔女を止められなかった。その実、魔女も詠唱師なのだ。魔女の詠唱によって、人間は魔人になってしまう。規格外の存在だ」


 詠唱師が世界の平和を築いていると言っていたが、それを脅かす魔女も詠唱師ということか。


「それで考えた。規格外には規格外をと。別の世界の異なる視点の言葉を詠唱すれば、なにか起きるんじゃないかとな。そうして召喚を試みて、お前を呼べたというわけだ」


 あまりの意味不明さに眩暈がした。


「いや待ってください! 僕は詩人でも何でもない! 本当に何でもないんです! ……それどころか不登校の挙句、今はニートの引きこもりだ。そんな奴に助けを求めるなんて……冗談はやめてください! 誰かと間違えてるんじゃないですか?」


「だから確認したろう? これはお前が書いたものかと……それだけで十分だ」


 この神と名乗る人物の、意図がわからず困惑した。


 どこまで本気で言っているのだろう。

 そもそも本当に神様なのか?


 しかしこのパノラマ映像の中にいる状況が、普通ではないことだけは確かだ。


 その時、ふと素朴な疑問が浮かんだ。


「あなたが神様なら、なぜ自分でやらないんですか?」


「私は世界に直接干渉できない。間接的には干渉出来たが、もうその術は無くなってしまった。今いるこの部屋は『世界の外側』なんだ。外側から観ることしか出来ない。私には何も出来ない……だからお前に頼むしかない。本当にお前が最後の希望だ。もう世界にも、私にも……時間が無いんだ」


 とても、嘘や冗談を言っている様には見えない。

 本当にこの人は、自分に世界を救って欲しいと頼んでいる。

 そうマイトは感じた。


 しかし、そんなこと言われても、どうしていいのか全くわからない。

 自分に出来ることなんて、何もないとしか思えない。


 足元に広がる、無数の魔人が徘徊する世界を目の当たりにして……。



 その時、また映像が先ほどの、自然溢れる田舎の風景に変わった。


「ここはラプソディアの南の果てにある、テリルという村だ。もうこの世界にはテリルとダウナしか……」


 神の言葉が止まる。


「魔女が来おった!」 


 魔女が来た? 

 どこに? と神様の視線の先を見つめる。


「ほれ魔獣に乗ってる……テリルを襲う気だ!」


 見たことがない獣が、4足歩行で大地を走っている。

 巨大な耳と角と尻尾。

 真っ黒な毛で覆われた体は、目と尻尾の先だけが金色に光っていた。


 その背中に乗っているのが魔女……。

 小さな角が生えている、女の子だった。

 どう見てもまだ子供。

 小学3、4年生くらいだった。


「あれが魔女……ですか?」

「魔女は4人いる。その内の1人だ」


 村の手前で、子供の魔女は笑いながら魔獣から降りて地面に立つ。


 金色の髪に、赤い角が生えている。

 真っ黒なマントを羽織っていて、マントの下は白を基調にした服と、赤いスカートを履いていた。


 何度見ても、外見は子供にしか見えない。


 村の住人達は「魔女だ!」と叫び、逃げ始めていた。

 その時、魔女の眼が光った。


「みんな笑顔に、なーあれっ!」


 魔女が大声でそう言うと、逃げ惑う村人の顔に、お面の様な物が浮かぶ。


 子供の落書きのような、クレヨンで描かれた様なニコニコマークのお面。

 それが人々の顔に張り付いて同化していく。 


 みるみる角が生え、牙が生え、口角が上がり、目が金色に光り、不気味な笑顔を浮かべる魔人になっていた。 


 今のが詠唱? 

 あんな簡単に? ……と驚く。

 あんな子供の掛け声で、人が人で無くなる。


 恐ろしくなった。

 目を疑いたくなる光景に戦慄する。


 まだ魔人にされてない村人が、次々と逃げていく。


 その時逃げる村人とは逆に、魔女の居る方に向かってく2人の女性が見えた。


「詠唱師様!」


 村人が、女性に助けを求める様に声をかけていた。


 詠唱師と呼ばれた女性2人は10代後半……。

 高校生くらいに見えた。


「あの娘達が詠唱師だ。もう世界に詠唱師は殆ど居ないんだ……。貴重な存在だ」

 

 神様の声が切実に響く。


 まるで孫を見守るかの様な真剣な表情で、祈るような眼差しを、詠唱師の女の子に向けていた。


「詠唱台生成」 


 2人の内の1人が、地面に両手を置くと、円形の白い台みたいなものが地面から出現し、もう1人がその台に立つ。


「詠唱開始」


 白い台の上に居る、詠唱師の眼が光る。


『人類に仇名す魔女よ 劣悪なる詠唱を滅し 

 人の領域より敗散せよ 

 厄を覆い尽す 聖なる光の中で散れ』


 今のが詠唱? 

 魔女の詠唱とは随分違う。 


 その瞬間、詠唱の効果なのか魔女の身体が光り出す。

 今言ってた聖なる光だろうか……。

 眩い光が魔女を包み込む。


「おおっ」


 神様が期待の籠った声で、事態を注視している。

 詠唱師の2人も、祈るような顔で光の中を見つめている。 


 しかし――。


「やーだよー! 散らないよー! だって効かないもん!」


 本当に効いていない。

 魔女は、頭の後ろで手を組み、余裕の表情でそこに居た。

 

 やがて光は弱っていき……消える。


 神様が項垂れる。

 そういえば、神様がさっき言ってた。

 どんな詠唱も、魔女を止められなかったと。


 魔女には、詠唱が効かないということ。


 今の神様の反応から、それでも今度こそという想いがあり、それでも駄目だった。

 やはり効果がないという事実が、突き付けられたみたいだ。


 詠唱した2人の女の子も、絶望的な表情を浮かべていた。


「あれ? もう終わり? せっかくキラキラ光って綺麗だったのになー」


 無邪気に笑いながら、軽い口調で言い放っている。

 容姿だけでなく、仕草も、言動も、子供そのもの。


 そう思った直後、今度は一転して妖しげな笑みを浮かべて囁く。


「詠唱師さん……そんな詠唱じゃ、この『守り』は破れないよ」


 声のトーンを落として不敵に笑う。


 ……怖い。

 マイトはそう思った。


 何をするかわからない。

 感情の起伏が直情的とでも言ったらいいのか、そんなところも含めて子供らしい怖さを感じた。


 時として大人が躊躇することを、子供は平気でやる。

 そんな残酷性が、あの角の生えた子供から溢れていた。


「ていうかさー、まだ詠唱師っていたんだね。もう世界に詠唱師は残ってないと思ってた。みんなニーナ達で魔人にしたからね。詠唱なんてなんの意味もないのにさ……人間はみんな魔人になるんだから……今日で終わりだからっ!」 


「いかん!」


 神様が叫ぶ。


 魔女が笑いながら、詠唱師の2人の方へ歩き出すのが見える。


「あの子らに、この言葉を授けるのだ」 


「え?」


 開かれたポエムノートが、宙に舞って移動しマイトの手元に置かれる。

 このポエムをあの詠唱師の娘に伝えろ、と神様は言っていた。


 それを理解するのを、一瞬だけ脳が拒否する。


 しかし次の瞬間に理解し、全身の毛穴が開くような感覚に陥り、一気に体温が上がる。


「いやいやいやそんなの無理です! 無茶苦茶です! 耐えられません!」


 あの女の子にポエムを読まれて、発声されるなんて精神が崩壊してしまう。


 第一こんなポエムを伝えたところで、何になるというのか。

 マイトには、全然ピンと来なかった。


 それに伝えるにしたって……


「そうだ! そもそも言葉が通じないですよ!」


 当然の主張を口にする。


「案ずるな。現に今、お前と私は言葉を交わしてるじゃないか。ポエムも読ませてもらった。召喚された時点で、言語認識はこの世界と共有している。文字も同様だ」


 そういえば、魔女の言葉も、詠唱師の言葉も、全部理解できていたのを今更思い出す。


 なんという超常現象だ。 


 部屋の映像が移動し、詠唱師の娘の側まで近づく。


 すると部屋の壁に扉が出現した。 


「私には通れない、世界と繋がる扉だ。頼む! 時間がない! お願いだマイト! お前だけが頼りなんだ」 


 必死の声で頭を下げる、おばあさんの姿に心が揺らぐ。


 切羽詰まったこの状況で、他にどうすることも出来ず、反射的に言われた通り扉へ向かってしまう。


「行け! マイト! 救ってくれ!」 


 神様の声を聞き、夢ならもう覚めてくれ!

 と、心で叫びながら扉を通る。


 そうして異世界の地に足を踏み入れた。

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