第3話 反撃の詠唱

 外への扉をくぐり抜けた瞬間、身体全部で世界を感じた。


 一気にリアルに放り込まれた感覚になる。


 目の前には神様の部屋で見た、詠唱師の女の子が2人居る。


 更にその先には、不敵な笑みでこちらに歩いて来る、子供の魔女の姿が確認できる。


「あなたどこから!?」

 詠唱師の2人の内の1人。

 地面に、円形の白い台を作っていた娘が、驚いた表情でマイトに声をかける。


 台の上に乗っている、もう1人の詠唱をしていた娘も、驚きの顔を向けていた。


 そんな2人を見て、マイトは頭が真っ白になる。

 完全に固まってしまった。


 何をするために、ここに来たのかを忘れてしまう程に。

 思考は停止して、心は混乱の極致だった。


 そんな中、手に持っているポエムノートの感触が脳に伝わり、やっと意識を取り戻す。  


 そうだ。

 これを伝えろと神様に言われて、今ここにいる。


 しかし、身体が動かない。

 声が出ない。


 緊張、躊躇、動揺、混乱。

 過去、羞恥、心傷、絶望。


 様々な感情が巻き起こり、それらが作り出す黒い渦に囚われる。

 身動きが取れず、声も出せず、心も折れて、閉じ籠る。


 あの暗い部屋での、年月の様に。


 自分はそういう弱い生き物だと、思い知らされる。

 自分なんて今までもこれからも、何もできないまま……。


『頼む! お願いだマイト』

 

 そんな自分に、必死に頭を下げてお願いする、おばあさんの姿が脳裏に浮かんだ。


 その瞬間、マイトは自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。


「これを詠んでっ!」 


 ノートを破って、神様が授けろと言った、そのポエムを詠唱師の女性に渡す。


 詠唱師の女性は、その渡された紙を、目を見開きながら確認する。


「詠唱開始」


 女性の眼と、首飾りが白く輝き、発声が始まる。



『言葉があるから まだ死なない

 言葉がある限り 諦めない


 嗚咽を笑われ 

 懇願を蔑まれ 

 羞恥に焼かれ


 生きる価値を無くしても

 自分の意味を否定されても

 誰からも認識されなくても   

 

 まだ存在する 言葉の中に僕は居る』


 

 その光景に、マイトは心を奪われていた。


 その声は本当に澄んでいて、力強くて、綺麗で。

 自分が書いたポエムをこんなに真剣に、大切に詠んでくれる。


 それが、衝撃的なほどマイトの感情を揺さぶった。


 ポエムを詠む横顔も、意志を持った眼差しと凛とした立ち姿が、陽の光に照らされて、神々しいまでに輝いていた。


 目の前でポエムを詠唱する女性に、呆然としながら見惚れていた。



「ヒァッ!」


 突然奇妙な叫び声が聞こえ、周囲を見回した。


 先ほど魔女によって、魔人にされた村人達が光に包まれてる。


 だんだん角と牙が、消えていくのが見える。

 歪な笑い顔も、自然な人間の表情に戻っていく。


 詠唱の影響だろうか。

 たくさんの大粒の光が、村人から浮き上がっていた。

 

 そして光が終わる頃には、魔人から人間に戻っていた。


 戻った村人から歓声が上がる。


「戻った!元に戻ったぞ!」

「奇跡だ!」 


 逃げようとしてた村人も、引き返して抱き合って喜んでいた。


 村内のあちこちで歓喜の声が上がっているのを、呆然としたまま見回す。

 その視線の先に、魔女が映った。


 さっきまでの余裕の笑顔が消えていた。

 信じられないといった様子で、放心してこちらを見ている。


 一時の間の後、突然何かを思い出した様に、魔獣に乗り、魔女は急いで去って行った。


「魔女が逃げたぞー!」

「悪魔を追い払った!」


 さらに歓声が大きくなり、お祭り騒ぎとなった。


「生き延びた……魔人にならずに済んだ……」  

 安堵と喜びで、泣いている人たちも大勢居る。


「詠唱師様のおかげだ!」 

「ありがとうございますっ……詠唱師様」


 詠唱師の女性の周りは、あっという間にお礼を言う人々の輪になった。


 村人に囲まれながらも、女性は突然現れたマイトから視線を離さなかった。 


 マイトは呆然としながらも、魔人にされた人達が元に戻ったこと。

 魔女が去ったことで、事態は好転して、神様が望んだ結果になったことを認識する。


 とりあえずは良かった……と思っていい状況になったことで、緊張感が抜けて倒れそうになった。

 

 

 その時、白い台を作っていたもう1人の娘が、マイトに近づき話しかける。


「あなたはどなたですか? どこから来たんですか? さっきの詠唱文は何ですか?」


 興奮気味に矢継ぎに質問する。


 突然現れて魔人を人間に戻し、魔女を追い払ったマイトに興味津々の様子だった。


 マイトはたじろいで、少し後ろに下がる。


 身長はマイトと同じくらいで、年齢はやはり高校生くらいに見える。

 端正な顔立ちで、綺麗な娘という印象だった。

 

 肩より少し伸びた水色の髪、白い肌と華奢な身体。

 白を基調にし、青や黒で装飾されたドレス風の、生地がしっかしとしたワンピースを着ている。


 両腕に綺麗な白い宝石が装飾されている腕輪をしている。

 まず、日本では見ることが出来ない容姿と服装だった。


 聞かれた質問に対して答えようとするが、どう説明していいか解らずに何も言えないでいると、彼女は改まって挨拶をした。


「興奮してすみませんでした。私はステラ・アストリアといいます。詠唱師フィナの舞台師です。よろしくお願い致します」


 舞台師……という単語は解らないが、この娘の名前がステラで、詠唱した娘はフィナという名前なのは分かった。


「えーと……僕はクロエマイトといいます。あの……マイトで結構です……。えっと、神様に呼ばれて……別の世界から来まし……た」


 こんなこと言って信じてもらえるのだろうか。 

 自分でも疑問に思いながら、たどたどしく口にする。


 しかし、他に言いようがないので正直に話していくしかないと思った。


「さっき……詠唱してもらったポエムは僕が書いたもので、神様がこの言葉を伝えろと言うので、その通りにしました」  


「神に呼ばれた? 別の世界から?」


 にわかに信じられないといった様子だったが、それでもすぐに思い直したようで、マイトをまじまじと見つめている。


「……確かに本当に突然現れたし、それに見慣れない服着てる」


 言われてみると、自分の部屋からそのままの格好だった。

 部屋着であるグレーのスウェットに、ベージュのカーディガンを着ていた。


 しかも靴を履いていない。靴下だけだった。

 今更ながら足の裏が少し痛いと感じた。


「それに男の子なのに、かわいい……」


 それは別の世界とは、関係ないと思う。

 しかし、嫌みや弄りで言ったのではないのは伝わって来た。

 実在、全く嫌な感じがしない。

 ステラの言い方や表情は、純粋に関心してる様子だった。


 さらにステラは綺麗な瞳で、マイトをじっと見つめて来る。


 マイトはとてもじゃないが、目を合わせられず、視線は四方八方に泳いでいた。


「私達と同じか、年下に見えますけど、おいくつですか?」


「あっ……えっと19歳です」

「え!? 2つ歳上? すみません! 年下とか言ってしまって……」


「気にしないで大丈夫です。僕もそう思うので」

「申し訳ないです……私とフィナは17歳ですから、畏まらないでください」


 そう言われたものの、19歳といっても、ただ年月が過ぎただけで、引きこもりで人生経験がないため、感覚は中学生で止まってると自覚している。


 それにこのステラという娘は、大人びている雰囲気なのでホントに年上に思えてしまう。

 違う世界の人だから、余計にそう思うのかもしれない。


「たぶんこの方が話しやすいので……むしろ僕が19歳というのを、気にしないでもらいたいです」


 ステラは少し困惑したが、マイトがそういうならと納得した様子で、先程から気になっていることに触れてみる。


「……あの、手に持ってるそれが詠唱文の本ですか?」


「あっ、これは僕のノートです。ここから切ってフィナさん? に渡しました。神様はこれが欲しかったみたいです。詠唱文というわけではないんですけど……」


「でも、その本の言葉を詠唱したから、魔人になった人が元に戻ったんですよね!? 凄いです! こんなことが起きるなんて信じられない!」


 ステラは嬉しそうに、瞳をキラキラさせてマイトを見つめた。


 しかしその目を直視出来ず、マイトはまた、気まずそうに視線を逸らしてしまう。



 そうしてると、フィナという詠唱師の娘が、こちらに来た。

 村人の応対が終わったようだ。


 ステラと同じ、17歳。

 ステラよりは少しだけ背が低い。 

 桜色の髪を両サイドで結んでいて、頭に花の形をした髪飾りをしている。


 可愛い顔立ちの娘で、雰囲気がやわらかく、明るい印象を受けた。


 白いケープを羽織り、ケープの下は桃色と白の服で、ロングスカートを履いている。

 首飾りをしていて、首飾りの中心に、白くて綺麗な宝石がはめ込まれている。


  フィナは真っ直ぐ、マイトに向けて歩いて来た。

 マイトは一気に緊張する。


 ノートの切れ端を渡した時の、驚いたような大きな瞳。

 ポエムを詠唱してる時の、凛々しい横顔。 

 そして今正面にいる、高揚したような、愛らしい表情。


 心臓が高鳴ってしまう。


 フィナはマイトの前で、深々とお辞儀をした。

 ステラがマイトの紹介をする。


「この人……マイトさんは神に召喚されて、別の世界からここに来たんだって」


 それを聞いた瞬間、フィナは大きく目を開いてマイトを見つめた。


 驚いた顔は次第に、感極まった表情に変わり、今度はみるみると涙を流し始める。      

 次の瞬間、フィナはマイトへと飛び込んでいた。


 女の子に抱きしめられたのは、生まれて初めてだった。

 

 それ以前に、生まれて初めてのことが連続し過ぎで、思考が追いつかない。


 フィナは泣いていた。


 マイトを強く抱きしめながら、声にならない声を出して泣いていた。


 鼻をすする音と、大きく呼吸をする息遣いが耳元で聞こえる。

 そして熱いと感じる程の体温が、全身から伝わってきた。 


 なにがなんだか、わからなかった。


 最初こそ、抱きしめられた緊張やら、動揺やら、嬉しさやらでマイトの顔も紅潮したが、次第にフィナの様子が普通ではないと察した。


「あの……大丈夫……です……か……?」


 心配になり、マイトは密着しているフィナの両肩に手を置く。

 すると、我に返った様にフィナはマイトへの抱擁を解く。


 目の前のフィナは、鼻が赤くなり、頬は涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。


 その表情からは、その涙がどんな感情から来たものなのか読み取れなかった。


 今は、突然の行動に対しての申し訳なさがあるようで、涙を拭きながら頭を下げている。


 その様子を見守っていたステラが、フィナに寄り添い『大丈夫?』と耳元で確認している。


 そしてマイトを向いて提案する。


「とにかく、一度落ち着いて話をしたいです。マイトさんには、聞きたいことがたくさんあります。お礼もしたいので、一緒に来てもらえませんか?」


「それは僕も同じです。解らないことだらけなので、助かります。よろしくお願いします」


「私達が泊ってる宿屋にいきましょう。こちらです」


 フィナはマイトに一礼して、ステラに支えられながら歩き始める。

 その後ろを付いて、マイトも歩く。


 先程のフィナの強い体温が、まだ身体中に残っている様な感覚で、フワフワとしていた。


 しかし、歩く度に感じる足の裏の痛みが、現実へと意識を戻していった。 



 今いる現実――。


 ずっと引きこもっていたマイトにとって、目に映る空の青さや、木々の緑の鮮やかさ、耳に入る風が生み出す音や、鳥の鳴き声、鼻で感じる大自然の濃い匂い。


 それらすべてが、心を静かに動かしていく。


 そして目の前を歩く、2人の女性の後ろ姿をその目に映しながら、ゆっくりと進んでいく。

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