第13話「動機捜査:職場相関図」
「ウソ?! なんで?!」
「はあ?! えぇー?! そういう人なの?」
「や、だって、いつもはそんなことないから」
「・・・知らなかった」
「・・・。 も、もう無理」
「ごめん。 参りました」
正雄と僕は、涼介にひれ伏した。
時は少し戻って木曜の夜。
人気のはけた実験棟の休憩所で僕らは定例の情報共有をしていた。
涼介は丸一日かけて調べ上げた、なっちゃんを取り巻く職場相関図を長机の上に広げた。設計図面に使う最も大きなA0サイズの紙にビッシリ描かれた名前と矢印の紋様は異様な迫力があった。
そこには、なっちゃんの仕事内容と彼女と関わる人たちの名前とプロフィールが記されていて、交友関係が矢印の向きで分かるように示されていた。
涼介は、僕と正雄にA4サイズの手元資料を配るとプレゼンテーション前の資料の説明を始めた。
手元資料には、なっちゃんと職場との関わりを示すデータとして、彼女と接触の有無に関係なく約300人との会話の頻度、一日あたりの接触時間、所属する派閥や交友関係、プライベートでの付合いの有無などの指標とそれを元に算出した彼女との親密度と嫌悪度を表したリストになっていた。また、ひと目で彼女の敵味方がわかるように敵属性の高い人は赤色で、味方属性の人は青いマーカーが引かれていて、ひと目でわかるようになっていた。
この資料だけ見ても、涼介の情報網の広さと仕事の緻密さがよく表れていた。しかもこれをたった一日で用意してしまう彼の能力に寒気さえ感じていた。僕は、彼が犯人でないことを祈った。
涼介は大きな図面用紙に描かれた矢印を辿りながら、得点表で一人ひとり犯人の可能性を説明した。
説明は簡潔で要点を押さえた見事なプレゼンだったが、僕と正雄は最初の1分で話を見失い、その1分後には胸がいっぱいになり、それのさらに2分後には二人して気を失いかけていた。
涼介のレポートが緻密すぎる事もあったが、なっちゃんを取り囲むあまりに込み入った人間関係に心が拒否反応を示していた。
そうして冒頭の悲鳴をあげる始末だ。
そういうことに疎い僕から見えていた温かな職場は、もうどこにもなかった。誰もが影を持ち人に言えない腹の中を涼介は詳らかに暴いていた。
しっかり者の女子社員は、実は気弱な性格で男子社員にアイドル扱いされている後輩OLのイジメに怯えていたり。
男性社員あこがれのアイドルOLの裏の顔は、本館の役員秘書室のお局様に取り入った伝声管で、役員室直通の告げ口役として部課長達が恐れるミニチュアお局だったりした。
テレビドラマで観る芝居がかった人間模様が、涼介の緻密な設計力で描かれた人間関係図となって僕と正雄の前に広げられていた。
「こ、これは誰が殺っても、
いや、やっていてもおかしくないなぁ」
プレゼンを終えた涼介に僕は気のない感想を言うと、
「まあ、どこでもこんなものだ」
と、涼介はサラリと返した。
すっかり静かになった僕の隣にいた正雄は、
「・・・・・。(きゅ〜。)」
と、人間の声帯から出ると思えない鳴き声を出して縮んでいった。
そんな僕らに構うことなく涼介はプレゼンの結論を打った。
「それでだ!俺の調査の結果を発表する!!
良く聞けよ!!
なっちゃんの元カレが、
彼女とヨリを戻したがっている事がわかった。
冨野を動機捜査の第一容疑者とする!
みんな、
「え? ええ?! 冨野? えええー!?
奴のことは知っているけど、
なっちゃんと冨野ってつき合っていたの?!」
僕が感嘆の声をあげると、
「あー、やっぱりそこからか。(はぁ〜。)」
と涼介は大きく溜め息をつくと、
気を取り直すときに見せる彼のクセ、前髪を手のひらでかき上げながら、髪を後ろに振り払うように頭を振った。
そして相関図を両手で「バン!!」と叩くと、青のマーカーが引かれた「富野」を指差し、赤いマーカーで赤青二重の「憎愛」の印を書き込んだ。
「これは俺も今日まで知らなかった採れたて鮮度の情報だから、そのつもりで聞いてくれ。」
仰々しく前置きしたあと、涼介は僕らに近くに寄れと手招きすると、他に誰もいない休憩所でひときわ小さな声で話し始めた。
彼の秘密の
なっちゃんの元カレ、設計部の入荷3年目、野球部員の冨野がなっちゃんに再アタックしているのを目撃した女子社員のタレコミがあったそうだ。情報源は身の安全(?)の為に明かせないと介は断ったうえで、これは確かな筋の情報だと添えた。
僕にとっては寝耳に水だったが、隣で正雄がコクコクうなずくのを見て、少なからず僕はショックを受けた。どうやら正雄は体育会系筋肉情報網で知っていたようだ。
ここまで丸一日、ハラスメント事件として捜査していたこともあり、無意識に若手より中高年の男性社員に目が行っていたことは否めなかった。それを差し引いても「元カレ」という響きと、「まだ未練がある」というシチュエーションは、捜査に行き詰まっていた僕らにとって、とてつもなく甘美な響きを持っていた。
一方で、ヨリを戻したい奴がこんなことするのだろうか?という思いがよぎるが、ストーカー事件と言うことなら可能性はあった。
いささかムズ痒い気持ちを抑えて、僕らは冨野を容疑者リストの有力候補に入れた。
もう時間がないという急かされる気持ちが、僕たちの判断力を乱し始めていた。
涼介の地道な諜報活動は、この会社のアンダーグラウンドの交遊関係にもたどり着いていた。一見なんでもない職場に、週末毎に繰り返されている怪しげなパーティーと、それを主催するサークルの存在が浮かびあがっていた。今回PCのメールを物色された被害者は、いずれも何らかの形でこのパーティーに関わっていた。
管理課のOL三人と隣の建屋の技術開発部のOLは、少なくともこの2ヶ月で数回誘われ、なっちゃんだけが断り続けていた。あれから休んでいるなっちゃんに涼介が電話で聞いてみると、元カレの冨野から誘われたので断っていたと言うことがわかった。
事情を伏せて正雄が冨野に理由を聞くと先輩からの指示だと言う答えが返ってきた。僕も立ち会い注意深く観察しながら会話をしたが、いつもの素直を絵に描いた「冨野」にしか見えなかった。冨野から聞いた先輩社員に話を聞くと、何人かの「先輩社員」をたらい回された後、結局誰の指示かわからなくなってしまった。
あたかも普通の飲み会に見えるように、巧妙に隠されているようにも見えた。
もはや誰が犯人でもおかしくなかった。
それまでの日常や仲間、僕らが信じていた全てが疑わしかった。
日常を疑う事が、こんなにも過酷なことだと初めて知った。
疑心暗鬼になった僕らの心は、音をたてて軋みはじめていた。
追い詰められているのは僕らの方だった。
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