第10話「物証分析:容疑者像」

 「ピッ ピピ、ピーッ」

 水曜の夜に仕掛けておいた、フロッピーディスクの「クラスター分析」が終わった。

 

 「頼むから、残っていてくれよ・・・。」

 情報を記録するフロッピーディスクの構造は、円盤状の磁気ディスクに「クラスター」と呼ばれる「データ」を読み書きする番地が記されている。いわゆる「データ」と呼ばれる情報は、このクラスターの上に「1」と「0」がただ並んでいるだけだ。

 コンピュータが高速に処理する膨大な数字の羅列が「データ」だが、人間が扱う意味のある「情報」として使うには、「ファイルシステム」や「オペレーティングシステム」といったコンピュータと人間の言葉を仲介するための仕組みが必要で、「ディレクトリ」や「ファイル」はその仕組みの一部だ。


 「クラスター分析」は、その「ファイルシステム」の下にある、生のデータにアクセスして、人間が読み取る情報としては、すでに存在しないはずの「データの断片」を解析して、人が読める「情報ファイル」に復元する技術だ。

 その解析には数時間から、長ければ数日かかる上に、ディスクの状態によっては訳のわからないファイルが復元されてしまい、ディスク自体も壊れてしまうリスクのある、いわばデータ復旧の奥の手だ。

 その作業は、ディスクの状態を慎重に分析しながら失敗を繰り返しながら答えを見つけ出す、知恵と根気のいる仕事だ。僕はこれまで専門業者が投げ出すような破損ディスクから情報ファイルを復元した経験があった。


 ディスク表面のラベル跡の状態から、このフロッピーディスクは「使いまわし」である可能性が高かった。つまり、犯人はなっちゃんのメールを書き込む以前に「自分のデータ」を書き込んでいる可能性があるのだ。もしそれを復元できたなら、犯人解明へ確実に一歩近づくことができる。


 このディスク解析には時間がかかる為、僕は貴重な証拠ディスクを潰す覚悟で水曜の帰宅前に仕掛ていた。それがたった今終わったのだ。

「何が現れた? たのむぞー。」


 復元できたデータの大半は文字化けしたゴミデータだった。その膨大な数のファイルの中から根気よく探していくと、幾つか人間が読めるファイルを見つけた。

「よし!きた!!・・・。

 あーーー。

 やっぱりそうなるかぁ。むーうぅ」


 そこには見覚えのある仕事のデータがあった。

 復元に成功した喜びとは裏腹に、犯人が同じ部署の仲間である可能性が高まったことに気持ちが淀んだ。

 この先犯人に近づくほど、この苦々しい気持ちを味わうのか、という思いがよぎった。


「『何かを得るために何かを失う覚悟がいる』

 だったっけ?」

 何処かで聞いた金言に、自分なりのルールを思い出す。

 何かを成したければ感傷は全てが終わるまで心の引出しにしまっておく、というのが僕の信条だった。

 今はまだ道半ばと自分に言い聞かせ、気を取り直して、容疑者が2000人から300人に絞られたことに次のアクションの思案に集中した。


 同容疑者は確実に絞られてきた。それは同時に正雄と涼介が犯人である可能性は高まったという事を頭の片隅にしまっておく。

 感情に蓋をしてさらに解析を進める。

 

 クラスター分析で分かった、犯人は同じ設計事務所の人間である前提で、ファイルの詳細プロパティを調べていく。通常オペレーティングシステムから見えるファイル情報の裏には、さらに詳しい情報が隠されている。この業界の裏ルートに流通する特殊なツールで解析すると、ファイルの生成日時だけでなく、ファイルに触れた時刻や履歴など、そのファイルの歴史が刻まれていることがわかる。物によってはそれを行ったシステムがどんなタイプの装置だったのかなど、通常目にしない情報を解析できることもある。

 それは、ごく一部のコンピューターの専門家や、いわゆるハッカーと呼ばれる者なら知っていることだが、このディスクには、その痕跡が残されたままだった。

 その事実が示すことは三つ。犯人が素人か、それとも玄人が素人を演じて、追跡を振り切るフェイクトラップか。

 そのいずれでもなければ、プロレベルのハッカーによる「俺にたどり着いてみろ」というメッセージかだ。

 仕事柄、何度かこうした出来事に遭遇はしてきた。しかし今回はネットの世界だけではない。このオフィスのリアルの安全が脅かされる事態が起きているのだ。


「ぜったい負けん!!」

 僕はこの解析で書き変わってしまうデータを記録しながら、貴重な証拠の損失を最小に抑えるよう慎重に作業を進めていった。

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