第2話「昼休みの風景」

 「キュッキュキュ」

 体育館に響くステップの音。黒髪に褐色の肌、白い空手防具に身を包んだ若者が二人、実戦さながらの攻防を繰り広げている。

 「シュバッ」

 服の上からでも盛り上がりがわかる筋肉質の男が放ったパンチが唸りを上げて空を切る。彼より少し細身の男は、顔をわずかに傾けて靭やかにかわすとスリップイン。牽制の左ジャブで返した。

 

 「ブオッ」

 耳元をパンチがかすめる。ジャブとはいえ被弾あたれば意識が飛ぶ威力を身をもって知っていたが、反撃する間合いを保つためにギリギリでかわす。打ち終わりに合わせて半歩踏み込んで左ジャブ。届かない。

 今日すでに2ラウンド、互いに決定打がないまま打ち合っていた。3ラウンドも残り30秒、このラウンドこそ一発入れるつもりで、僕はリスクを冒し強気な攻めに転じた。

 上体を反らしてかわしたマッチョマンを追ってインファイトの射程に踏み込む。ガチガチにガードされた顔面にパンチの入る隙間はないがボディはガラ空きだ。左フックでボディを叩く。

「ゴチッ」

 岩でも殴ったような鈍い音が響く。案の定、ぶ厚いシックスパックはいくら殴っても倒せる気配はない。マッチョマンはガードすらしない。待っていたとばかり、ハンマーのようなカウンターが返ってくる。

 上体を反らしてかわし、距離を保ったままスピードに任せてジャブを連射する。

 「パシッ」

 ダッキングでかわすマッチョマンのヘッドギアの端をとらえた。一瞬マッチョマンのバランスが崩れ、顔面を固めたガードがわずかに下がる。

 (ここだ!!)

 今日いちの好機チャンスに血が沸き立つ。

 呼吸を止める。爪先で体育館の床をつかんで下半身に反発力を溜める。

「フッ(タンッ!)」

 顎を引き前傾に背を丸めて絞り切ったバネで蹴り出すと、マッチョマンの眼前に瞬間移動する。左の引手をトリガーに全体重を乗せた移動エネルギーを腰から上の旋回力に換えて拳に乗せる。

「シッ!(フォッ!!)」

 掛け声と同時に腰を巻く回転で着衣が風を切り呻る。左引手と右拳が胴を中心に綺麗な円を描いて標的に向かって放たれた。

 その瞬間、ガードで硬めたマッチョマンのヘッドギアの奥で、瞳が灰色の殺気をまとったのが見えた。

 「ヤバいっ!」

 踏み込んだ左脚を踏ん張り、旋回をキャンセルしようとするがもう止まらない。上体をのけ反せて真下から突き上げてくる風圧の軌道から懸命に顔を反らす。

 顔面の真横を「ブオッ」っと重い風切り音と大きな拳がかすめた。

 「ズバァ!!」

 かわしきれず、拳がヘッドギアの側頭部を下から上に殺いでゆく。かすった衝撃だけで首が跳ね上がる。意識が宙をさ迷う。体育館の天井がスローモーションで見える。無声映画でも観ているような意識の中で、視界の右下から急速に近づく拳が観える。

 ハッとして意識を現実に引き戻し、ギリギリでかわす。

「ブォン!!」

 今度はマッチョマンの拳が空を切る。重い拳の勢いに引きずられて、ガードの奥の顔が目の前にあらわれ目が合う。時間が止まってしまったような空間の中で、僕は顎を引き小さく拳を動かしステップを踏む。反応してマッチョマンのガードが上がる。

 空いた脇腹に中段蹴りを突き刺す。

 マッチョマンもガードを下げ、肘で蹴り脚を砕きにくる。

 「ミシッ」

 蹴った脚が軋む。かまわず左左右と、小さく速いパンチを撃ち込む。固めたガードもかまわず、もう一度、脇腹めがけて力任せに蹴りを放つ。

 今度こそ脚を砕こうとマッチョマンの肘ガードが下がるのを見極めると、蹴りの軌道を上段に変化させて空いた側頭部に撃ちおろす。

 「ズバンッ!!!!」

 太い首の上のヘッドギアが大きく揺れた。さしものマッチョマンもグラつく。蹴ったこちらも脚に負ったダメージで追撃はできない。

 互いに相討ちを悟ってステップバックすると、深く息を吐いてニヤリと笑う。


「リー♪リー♪リー♪」

 ラウンドの終わりを告げるタイマーが鳴った。

 これがマッチョマンこと剛田正雄(28歳)と、僕、山田 信(29歳)の会社で過ごす昼休みだ。


「理系男子の日常」ぼくの日常

 時代ときは平成10年。Y2K対応の後始末も落ち着いた頃、僕の昼休みは忙しかった。

 午後12時、昼休みのチャイムが鳴ると、昼飯を食べる間もなく体育館へ直行。正面玄関を入ったエントランスの右側にあるトレーニング室で正雄と待ち合わせ。

 軽いストレッチをすると、ダンベルとベンチプレスを使って筋トレをみっちり20分。昼飯を食べ終えてやってきたボディービル部に機材を借りた礼を言い、板張りの大体育館に移動。床に座り込み、フルコンの用空手防具を着けると念入りにストレッチ。そこから3分3ラウンド、正雄と殴り合えば滝の汗が流れる。

 あがった息を整えながら防具を外していると、バドミントン部が昼練のネットを張り始める。手伝いながらチーム分けに加わり、試合形式の模擬戦で仕上げだ。


 午後の始業5分前、予鈴が鳴る頃、片付けを終えて事務所にダッシュ。設計棟の階段を駆け上がる正雄に手を振り、工場に併設した実験棟の2階にある「サーバー室」に続く長い階段を2つ飛ばしで駆け上がる。

 クーラーがよく利いた部屋に駆け込むと、汗だくのTシャツを着替えながら買っておいたサンドイッチを水筒の珈琲で流し込む。

 これが自称理数男子、僕の日常だった。

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