第10話 裏切りを責めることなかれ

 三途の川底から、一気に水が吹き上がる。茜はそのまま狭間に躍り出て水面に着地すると、すぐに状況の把握に努めた。


「茜ぇ! 無事だったかや!」

「よかった、アキヒコくんが消えてしまったから……って、すごい鎧だね?」

「この鎧、アキヒコよ」

「……なるほど。本契約、したのね」


 ビルをはじめとする外壁は、上空から落ちた燃焼剤によってそこかしこが燃えている。天獄の門もそのまま、天使が出てきた様子もない。


 茜は同僚の様子を見ながら、真っ先に気になっていた事を聞いた。


「ねぇ、出てきてた四枚羽根の天使は?」


 己の両親が暴れていたはずだが、空を見上げても気配はない。交戦中であればこれほど悠長に話していられないはずで、とすると結論は一つ。


「地獄に、送った」


 紬が短く言ったので、茜は僅かに顔を伏せた。

 そうか、逝ったのか。この手で引導を渡すことはできなかったが、正しく輪廻に戻れそうなら構わない。


「そっか。いや……あたしの、死んだ親だったから。ちゃんと地獄に行ったのなら、それでいいわ」

「……うん、話、聞いた」

「気にしないで。天使に攫われたとこ見てるし。いつか殺さなきゃいけないのは確かだったから」


 終わったなら、それでいい。話を逸らすのも含めて、茜は川底でアキヒコが言っていた事を伝える。


「あの天獄の門、表面に人間の魂をくっ付けてカモフラージュしてるらしいわ。だから現世からじゃ分からなかったってワケ」

「あ? それマジか?」

「なんでわかったんだい? この距離じゃ何も変わりないように見えるけど」

「それは──」

「アキヒコ、冥界の王様だから」


 竜久の問いに茜が答えようとしたが、言葉を遮って紬が正解を言ってしまった。

 いやちょっと待ってほしい。茜はアキヒコが冥王だと知らなかったのに、どうして他人の紬が知っているのだ。


 かけたゴーグルで天獄の門を観察している翔矢を尻目に、素知らぬ顔で紬は続けた。


「さっきまでは茜も魂が制限されてた。仮契約だったから、アキヒコも本来の力を発揮できなかっただけ、でしょ?」

『その通りだぜェ? まぁもう問題ないから心配すんな、オレも茜も本調子だからなァ!』


 ぱか、と喋るつもりもないのに茜の口が開き、喉から飛び出た声はなんとアキヒコのもの。らしくない軽薄な語り口で制御もできずにアキヒコが喋りだし、茜は驚いて口を抑えた。


「へっ? 茜の口から別の声がする!」

「え、誰? まさか契約してるアキヒコ君かい?」

「ちょっと⁉ あたしの口使って喋んないでよアキヒコ!」

『別にいいだろもう隠すつもりもねェし』

「違うわよあたしが腹話術やってるみたいでしょ⁉」


 確かに今身に纏っているのは冥界にてアキヒコが着ていた鎧だ。真体で顕現するにあたり、あまりにも存在が大きすぎるので鎧にしてコンパクトにしつつ、茜の邪魔にならないよう──といった心遣いのはずだが。まさか茜の体を一方的に動かせるなんて聞いてない。


 それに紬が何もかも知った調子で説明しだすのも解せない。茜ですらアキヒコの正体が冥王だなんて知らなかったのに。


「だいたい、なんで紬さん知ってるの⁉ だって契約した時にそんな話聞いてないし!」

『俺が口止めしてたんだよ』

「アキヒコと貴方を引き合わせたのは私。知っていて当然」

『ほんとはお前が死ぬまで教えねェつもりだったんだがなァ』

「あんたそれ、不誠実よ不誠実! 王様の癖に!」

『あだッ──おい茜、今は俺が鎧と武器になってるからって叩くな叩くな』


 まるで独り芝居の様に声と挙動を変えながら、両剣を叩いたり笑ったりの繰り返し。端から見てちぐはぐなコントにも見える様子に、翔矢と竜久はある程度状況を把握したのか、生暖かい目で眺めていた。


「ハルトと喋れたらあんな感じなんかな……」

「僕はアンナとレオナの二人だよ? 何となく幼い感じがするし、思念だけでよかったなぁ」


 自分の武器を眺めながら二人は呟いた。

 唯一事情を全て知っていた紬はいつものポーカーフェイスだし、蓮は──

 考えてふと顔を上げた瞬間、背後にふっと冷たい気配を感じた。


「……なんだ、紬さん、知ってたのかよ」


 なんだ、なんだよ。言いながら、蓮が槍を向けている。片刃の沿った穂先が、茜の首に向いている。


「おい、なにしとん」

「蓮くん、何を」


 突然の行動に翔矢と竜久が慌てて歩み寄るが、蓮は切っ先を茜の黒い鎧に押し付けて牽制した。違和感を先んじて感じていた紬は、扇子を畳んでは閉じを繰り返しながら据わった目で蓮を眺めている。


「……蓮?」


 首筋に刃を当てられ、茜は極力体を動かさないようにして問う。


「なぁ、お前ならさ。家族と友人、どっちをとる?」


 質問の意図が読めない。何を言っても間違いな気がする。茜は頭を回し、背後にいる蓮を見た。伏せた顔は、前髪が邪魔で様子が分からない。


 一人で考え込むような気難しい男だ。元々考えの読めないところはあったが、何故槍を向けられているのか全くの謎だ。そもそも、武器化した冥人くろうどで冥界の王に武器を向けている事になるのだ。そんなことが可能か?


『止めよ小僧。割れるぞ』


 茜の口が、アキヒコの言葉を代理で打ち出す。アキヒコと共鳴状態にある茜も、武器の異変は感じ取れた。


 蓮が振るっている槍が──彼の相棒の冥人くろうどが、二律背反で震えている。望まぬ苦行を強いられ、ぶるぶると震えている。


『貴様、に何をした。我に刃を向けるか』

「聞いてんのは茜にだよ、あんたにじゃない、王サマよ」

『今すぐ下ろせ。何を混ぜた?』


 会話が一方通行で噛み合っていない。ぐいぐいと鎧に刃を押し付けられる度、槍の穂先がぐにゃりと歪んでいる錯覚を覚える。明らかに異常だ。


『答えろ小僧! ヒデアキに何をした⁉』


 アキヒコが吼える。茜の体が勝手に動き、槍を跳ね上げて距離を取る。


「答えろって言ったって、もう気づいてんだろ?」


 どういうこと、と聞く間もなく、茜の体が独りでに動き出す。身体を貸せ、と有無を言わさない思念が届き、ひとまず全身から力を抜いた。


「もう手遅れさ、残念ながら」


 蓮が跳ね上げられた槍を天に掲げる。白く濁った霊子を放出しながら、片刃の槍が円錐状のランスに変わっていく。まるで天使が持っているような、白く金の微細な装飾を施したものに、だ。


「──っ!」


 腹の底に轟くような、霊子の波動が全身を襲う。強烈な振動に耳を塞ぎたい茜だったが、アキヒコに制御の優先権を与えてしまっている以上堪えるしかできない。

 まるで断末魔のような振動だった。武器化した冥人くろうどは言葉を離せない。意思はあるが、曖昧な形で伝えることしかできない。特殊刑務官と冥人くろうどとの契約は、互いの善意で成り立っている。


 課せられた条件はたった二つ。人間は、契約を終えるまで特殊刑務官の任を全うすること。冥人くろうどは、基本的には武器として、特殊刑務官のサポートに徹し、任に背くようなことがあれば即座に契約を切ること。基本的に、契約は冥人くろうどからの一方的なものであるはずだ。


「少しいい子にしてもらっただけさ、俺にもやらなきゃいけない事があるんでね」


 ヒデアキと呼ばれた冥人くろうどが、存在そのものを狂わされていく。悲鳴が振動に変わり、衝撃波となって三途の川の川面を揺らす。茜は両剣を切り離して双剣に変え、水面を強く蹴り込んで蓮に斬りかかった。強い霊力の籠った一撃を、迷うことなく受け止めた蓮は、いつの間にか左手に持っていた鎖を茜の腕に巻きつける。


「捕まえた──あぁ、いい子だ。本当に、捕まえやすい様に調整してもらった甲斐があった。このくらいしてもらわなくちゃ割に合わない」

「蓮、あんたその子に何を」

『売ったか、貴様──!』


 腕に何重にも巻かれた鎖から、はっきりと天使の気配がした。繋がった先はランスの石突だ。


 最早冥人くろうどとは言えなかった。存在自体が、天使のそれに書き換えられてしまっている。別に天使を武器にできるとか、そんなことはどうでもいい。


 冥人くろうどは天使に対して防衛機構を持つ。それを貫通して汚染された霊子で侵蝕することは、手引きがなければ不可能だ。


「質問に答えてくれ、茜。家族と友人、どっちを取るか」

「答える答えんの話じゃないんよな、蓮」


 蓮が天使と何かしらの取引をしているとしか、考えられなかった。


「デザートイーグルだ。五十口径の霊子弾、至近距離で撃たんでも頭ふっとぶで?」


 大人しくせぇや。いつの間にかハルトを大型拳銃に持ち替えて、翔矢が銃口を蓮に突き付けていた。


 雰囲気は一触即発だ。茜は左腕を鎖で絡めとられ、いつでも天使の干渉を直に受けてしまう状態。蓮は頭に銃口を向けられ、いつ撃ち抜かれてもおかしくない。ハンドガンを構えた段階で、誰も身動きが取れなくなっていた。


「鎖ほどいて、ヒデアキを棄てろ。お前がそんな奴とは思わんかったわ」

「いいのか? カミサマとか信じてるんだろ、翔矢」

「そら信じとるわ。信じとるけどな。太陽さんに顔向けできんことするもんじゃないって、よく言う話やん?」

「まぁ話くらいさせてくれよ。その気になったらあの天獄の門から呼んでこれるんだぜ?」


 脅しだった。アイアンサイトを覗いて照準を定めていた翔矢が、屈して一歩下がる。

 蓮が天使側についていた事は分かった。ただ、その理由が不明だ。せめてどうしてなのか、訳くらいは知りたい。


「……友達か、家族か、だっけ?」


 茜は双剣を下ろして言った。今は動くなとアキヒコに念じると、渋々応じてくれたのか喉に力が戻ってくる。


「どっちもよ。どっちも手に入れる」

「……傲慢なことで」


 茜の返事に、蓮がぼそりと呟いて続けた。


「あくまで寝返ったわけじゃないさ。ただの取引だよ、取引。そのための材料を捜してたってだけだ──俺の彼女。詩織しおり。治療は成功したのにちっとも目を覚まさない。狭間に潜ってみてみても、詩織の体はすっからかんだった……捜したよ、捜したんだ、そしたらもう、天使のところに行っちまってて、刺される直前で。しかも相手が、よりにもよって熾天使だった」


 ギュッと鎖を手繰り、白い鎖で左腕が締め上げられる。冥王たるアキヒコの力で、魂にもアキヒコ自身にもダメージはない。淡々と語る蓮の様子を、誰もが黙って見守っていた。


「連中は俺が特殊刑務官だと知って、取引を持ち掛けてきた。神の器と引き換えに、詩織を俺に返してくれると。飲むしか方法がなかった。拒否すれば詩織は天使にされちまう。俺単独で六枚羽根の相手なんて出来っこないって分かってた。でもそれを、ヒデアキが拒否したから──、だけなんだ」

「……冥人くろうどとの契約が切られれば、狭間には降りれなくなる。そうしたら神の器を連れていけなくなる、詩織さんを取り返せなくなる……だから」

「ヒデアキ君を歪めて、意のままにした、って?」


 徐々に話が掴めてきた。蓮が恋人の詩織を天使に人質にされたこと。ヒデアキに契約を解除されかけたので、冥人くろうどとしての形を歪めて契約が切れないようにし、茜達に内緒で神の器を捜していたこと。


「俺は神の器なんてどこにあるかさっぱり知らなかったけど、ヒントはあったんだ。熾天使がこいつが怪しいって名指ししたのが、運悪く茜だったんだよ。色々調べて、お前に妙な点があるのを見つけたから気にしてたんだ。今となっちゃ分かり切ってることなんだけどさ、茜。アキヒコが探知と索敵に優れた冥人くろうどだなんて、嘘だろ」

「……なんでそう思うわけ?」

「しらばっくれんなよ? だってお前、視線が入れ墨に行くことが多いし、話の途中で上の空になるし、誰とも話してないのに表情がコロコロ変わる。ヒデアキたちみたいな普通の冥人くろうどなら、そんな反応しないだろ。話せてんじゃないかって……冥人くろうどが話せるほど、お前の側で冥人くろうどの負担を抑えられてんじゃないかって考えたんだよ。でもそしたら、お前がずば抜けた強さを持ってなきゃおかしい。あくまで俺たち並みの力しか持ってなかったから、半信半疑だった」


 言い切ったきり、蓮が徐々に肩を震わせ始めた。くつりと噴き出すような笑いを漏らしながら口角を吊り上げ、鎖を強く引っ張る。


「そしたらまさかだ。神の器はお前で正解だったが、冥界に落ちてて冥王の加護で能力を極限まで落とされてた。よりにもよって契約した冥人くろうどが冥王だって? ハッ、ほんとしてやられたよ! お前じゃなかったらさっさと殺して差し出せば詩織が帰ってきたのに!」


 片眉を上げて叫んだ蓮に向け、翔矢が再び大型拳銃を突きつけて引き金に指をかける。


「動くなっつっとるが?」

「撃てねぇだろ、翔矢」


 茜の左腕を拘束していた鎖がほどける。蓮が白い鎖を手繰って振り回し、体制を変えないまま振るわれた鎖の先端が、翔矢が握ったハンドガンの銃口を跳ね上げる。


家族恋人を取るか友人仲間を取るか! 俺は家族を取っただけだ! お前を捧げなきゃ詩織が帰って来ないんだ!」


 蓮が高々とランスの穂先を突き上げる。応じて微動だにしなかった天獄の門が蠢き、中から大量の天使が降ってくる。小さな穴から溢れるように、小型から大型から、生育途中が様々な天使が。


「──茜ちゃん! 迎撃は任せて! 翔矢君もこっちに!」

「茜。彼は、任せる」

「……っだあ! 処理終わったら直ぐ戻る!」


 降り注ぐ槍の雨を、竜久が鋼線で弾き返す。大型拳銃を回転弾倉式のグレネードランチャーに変えた翔矢が、次々と投擲弾を放つ。紬が鉄扇で三途の川を掬い上げ、燃える水が三人と茜たちの間に大きな壁を作り出した。

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