第6話 沈黙は滅びへの道なれば

 狭間におけるビルの一棟が崩壊し、瓦礫と共に茜の身体が水面に落ちていく。諸連絡を終えてやっと現場に到着した彼女の同僚は、僅かに間に合わなかった。


「おっさん、アンタの鋼線で引っ張り上げられんの⁉」

「無理だ、どれだけ衰弱してるか分からない。魂を斬ってしまうよ」

「……大丈夫。アキヒコが、まだ粘ってる」


 川と化した路面の水面に、武器化したアキヒコが突き刺さっている。切っ先を水面に埋めたまま、霊力を根を張るように巡らせているのを見るに、彼だって全力で引き戻そうとしているのだろう。


「だから、まずこっちが先」


 紬が手にした鉄扇で、天獄の門付近にいる四枚羽根を指し示した。


「増援はもうちょっと先。どっちにしろ、あの天使は私たちで、殺る」

「オーケイ……茜ちゃんの代わりと言っちゃなんだけど、蓮くん、前衛で」

「……わかった」


 竜久が両手に肘まで覆う手甲を顕現させ、応じた蓮もまた、相棒の冥人くろうどを武器として呼び起こす。


 蓮は大ぶりな片刃の槍を手にすると、石突を三途の川に突き立てた。


 目標は四枚羽根の天使二体。天獄の門付近に浮遊中で、見上げたビルの上にいる。まずは叩き落さなければ話にならない。


「翔矢君、今日はどのくらいぶっ放せるんだい? まずはあの天使をここまで落とさないとねぇ」

「何撃てばいいん? 自己鍛造弾か炸薬弾か、ナパームでも撃ってみーかね?」

「一番、効率のいい方法で。落ちてきたら、周りを燃やしてしまうから」

「そんなら焼夷弾いくかぁ! 起きろ、ハルト!」


 翔矢が己の腰を叩いて、冥人くろうどを武器形態で呼び出す。一度霊子に変わった入れ墨が集まり集束すると、ギリギリ個人運用できるサイズのミサイルランチャーに変わる。一緒に分離したゴーグルを装備すれば、あっという間に戦闘準備は完了だ。


 翔矢が契約している冥人くろうど・ハルトの武器形態は銃火器を始めとした近代兵器だ。弾丸から榴弾砲、形状から弾頭の種類まで選り取り見取りとくれば、大型や群体の天使に対しての戦闘能力は誰よりも高い。本人に銃火器の取り扱い技能があったこともあり、複数戦では翔矢ほど心強い刑務官もいない。


「よーし! んじゃあコイツで一発、景気よくやっちゃぁかな!」

 元気よく宣言し、砲身を肩に担いだ翔矢は、照準器を未だ遥か空中に漂い続ける二体の天使へ向ける。


「準備ええかや?」

「ある程度落ちてきたら僕が引っ張って叩き落すよ。その後は任せるね」

「よろしく。仕上げは、私と蓮で大丈夫」

「四人もいれば問題ないだろ……さっさと倒して、茜をどうにかしないとな」

「アンナ、レオナ。やろう」


 竜久が己の冥人くろうどに呼びかけてガントレットを構え、紬も鉄扇を開いて霊力を高める。蓮が石突を引き抜いて、槍を下段に構えた。


 彼ら三人が立つのは三途の川の水面の上。その後ろには、川底に落ちた茜を繋ぎ止めるアキヒコの双剣が突き刺さっている。


 ここから後退するつもりはなかった。あの四枚羽根の天使も先鋒もしくは斥候の立場なのだろう、ここで体力を消費している暇がないからこそ、こちらの最大火力で素早く地獄に落とす。


「やるで!」


 翔矢のかけたゴーグルは、それ自体が扱う重火器の照準器を兼ねている。ゴーグルの裏側、視線で狙いをつけた天使をロックオンカーソルが囲み、ミサイルランチャーの引き金を引いた。


 砲身に詰め込まれていたミサイルが煙を上げて上空に撃ち込まれる。反動で足が僅かに水面にめり込むものの、堪えてもう一体の女型の天使に狙いを絞る。


「次弾はすぐ撃つ! ちょっと待っとれ!」


 ミサイルランチャーの後部が開き、霊子がうねりながら弾頭に練り上げられて装填される。その間に発射したミサイルから弾倉のカバーが外れ、放出された子弾に点火。小さくなったミサイルが炎を上げながら雄型の天使に接近し、次々と着弾する。


 放ったのは少し構造を弄り、小型の焼夷弾を搭載したクラスターミサイル。障壁で守られるなら、一部だけ破壊しても直ぐに修復される。全体を包み込むように完膚なきまで叩き壊した方が、再生には時間がかかるはずだ。


 爆音を上げて、障壁にまとわりつく様に炎が上がった。燃焼剤を詰め込んだ焼夷弾の炎は、早々消えることがない。


「おっさん!」

「任せて!」


 雄型の天使の障壁がじりじりと炎に削り取られて高度を落とすのを見やり、竜久がガントレットから鋼線をはじき出す。指先から放たれた鋼線はしゅるりと天高く伸びていくと、炎を上げる障壁に絡み付いた。


「捕らえた、落とすよ!」

「隣の奴も落としてやらぁな!」


 竜久がガントレットに力を込める。炎をものともせず鋼線がギリギリと障壁を締め上げ、強度限界に陥ったバリアが粉々に砕け散る。


 見越して竜久が拳を握りしめ、鋼線を思いきり地上へ引いた。障壁を貫通し雄型の天使をがんじがらめに捕らえた鋼線が、地上に向けて一直線に巻き戻されていく。強烈な力に引かれ、四枚羽根の天使がとうとう地上に墜落した。


 壊れた障壁の欠片が、燃えながら落ちてくる。破片はそこら中に散らばり、川面に落ちたものは霊子に溶けて消えていく。竜久たちに振り落ちる欠片は蓮が弾き飛ばした後、彼は足取り鋼線で拘束された天使に近寄った。


「……こんにちは、天使サマ。ちょっと聞きたいことあるんだけど、いい?」


 返事を待たず、蓮が鋼線ごと天使の肉体に槍を振り下ろした。鋭い切っ先が最初に切断したのは、天使であることを象徴する四枚の翼、その一枚だ。


 無造作に、しかし綺麗に切り落とされた翼が水面に落ちる。


『────ァッ⁉』


 一枚落として、もう一枚。合計四枚の翼をあっという間に根本から切断され、天使が吠える。翼はただの象徴のみならず、霊力の発生源でもある。故に潰せば力を大きく削ぐことができるので、大型の天使を相手取る際は翼の切断が手っ取り早い弱体方法だ。


「俺さぁ、ちょっと探してるものがあって。色々試してるんだけど、見つからないんだわ」

「……蓮?」


 蓮が刃を振り下ろしながら、冷徹に天使の翼をもぎ取った後、心臓に槍の切っ先を突き立てた。あまり聞かない声色に紬が首を傾げるが、彼はあまり気にしていないようで。ゆっくりと刃を石膏のような体に沈めながら問うた。


「あんた、茜の親だったんだろ? なんか知らないか?」

「……そうなの? この天使……」

「──ちょっと早めに狭間に潜れて、茜が交戦してるとこ見てたからさ。言ってたの、聞いた」

「そう……」


 蓮の質問は曖昧なものだったので、天使としても返事のしようがないのだろう。紬としては天使の生前を知るなど滅多にない事だったので驚くが、情報源が見聞きしたことであるなら確実か。確かに蓮は、茜に次いで狭間に降りていたはずだ。


「……援護は、間に合わなかった?」


 違和感を覚えて紬が問う。


「降りた場所が遠かったから、間に合わなかった」


 淡々と続けた蓮の返事に、紬は無言で答えて、再度天使を眺める。天使は中身が大きく変わるだけで、外見は生前の形をとることが多い。娘である茜ならばすぐに分かったことだろう。


『──茜の親権など、恭介に奪われたさ! あの子も神を恐れない神狩りになって、なんて不届きなことか!』

「親権を奪われた、なんて。普通の親ならそんなこと言わないさ。子供は親の所有物じゃない。意のままに操ろうだなんて、間違ってるよ。相応の理由があったんじゃないかな?」


 竜久がガントレットを引き、鋼線での拘束を強くした。締め上げられた鋼の糸が天使の肉体に深く食い込んでいく。


 身体をがんじがらめに拘束され、全身を焼夷弾の炎で焼かれ、その上で肉体の一部を切断されるなど。まるで拷問のようだが、この認識で正しいのだ。

 なんせ彼らは刑務官。狭間における死刑執行人だ。


「次弾行くぞ! 話しとらんで準備せぇ!」

「分かった、拘束を解くよ」


 翔矢の放った次弾のミサイルが、次は女型の天使に襲い掛かる。こちらも障壁を警戒して、搭載したのは焼夷弾を詰めたクラスターミサイルだ。しかし子弾に分かれた段階で、羽の刃に撃ち落とされてしまう。


「あぁん⁉ 迎撃しやがった!」


 爆発したクラスター弾が、燃えた燃焼剤を空からばら撒きながら落ちていく。幾ばくかは当たったらしいが、人の何倍もある巨体を相手では多少の火傷を与えた程度に終わっている。


 迎撃されないだけのパワーで押しつぶすか、或いは──翔矢はさっと考えを巡らせて、仲間に指示を出す。


「蓮、あっちに行けーか? 飛ばしてくる羽は俺のクラスター弾で相殺するけん」

「──了解。じゃ、後任せた」

「まかせて」


 見たところ、武器として使用するのは細かな羽の刃のみ、女型の天使自体に戦闘力があるとは考えにくい。ならばクラスター弾を迎撃させ、注意を翔矢に逸らし──蓮による接近戦で事を済ませる。これが最善策ではなかろうか。


 再びミサイル砲に次弾を装填する翔矢を見てから、素早く蓮がビルを駆けのぼり、女型の天使へ接近するべく走り出す。入れ替わるように紬が茜の父だった天使に近寄り、そっと顔を覗き込んだ。


 肌は白く、衣服は焼けてぼろ布のようだ。真っ白な肌は陶器のようで、元々は現世の肉に宿る魂だったが、既に生命力を感じない。


「……清めよう、ワカナ」


 そもそも与える慈悲などない。紬はしゃがみ込んで、開いた鉄扇で水面を掬いあげた。三途の川の水を仰ぎ、天使の頭の上から振り落とす。


 ぱたぱたと水が降る。落ちた雫は天使の身体に触れると発火し、陶器の身体を焼き始めた。


 もう一振り、更に水を巻き上げる。次第に川の水が意志が宿ったかのようにうねり始め、天使の身体を水中に引きずり込もうとまとわりついていく。


「……残念ね。相性が悪かっただけなの。茜は本来もっと強いし、あの子の冥人くろうどだって、もっと強いの……それに」


 ばしゃりと、燃える水を振りかける。


「茜は十分強いけれど、だってあの子を撃ち落とした砲撃は、お前が使った技じゃない」


 あっという間に炎上した天使の身体は、水面に身体の半分を引きずり込まれて尚、水中で燃え続ける。


 汚染を掃う、霊子による清めの炎であるが故。例え地獄にたどり着いても、しみ込んだ信仰が抜けるまでは燃えたままだ。後は地獄の冥人くろうどに任せてしまえば、一体の処理は完了。後は。


「蓮! やるで!」


 翔矢が宣言し、三発目のミサイルを撃ち放つ。蓮は既にビルの屋上に辿り着いていて、ミサイルの子弾が地上から登っていくのを見上げていた。


「あいつなら知ってるかな……」


 蓮がぼそりと呟く。女型の天使は立ち尽くす一人の男に気づいたようだが、襲い来る多数のミサイルの迎撃を優先したらしい。両手を振るって翼から羽を放出すると、飛んでくるミサイルを撃ち落とす。


 炎と黒煙を上げ、そこかしこで爆発が起こる。先ほどと同じよう、燃えた液体の燃焼剤が空から地上に降り注ぐ。しかし、これで視野が潰れたはずだ。燃焼効果より煙による視野の阻害を重視した弾薬だったらしい。


「ま、聞けばわかるか」


 黒ずんだ煙を縫って、蓮がビルの屋上から飛び立った。冥人くろうどのサポートも入れた脚力で一気に接近すると、女型の天使を斬りつける。黒煙を裂き、肉薄した蓮の一撃は、天使の右腕に食い込んだ。


「外れた、けど、まぁいいか……!」


 肉に食い込んだ槍を支点にぐるりと身体を翻し、蓮が女型の天使の首根っこを掴む。回転の勢いのまま天使をビルの屋上に叩きつけると、槍の切っ先を真下に向けて落下する。

 天使がビルの屋上に衝突した直後、渾身の力を込めた刺突が天使の胴体を穿った。


「なぁ、あんた、茜の母親なんだろ。知らないか?」


 蓮が再び、同じ問いを投げる。天使を足蹴にして槍を乱暴に引き抜き、手慰みに翼の一枚を切断して──周りに誰もおらず、念話も届かない事を確認してから、蓮は問うた。


「あいつがなんであんなに弱いのか、親のあんたなら知ってんじゃないのか」


 光の失せた瞳で天使を見下し、蓮は残る三枚の翼を一気に斬り落とす。女型の天使は白い粘液を噴き出し、背中をコンクリートに擦り付けて痛みを誤魔化していた。


 話にならない。片刃の切っ先を、今度は首に突き付ける。返事を待つ必要はあった。


「なぁ。答えてくれよ。あいつはなんで、あんなに素質がないのに俺たち並みに戦えてる?」


 ぐ、と女型の天使の肩を踏みつける。催促するように二度三度蹴りつけると、痛みに耐えかねたのか錯乱したように天使が叫んだ。


『聞きたいのはこっちなのよ! あの子は神からの授かりものだったの! だから沢山援助してもらって、だから沢山神の僕になれるように精一杯、躾をしたのに! 急だったの、急なのよ!』

「──何が急だった?」

『全部あの人の弟のせいなのよ! 茜の使命を何も知らないのに義理の弟風情がしゃしゃり出て! あいつがあの子を病院になんて行かせるから、茜は使徒になる資格を失ったのよ!』

「……なるほど?」


 使徒。使命。躾。事前の情報通りか、と蓮は唸る。


「茜は弱体化したからカミサマになる資格を失った、って認識でいいんだな?」

『そうよ! あの子がどうしてそうなったのかなんてこっちが聞きた──』

「全部分かった、ありがとう」


 感謝を一言だけ告げて、蓮は天使の体を足で転がし、ビルの上から叩き落した。真下を覗き込むと、男体の天使は既に三途の川に消え失せ、燃える川水を撫でている紬の姿が見える。


 その背後。茜の契約しているアキヒコの切っ先が、三途の川に半分ほど埋まっていた。先ほどまでより沈み込みが激しい。


「……どうするかな」


 ぼんやりと思案して、蓮は上空に浮かぶ天獄の門を見上げた。相変わらず動きはなく、茜を撃ち落とした砲撃も来る気配がない。


「……ほんとに、返してくれるんだよな」


 蓮は片手で頬を軽く叩いてから、ビルの上から飛び降りて合流する。瞳にはすっかり光が戻っていた。

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