第5話 命は懸けるべし
四枚羽根の天使二体は、今まで刈り取ってきた二枚羽根よりも大きく、衣装も豪奢だった。白い布をふんだんにあしらい、金細工が僅かな光を集めて輝いている。肌も髪も真っ白で、何も知らない人間が見れば自然と首を垂れてしまうような、そんな威厳に満ちている。
しかし、天使にならずともこの二人は元々地獄行きの人間だった。天使として召し上げられたことで地獄行きを免れてしまったとも言える。
罪状は育児放棄と思想の強制。
茜が子供の頃から両親は魂魄救済会の熱心な教徒で、茜もその教えに沿って育てられた。
病院は病気を長引かせて金銭を貪るのが目的な利己的集団で、人を救い助けるだなんて口ばかり。ワクチンも子供を操るためにチップをいれるのだとかで、保護者が変わるまで摂取できず、病気にかかってはろくな医療に繋げられなかった。
麻疹もインフルエンザも罹った。死にかけたのはマイコプラズマ肺炎だったから、病院にかからずよく生き延びたものだと自分を褒めたいくらいだった。
同じ学校の子供とは遊ばせてもらえず、学校の帰路は送迎という名の監視がついていた。
運動会は〝人の行うことに優劣をつけるのはいけないから〟と参加できなかった。
ほかの人間にそそのかされるといけないからと文化祭や地域の行事にも出られなかった。
教会への献金に学習費さえ持っていかれ、家庭は常に貧乏。習い事もできず小遣いもなかった。地域の祭りにさえ行けず、遠足や修学旅行すら費用が回せないと一人留守番状態だった。
何もかも制限されながら植え付けられる教義は、極一般的な感性を持つ茜にとっては信じられない代物だった。
なによりも。今こうして我慢を重ねている自分を救ってくれない宗教なんて、信じる理由がない。
そんな茜に、両親は『信じれば救われる、救ってくださる、だから祈りなさい』と言うばかりで、意志の疎通ができた事などなかったのだ。
自分とは違うのだと。違う人種の人間なのだと、茜はそう思った。
彼らを救うカミサマとやらは、きっと違う人間である自分を救うことはないのだと、茜は最初から分かっていた。
「あんだらより恭介叔父さんの方がずっと親らしいことしてた! 病院に連れてってくれたのもワクチン打たせてくれたのも部活やらせてくれたのも全部全部全部!」
両親と死別し、親権が恭介に移ってから、ようやく茜は一般的な子供の生活を手に入れた。
だから、死んで良かったと思う。双方に利益があった。
茜は普通の人間として真っ当に生きられる。
両親は教義の通りに天に召されて救われる。
それでよかったのか?
そんなわけが、あるか。
「あたしを置いて満足して死んでった癖に! 今更出てきて何の用⁉」
『今更? いやねぇ、確かに今更なんだけど、茜がちゃんとお祈りしてるか気になったのよ』
『茜だけ召し上げてもらえなかっただろう? だから寂しがってないかなって心配になって』
語調や台詞は、確かに子を案じる親のソレだ。本気で、正気で言っていることが言葉から分かるからこそ、だから狂っているのだと叫びたくなる。
ぎり、と強く歯を噛み締める。
こうなったのは誰のせいだ。知っているだろう。どれだけ恨み言を言ったところで、原因は茜自身にある。
「残念だけど、あれから一回もお祈りはしてないわ! 経典とかも色々あったけど、全部近所の神社でお焚き上げに出した、塩でお清めしてからね!」
『駄目だろう、そんな罰当たりなこと──ああ、だからこちらに来れなかったのか。そうか、今は罪を償っている最中なんだね』
『可哀想……でも大丈夫よ、私たちで主に取り合って、茜もちゃんと天使にしてもらえるようにするわ』
「世迷言言ってんじゃないわよ! こっちから願い下げだわ、そんなの──ッ!」
こちらの言葉は一切通じない。さっさと地獄に落としてやった方が後々のためになる。何より、まだ天獄の門からこの四枚羽根二体しか出てきていないのだ。極力消耗を抑えて処理する必要がある。
「さっさと地獄に落ちなさい! あたしからできる孝行なんてそのくらいなのよ!」
せめて。責任が己にあるのなら。正しい命に落とすまで。
大きくコンクリートの床を踏み込んで、男の四枚羽根に両剣を振り下ろす。振るった凶刃は天使の外周に張り巡らされた障壁に阻まれるが、負けじと刃を押し込んで競り合った。
が、状況は二対一だ。側方から鋭利な羽が幾本も射出され、こちらの処理が先だと両剣を振り回して風圧で弾き飛ばす。
『茜ェ! 本気でやれ、そこらのクソと違ェぞ!』
「やってるし分かってるわよ! 信仰だけで言ったら並みの天使より上なのよこいつら!」
信仰の度合いは天使の力に直結する。生前より異常なほどの信心があった両親であらば、天使に転化した後に得た力など奪い去った魂と比較にならない。
これはせめて、竜久の鋼線による拘束か翔矢の援護射撃が欲しかった。回遊する魚群の様に空を大群で泳ぐ羽の刃を、ビルの屋上を飛び移り続けて回避。着弾するものは双剣で弾き返し、四枚羽根との距離を確認する。
茜は移動しながら元居たマンションから数件離れたビルの上にいるが、天使二体はマンション屋上に滞空したまま動いてすらいなかった。なんなら自ら手を下すまでもないと思ったのか、足を組んでリラックスしている。そんな余裕綽々な相手に追尾する羽から逃げるので精一杯とは、情けなくて反吐が出る。しかし足を止めれば餌食になるなら、動きながら接近するしかない。ビルの高低差も利用して奇襲をかけるしかないが、そもそも斬撃は障壁に阻まれてしまう。
どうする。普段であれば翔矢のミサイルか榴弾砲で障壁を破ってから突っ込むのだ。茜は小回りの利きやすさと間合いに潜り込んでのインファイトを得意としているから、完全に自分の不得手な戦況だ。
「アキヒコ、あの障壁、全力でやれば突破できる⁉ まず一匹仕留めないとどうにもならないわよ!」
『──できるにャできるが、オマエの体が持たねェかもしれねェぜ』
「やって! この場で地獄に落とさなきゃ気が済まない!」
既に茜の頭の中は、四枚羽根二体を討伐することしか頭になかった。
眼下に広がるドームの近く、うっすらと見える人影の幾ばくかが、遥か頭上の茜と天使たちを眺めている。
門戸島は他所と比べれば天使や霊が見える人間が集まる場所だ。だからといって、交戦現場を見られるのは癪に障る。いつもなら天獄の門が限定的だから人も集まらないのに、あの大きさでは悪目立ちするのも当然だ。
『……分かった、気張れよ』
茜の要求に応じたアキヒコが、いつもの軽薄さを抑えて言った。重く魂を削り取るような鋭利な声と共に、握った双剣が重みを増す。
顕現させるのは冥界の怒りだ。両腕を伝って肌を覆うように、アキヒコから滲み出る霊気が全身を強化していく。
人間としての魂が、外から死に汚染される。魂表層の制御をアキヒコに持っていかれ、四肢の感覚が鈍っていく。身体の奥底に押し込んだ己を燃やし、我が物にならない手脚に力を込め、冷えて凍えた魂に活を入れた。
アキヒコの言った通り体が持たない。二撃で仕留める。建物の上を走って大きく回り込みながら、尚も周囲から飛んでくる羽を斬り飛ばす。纏った霊子はさながら鎧のようで、強靭なバネのようになった脚で屋上から宙に飛び上がる。
道を踏み外した、己が両親を堕とすべく。狭間を漂う僅かな霧を裂き、全身を捻って作ったエネルギーを全て腕へ伝動させてまずは左手の剣を投擲した。全力で放たれた剣閃は四枚羽根の天使を守る障壁に突き刺さり、切っ先が僅かに障壁の内部へ貫通する。
悠々としていた実父の顔色が曇った。まさか破られるとは思わなかったのだろう、手をかざして修復を始めたので、完全に破ってしまおうと茜は叫んだ。
「飛ばして!」
『マジかよ死ぬぞ⁉ 現世に引っ張り上げるの大変なんだぞ!』
「もう死んでるようなもんでしょ!」
『あァん⁉ しャあねェなァッ!』
自由落下しながら、茜の体は高層ビルの壁面付近にあった。茜の無茶ぶりに応え、アキヒコが脚部に霊力を集中させる。
脚の感覚が無くなった。完全に麻痺した足がひとりでに動いているような錯覚を覚えるが、アキヒコが代わりに動かしているだけだ。
両足を曲げ、強くビルの壁面を蹴り込む。衝撃で足が壁にめり込み、砕け散ったガラスの破片をまき散らしながら茜は一直線に宙を跳ぶ。狙いは障壁に突き刺さったままの剣だ。身を翻して反転させ、天使に急接近して柄を蹴り、切っ先だけ刺さった剣を更に障壁の内部へ押し込んだ。
『茜、そんなことをしなくてもいいのに……辛くはないのかい?』
言いながら、蹴りの威力が想像以上だったのか、実父の顔には脂汗が浮いていた。妙に焦っている姿に自然と口角がつり上がり、押し込んだ剣を回し蹴りで更に押し込む。
回転も載せた渾身の蹴りで、ようやく剣が貫通する。障壁を突き破り一直線に向かったのは残念ながら実父の肩だ、急所には当たらなかったが、バリアがなくなり懐に潜り込めたならこちらのもの。
「全ッ然! あたしからしたらあんたたちが死に損なってることが辛いのよッ!」
棒切れのような腕を動かし、指を鳴らして剣を呼び寄せる。手元に引き戻すのではなく、剣を起点にして自分を引き寄せさせれば、あっという間に実父に肉薄することができた。
「大人しく堕ちなさい!」
生きていた頃より数段大きくなった巨躯に張り付き、突き刺した剣を支えに右手の剣を振り上げる。人間の形をしているのなら、急所も同じだ。下手に心臓は狙わず、纏う布地と貴金属の少ない首を狙って、茜は剣を投擲した。
三点支持で張り付いたまま、しかし狙いすました投擲は寸でのところで羽の刃に弾き飛ばされる。
流石に黙って見てはいないか。
今は回避を優先する。実父の肩に突き刺さっていた剣を引き抜き、適当なビルの屋上に投げつけ、先ほどと同じ要領でひとまず離脱しようと身体を引き寄せた。
『そんな小物に何をしている』
──その、時だった。ぐんぐんと剣に向かって突進する茜が、どこからともなく聞こえた声に顔を上げる。
音の発信源は浮かび続ける天獄の門からだった。実父とも実母ともつかない第三者の声が、恐らくはこの場にいる全員の魂に呼びかけている。恐らくは、四枚羽根ともあろう中位の天使が、人間の魂一つになにを手間取っているのかと叱責するために。
見つめた天獄の門の一部が開く。屋上に着地した頃には穴が広く深くなっていて、茜は新手の出現に備えた。引き戻した双剣を携えたまま、一体何が出てくるのかと穴を注視して──その判断が過ちだったことに気づく。
『やはり貴様で合っていたか……フン、アレも使い物にならん』
天獄の門に開いた穴は出入口ではなかった。過剰なほどに強化した視力で見つめた奥が見つめられないほどに光輝いたのを見て、先に判断できたのは
『茜、身を──』
身を守れ、と。その言葉すら最後まで聞き取れなかった。
天獄の門から生み出された砲身から、茜の立つビルに向けて極光が放たれる。光速に近しい速度で霊力が照射され、回避行動もとれずあっという間に光に飲み込まれた。感覚の無くなっていた四肢はおろか、逆に鋭くなっていた視力をはじめとする感覚が一瞬で塗りつぶされる。足場となっていたビルは極光に曝されて灰になり、茜は成す術もなく眼下の三途の川に落ちていく。
『茜、おいしっかりしろォ!』
何もかも、感覚がなかった。果たして自分がここに存在するのかどうかすら判断がつかず、どうにか落下している事実と脳裏によぎるアキヒコの声だけを認識する。
大丈夫、と声に出そうとして、小さく口が動くだけだった。
脚はあるだろうか、手は残っているだろうか。狭間で身体が消し飛んでしまえば、現世に戻れたとしても動かせなくなる。アキヒコの霊力を身体に回していなければ、極光に焼かれて魂自体を消し去られていただろう。
雪の様に漂うビルの残骸と共に、茜の身体は三途の川に落ちた。手放してしまったアキヒコが宿る両剣は、どうにか茜の魂を狭間に繋ぎ止めようと水面に突き刺さったままだ。
相棒を残して、成す術もなく川底に沈んでいく。ふいにぐい、と身体が引っ張り上げられる感覚があるが、それだけだ。
ぽこぽこと口から泡を吐いている気がする。異物が混入した魂は自他の境界が薄くなって、次第に瞼が重くなる。
あくまで狭間にいるのは魂だ。それが三途の川を越えてしまえば、現世で眠り続ける身体は核を失って死も同然、衰弱して死ぬだけだろう。まだアキヒコと繋がっているから、成す術もなく死ぬことはないだろうが。それでも三途の川から這い上がるには魂本人の意志が必要だ。
その意志が、朦朧として途切れては起きての繰り返しだ。どうにか起きていなければと思うものの、眠りこけたように覚醒しない。
(……あいつ……あの声、あの時の……)
先ほど聞こえた声に、聞き覚えがあった。あれはきっと、己の両親の魂を奪った天使だろう。姿形は見えなかったが、アキヒコが探った限りでは門の制御者は六枚羽根。衝突事故の際に襲い掛かってきた天使と同じだから、間違いがない。両親がその配下になっていたとしても不思議ではないものだ。
──このまま終わるのか? と、茜は思う。
そんなことは駄目だ。叔父の家で己を支えてくれたみたらしとホイップを残したままだ。叔父だって自宅を任せた姪が帰って死んでいたら驚いてしまう。
なにより。天使に負けるなど、茜のプライドが許さない。
あの魂を正常な輪廻に返すことが役目なのだ。危険と苦難を承知で国からの要請を受け、特殊刑務官になったのだ。
死ねない。死ねない。まだ、倒れる訳にはいかない。
ほんの僅かに浮上する意識で、腕に絡み付いたアキヒコの霊力を手繰り寄せる。
朦朧とする意識の中で、それでも狭間に戻らなければと、魂に紐付いた意地が魂を動かし続ける。
天使は、全て、地獄に落とす。そう決めたのだから。
『そこまで言うなら、お前に問おう』
不意に聞きなれた声がして、アキヒコとの繋がりが途切れた。
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