第3話 無知を蔑むことなし

 事務所から出ると、狭間と同じく近代的な街並みが露わになる。現在地は日本近海に建造された人工島。名を〝門戸島〟と呼ぶ。表向きは政府による土地開発プロジェクトの一環だが、伏せられた事実がある。


 実際のところは、日本を悩ませていた天使の襲来に対して情報を集めたところ、侵入地点が集まっていたのが門戸島のある海上だったのである。そのため、拠点を置いて侵入してきた天使を即座に叩くために造られた、天使迎撃用の街なのだ。


 人々の多種多様な信仰により、土地柄によって天使の出没率がかなり違う日本だ。上記の理由から、門戸島が天使の侵入回数は数十年続けて一位らしい。


 天使と特殊刑務官の争いが頻発しているせいか、一部の霊能力者から広がった噂によって半ばオカルトめいた都市伝説や陰謀論が流布される中心地ともなっているため、政府や行政はそちらの状況も注視しなければならなくなった。


 〝聖戦が今まさに行われている土地なのだ〟と。真実を突き止めようとする霊感のある人間や、思想が行き過ぎた宗教がはびこっていて、一般市民に過ごしやすい環境であるとは言い難い。


 生者は天使に命を蝕まれるだけだ。そうしたスピリチュアルな事柄や自ら霊能力者を自称するような人間は、素質があると見込まれて殊更狙われやすい。困った話である。


『なんだァ、んな情けねぇ面ァしてよォ』

『そんな顔してないわよ』

『翔矢のボウズからもらったお守りがそんなに不思議かァ?』


 市街地を足早に歩いていた茜に、アキヒコが揶揄するように言った。渋々もらったお守りだが──まぁ、気持ちは受け取っておこうと思ったのだった。翔矢が本気で仲間の事を心配して買ってきたのは間違いないのだ。


『……不思議っていうか、意外だっただけ。天使と戦ってるような人間がカミサマを信じてるなんて』

『それこそヤロウの信仰が広く浅くだからだろォ? 何となくァ分かるぜ、ありゃあ子供の頃からそうだったタイプだろ』

『そういえば昔、神社で神楽を舞ったんだぜ、とか自慢してたっけ……』


 島根県東部、出雲市と言えば、それこそ出雲大社で有名な街だ。日本神話に登場する神々の纏め役、大国主命を祀る大神殿。そんな大きな神社があるのなら、身近にありすぎるからこそ自然と信じるものなのだろう。


『……まぁ、軽い信仰ならいいのよ、責めも止めもしないわ。行き過ぎたら手遅れになる前に地獄に落とす』

『あのボウズに限ってそりャあないだろうよ!』


 あり得ない、と言わんばかりにアキヒコに否定されて、茜は軽くため息を漏らした。


 よくないとは分かっている。宗教に関しては敏感すぎて、口を突っこみすぎてしまう。飲み会で政治と宗教の話はするな、という格言くらいあるのだから、好き勝手にさせておけばいいのに。


 ──好きにさせた結果、破滅した人間を知っているから。せめて、と心配してしまう。


 頭の中でアキヒコととりとめもない話をしながら、茜は目的地のATMまでたどり着いた。今日は給料日だったため、一か月分の生活費を引き落としに来たのだ。


 空いていたATMにたどり着き、慣れた手つきで残高の引き出しをする。財布に生活費を突っこんでから通帳を眺めると、茜はあることに気づいて首を傾げた。


「……もういいって言ったのに……」


 予定より表示された残高が多かったから何かと思えば、見覚えのある名前の口座から二万円が送金されていた。


『おん? どしたァ』

『流石にもう貰えないわ、返さなくちゃ』


 茜は踵を返して、出たばかりのATMに入り直した。送金されていた二万円を引き出し、備え付けの封筒に入れて鞄にしまうと、このまま自宅に帰るはずだった予定を変えて別方向に向かう。


 送金主は茜がまだ学生の頃、身元引受人になってくれた叔父からだった。妻も子供もいるのだから、自分の家族に使ってほしい。送金されては送り返しているのに、どうしてか止めてくれないのだ。


 彼からして、申し訳なさくらい抱いているのだろう。それは学生時代に嫌というほど感じている。しかし、茜は感謝しているくらいだった。


 叔父と、その妻と。まだ小さかった子供たちのおかげで、自分は真っ当な家庭を知れたのだから。



 *



 茜が足を運んだのは門戸島市街地に造られた、利便性のいい高層マンションだった。以前住んでいた場所だけあって豪奢な内装にも慣れたもので、入り口でインターホンを押して家主を呼び出す。


『はい、柳楽です』

「義叔母さん、突然ごめん、茜ですけど。叔父さんはいますか?」

『あら、茜ちゃん? ごめんなさいね、今子供たちと買い物に出てるのよ』


 応対にでたのは義叔母の柳楽なぎら絵里えりだった。目的の叔父はどうやら不在らしい。


「あ……そうなんだ。どうしようかなぁ。ちょっと用があったんですけど」

『せっかく来てくれたんだし上がって上がって! もうすぐ帰ってくると思うわ!』

「ん。じゃあお邪魔しようかな」

『お邪魔だなんて、茜ちゃんも住んでた家じゃない! 今鍵開けるわね』


 それきり、しばらくするとエントランスが解錠されたようで、せっかくの提案も無碍にはできないのでマンションの中を進むことにした。


 住んでいる階層も場所も分かり切っている。大学に入るまでの数年間、勝手知ったる我が家だった場所だ。


 自前の鍵をかざしてロックを開け、実家も当然の叔父の家へ上がり込む。靴を脱ぐとリビングに通じる扉の向こうに影があって、カリカリとせわしない引っ掻き音がしていた。


 ワン、と元気のいい鳴き声が聞こえて、茜は扉を開けた。開いた扉の隙間から直ぐに鳴き声の主がぬるり扉を割って入ってきて、なだめながらリビングへと入る。


「久しぶりみたらし、元気にしてた──わ、落ち着いてってば」


 興奮した様子で立ち上がり、前足をしきりにばたつかせてじゃれついてくるのは、飼い犬のみたらしだ。茶色と白の毛色の柴犬である。アポなしの訪問だったため、みたらしとしても驚いたらしく、嬉しさを全身で表して茜に飛びついている。


 みたらしの相手をしながらリビングの様子を見ると、もう一匹のペットはソファーの上で昼寝中だったようだ。真っ白い猫の名をホイップといい、名付け親は茜だったりする。


 白と茶色でみたらし団子みたいだから、みたらし。ホイップクリームみたいだからホイップ。我ながら安直なネーミングだと思うが、慣れてしまったので後悔はしていない。


「おかえり茜ちゃん、今お茶淹れてるから楽にしてて」

「あれ、いいのに。なんかごめんなさい」

「いいのよ~! ちょうどおやつにしようと思ってたし、焼き菓子があるからそれ食べましょ?」


 絵里はキッチンに居て、コーヒーを淹れている最中だったようだ。先ほどやってきたにしては既にお湯の準備ができているので、いう通り元々休憩をする予定だったのだろう。そのままもてなされることにして、茜はみたらしを手懐けながらソファーに座る。


 座った反動でホイップが起きたらしい。何度か目を開いて茜がいることを確認すると、ゆっくりと立ち上がり、茜の側まで移動してからまた座った。お尻をくっ付けて再び寝る体制に入ったホイップだが、猫が後ろを向けて座るのは信頼の証に取る行動だ。何度も何度も嬉しそうにはしゃぎ回るみたらしを見ながら、愛されてるなぁ、と何気なく思う。


「どうぞ~。いつものカフェラテよ。焼き菓子はマドレーヌとフィナンシェ」

「ありがとうございます。じゃあフィナンシェを貰おうかな」


 昔からコーヒーにはたっぷり牛乳を入れて飲んでいたので、絵里にもすっかり覚えられてしまっている。薄茶色の熱いカフェラテを口にすると、置かれた容器の上からフィナンシェを手に取る。


 袋を破って金塊の形をした焼き菓子をぱくり。パリッと焼かれた表面と、ねっとりと柔らかな生地のコントラストが舌の上で混ざり合う。


 親しい女二人のお茶会が始まってしまえば、後は幾らでも雑談が続く。久しく顔を出していなかったのもあり、話は弾みに弾んで数十分。どうやら叔父が帰ってきたようで、玄関先が何やら騒がしくなっている。


「そういえば、茜ちゃんの用事って恭介きょうすけ君にだったかしら」

「あ、そうです。帰って来たみたいですね」


 はしゃぎつかれて茜の足元で休んでいたみたらしがスッと起き上がり、彼女を出迎えたのと同じようにリビング先の扉まで一直線に走った。後ろ足で立ち上がると催促するように前足で扉をひっかき、家主の帰りを今か今かと待ちわびている。ホイップは相変わらず、今度はキャットタワーに場所を移して窓の外を眺めていた。


「ただいまー」

「お邪魔してます、叔父さん」

「なんだ、茜来てたのか! 二人とも、姉さんが帰ってきてるぞ」


 大量の荷物を両手に引っ提げて、じゃれつくみたらしを相手にしながら、顔だけ玄関に向けて叔父──柳楽恭介──は言った。マジ⁉ 本当⁉ という声が聞こえたかと思えば、玄関先で慌ただしい物音を立てた後で叔父の子供が入ってくる。


「茜ねーちゃんおかえり!」

「姉さんいたんだ、どうしたの?」

「こら、先に手洗ってきなさい」

「はーい」


 滅多に恭介の家に戻らない茜がアポなしで来たとなれば、何かしらの用事があっての事だろう。子供たちにしばし席を外すよう手洗いを命じて、恭介はキッチンに買ってきた食料品などを置いた。


 見越して、茜も立ち上がる。側に置いていた鞄の中から現金の入った封筒を出して、恭介に差し出した。


「叔父さん、これ返すわ。もう貰えないです」

「……やっぱり? 一応、と思ったんだけど」

「もう奨学金も返し終わったもの。生活に余裕があるくらいには稼げてるし、これはあの子たちに使ってあげてほしいです」


 名目は誕生日祝いのはずだ。元来物質的なプレゼントをもらうことを好まない──他人からの一方的な施しだと感じてしまう──茜なので、プレゼントの類も高校時代に入った時からは現金方式に変えてもらっている。その貰ったお金を持って、叔父夫婦と話しながらプレゼントを自分で選ぶ、のが通例だった。彼の子供たちもそうしているかは分からないが、『自分で選ばせてほしい』とお願いしたのが発端だ。


 とはいえ既に立派な社会人なので、今後は子供たちの教育費に充ててほしいのが本音だった。


 引き取られた自分よりも、きちんと血の繋がっている方に力を入れるべきではないのか。そんな捻くれた考えがないわけではない。叔父だって、彼女が未成年の時からの行事として振り込んだに過ぎないだろう。


「じゃあ、今年で終わりにするから。それだけは最後に受け取ってもらえないか」

「……成人して何年だと思ってるんですか」

「……なんか、兄さんに悪い気がして」


 渋る恭介がぼそりと呟いて、茜は思いきり眉根を寄せた。差し出していた封筒を引き戻すと、頭の横で緩く振って見せる。


「──じゃあ、これで今度美味しいものでも食べに行きません? あたしのおごりで。それならあの子たちも喜ぶし、いいでしょ?」


 ちょっとお高い焼肉か、お寿司か。すき焼きやうな重とかでもいいかもしれない。幾ばくか案を出していると、手洗いを終えた子供たちがリビングに戻ってくる。


「なに、今度焼肉行くの⁉」

「あたしはお寿司の方がいいなー! 絶対お寿司! 回らないとこ!」

「はぁー? 普通焼肉だろ!」


 恭介の子供は二つ違いの姉弟だ。姉をなぎさ、弟をつかさという。茜にとっては彼彼女らが幼い頃からの付き合いで、姉弟にとっても年の離れた姉という位置づけだった。


 そんな姉が突然帰ってきたのだから、興奮もするか。キャッキャと外食先を言い争っていた二人は、そういえば、と言わんばかりに顔を弾けさせてキッチンに入ってくる。


「姉さん、今日いつまでいるの? 晩御飯は食べていくの?」

「ねーちゃん、ゲームしようぜゲーム! コントローラー分けて遊べるやつあるから父さんも一緒にさ!」


 思ったよりも歓迎されているようだ。両手を義姉弟に引っ張られ、引きずられるようにリビングに連行される。


『茜ェ、ほっぺが緩んでるぜェ? ハッハッハ、嬉しいんじゃねェかよ』


 やれやれ仕方ないな。そう思っていたが、内心の穏やかさが顔に出ていたらしい。脳内でアキヒコが微笑まし気に笑ってきて、けれどいつものように入れ墨を叩くこともできない。


『うるさいわよアキヒコ。子供の相手なんだから別にいいじゃない』

『テメェにャこういう家族がお似合いだぜ』

『……何それ、嗤ってるの?』

『いんや? 良かったんじゃねェの、って話よ』

『……そうね』


 渚と司が、うきうきしながら大きなテレビにゲーム機を繋げてセッティングしている。中に入っているゲームは流行りのパーティーゲームだろうか。買い物の仕分けを終えた恭介を司が連れてきて、叔父と茜で子供たちを挟むようにしてテレビの前に陣取った。みたらしは観戦に徹するのかソファーに乗り上がってリラックスしている。入れ替わるように大きく伸びをしたホイップが茜の胡坐をかいた足の間に入ってきた。


 絵里はそんな様子をリビングテーブルに座ったまま微笑まし気に見ていて、どこか暖かな、ほっこりとした雰囲気がリビングに漂っている。


 悪くない。そんな気持ちだった。とても居心地がいい世界だ。


「そうだ茜、再来週の土曜日……というか、金曜日から日曜日までなんだけどさ」

「何?」

「父さんの法事で家を空けるから、みたらしとホイップの面倒を見てくれないか?」


 遊ぶゲームの選択は子供たちに任せている間。叔父からそんな頼みをされる。


「ああ、えっと……三回忌だっけ? いいわよ、仕事出てる間は見れないけど、こっちにいればいいんでしょう?」

「世話の仕方は前と変わらないから、よろしく頼むよ」

「任せて」


 一応は祖父になるのだが、実父が親族一同から更迭されたのもあって、茜は葬儀に出たことがない。とはいえ自分は行かないほうがいいだろうとも思っているので、二つ返事で了承した。


「部屋は……まぁ、適当に」

「最悪ソファー広げて寝るわ」


 冗談交じりに笑うと、釣られるように恭介も笑った。そうしている間にゲームが始まったようで、茜はテレビに視線を戻す。


 脚の上に乗ったホイップのおかげで、既に足がしびれている。すっかりリラックスして寝る体勢に入っているホイップを退かすこともできず、ゲームが終わるころには立てないかもしれないなと思いながら、渡された分離型のコントローラーを手に取った。


 テレビに表示されていたのは欧州のボードゲームのルドー。


『めっちゃ時間かかる……ホイップこのままなの……⁉』


 全員が終わるまで結構な時間がかかるボードゲームだ。思わず内心で愚痴ると、アキヒコの楽しそうな笑い声がいつまでも止まらなかった。


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