第13話

四百五十九段の石段の、六百三十四段目を数えたところで百目どうめ保険リサーチの調査員であるたきは舌打ちした。

「くそっ、どこまで続いてるんだこの階段」

額の汗を拭う。今日は久し振りに傘が不要な梅雨晴れだったというのに石段を上る内に濃い霧が立ち込めてきた。山中で霧の中を移動するのは遭難の危険性もあるだろうが、石段の先はとある廃寺だ。一本道なので迷う心配は無い。踏み外して転がり落ちぬよう足元に注意を払って、ついでに段数をカウントしながら一段一段確実に上っていた。

そして、明らかに事前に調べた石段の数より多く上っても辿り着かない現状に顔を顰めた。

「誤差の範囲どころではないぞ」

はあー……と長い溜息。

ゴールが見えない状態で上り続けるのは体力的にも精神的にも辛いものがある。小休止と足を止め、今回の出張の経緯を思い返す。


「契約者が行方不明になった?」

駅前の大通りから一本入った所にある六階建てのビルの四階に看板を掲げる『ざしき怪異保険』の応接ブースでつなぎ姿の童女から聞かされた言葉を疑問符付きで反復する。

「そうなんだよー」

ういろう生地に小豆をのせた三角形の和菓子を斜辺同士くっつけて積み上げた水無月キューブに舌鼓をうつ童女は黒文字を動かす手を止めずに言った。

「契約して日が浅いご新規さんなんだけどね!ほら、ウチって旅行保険みたいに何日〜何日までの短期間契約も請け負ってるじゃない?」

『ざしき怪異保険』のボスにして座敷童子の童女みくらにたきも頷く。

「存じてます」

「だから最近はさ、心霊スポットに突撃する前に契約する人も多くてね!ご愛顧いただき誠に感謝!なんだけど、その内の一人がいなくなっちゃったんだよ」

「日数指定の短期契約の場合、保険料は一括の前払いですよね。当人もしくは家族から保険請求があったのですか?」

みくらは首を横に振る。

「では何故行方不明だと?」

「その契約者の子は動画配信者になりたいって意気込んでたんだよね!で、元々オカルト好きで廃墟とか心霊スポットとか巡ってたんだって。趣味が高じてーーってどっちも趣味なんだけどさ、探索動画をアップしたら一石二鳥って考えたみたいだよ!

そのトムソン君……あ、とみむらはじめでトムソンって名前にしてるらしいよ!チャンネル名はトムソンチャンネルだってさ!

彼は記念すべき初回投稿のために界隈で穴場スポットとされている山中の廃寺に行こうとした!でもいざ征かんと決めたら何となく不安になって我らが『ざしき怪異保険』に申し込んだというわけだ!」

不安になったんなら行くの止めときゃいいのに……とたきは思ったが、得意先の顧客増加を喜ばないわけにはいかないので内心に留めた。

「トムソン君はオプションをつけていてね!一週間経過しても音沙汰が無ければ自動的に保険請求扱いになるんだ!連絡も取れないし、SNSも動いてないし、帰宅していないのは確認済み!バイトも無断欠勤中!これを行方不明と言わずなんと言おうか!」

「確かに聞く限りでは行方不明のようですね」

突発的な衝動に駆られて自分探しの旅に出立した可能性も無くはないが、どちらにせよオプション適用の条件は満たしている。

「だが、たき君一人で行ってもらうのは危険じゃないかね。誰か霊能者を派遣したほうがいいのでは?」

同席していた社長のつぐながまんりょうはこの場の誰よりも青い顔をしていた。

「ですがまだ確定した訳ではありませんし。調査をしてからのほうが引継ぎもスムーズでしょう」

「霊能者を派遣するにしても日程調整が必要だからねー。すぐ現地入りは難しいかもだ」

たきとみくらの意見につぐながは「しかしねぇ……」と渋い顔。だが、代替案も浮かばなかったようで最終的には「少しでも危険だと感じたらすぐに逃げるように」とたきに調査を依頼した。

「承知しました。早速現地へ向かいます。安心して下さい。引き際くらいは心得てますから」


同伴すると主張する妻をなんとか宥め、たきが廃寺のある町に到着したのは翌日の昼前。日の高い内にある程度進めておきたいと考えていたのだが、現状二進も三進もいかないときていた。

霧は益々濃くなり、足元すらも見えない。

「さては何かに化かされているのか?」

濃霧はまだしも、延々と続く石段は異常だ。狐狸の仕業かとたきは疑った。

「こういう時は煙草をのむと良いと聞くが……」

スーツの懐を探り、準備しておいた物を取り出す。キャップを外して広範囲にそれを撒く。

「ギャッ!?」

あれほど立ち込めていた霧が瞬時に晴れ、小柄な黒い塊が慌てふためいて逃げようとしていた。

「逃がすか!」

ダンッ、と石段を強く蹴って狩人のように塊をむんずと捕まえる。手に伝わってくる感触と体温。

首の後ろを掴まれてプラーンと揺れているのは。

「狸……か?」

全体的に茶褐色で胴長短足。耳の縁と目の周り、脚が黒い。イヌ科の動物らしき顔。

高確率で狸だった。

「狸……だよな?」

揺れるばかりで微動だにしない。もしや気絶か死んでいるのかーーとは思わなかった。

たきは狸を見つめると真顔でポツリと一言。

「今夜は狸鍋だな」

「ヤダー!」

「やっぱり狸寝入りしてやがったか。喋れるんなら丁度いい。おいお前、どういうつもりだ」

狸が人語を話すことに即応したたきは詰め寄る。

「煙草出す流れだったじゃん!あれは嘘だったの!?騙すなんて酷い!劇薬撒くなんて予想外だ!鼻がー!鼻がー!」

ジタバタと悶える狸。

「いや煙草は持ってるぞ。娘が生まれる前には吸わなくなったが、席を外す理由に使えるから便利なんだ。あと妻が煙草を持つ手が好きと言ってくれるから常備してる。撒いたのは獣用の忌避剤だ。こんな事もあろうかと準備しておいて良かったぜ」

「妻のくだり必要?初対面の人間に惚気られるなんて初めて」

狸は妙に場慣れしている人間に少し引いていた。

「普通の人間は霧の中で迷うと怖がるのに……オレが喋ると驚くのに……」

「仕事柄な。今更狸が喋るくらいで驚いたりしないさ。むしろこっちの言葉が分かるんならやりやすいぜ。言葉が通じない相手は厄介だからな」

「仕事柄?もしかしておにーさん霊能者かい?」

狸は鼻をヒクヒクさせる。

「そういえば雪のにおいもするし……」

「お前もう鼻が利くようになったのか」

「違わい。においってのは妖力の気配のようなものだから鼻がダメになってても分かるんだ」

狸はカタカタと震えはじめた。

「やだホントに雪のにおいがする……おにーさん雪女と知り合いだったりする?雪山で遭難した時に見逃されたりしてない?」

「知り合いというか配偶者だが。彼女が働いていた雪山のペンションで殺人事件が起きた際に居合わせた客の一人が僕だったんだ」

「ヤダー!こここ殺される、雪女の旦那にちょっかい掛けたなんて知られたら冷凍ジビエにされる!」

カタカタガタガタと震える狸。心底恐怖しているらしい。ここまで怯えられると怒りも萎む。だんだん哀れに思えてきたたきは安心させてやろうと笑いかける。

「そんときゃ解凍してやるよ」

「調理工程!狸鍋作ろうとしてるよね!?」

臭みがあるよー、好みが分かれるよー、などと唱える狸にたきは山の上を顎で示した。

「僕は山の上の廃寺に用があるんだ。行っても構わんか?」

他にも美味しいお肉あるよー、などとブツブツ言っていた狸はビクッとする。

「駄目駄目ダメダメ。今はねー、ちょっとねー、ほら、急に来られると困るし。散らかってるし」

「散らかってても気にしないって。僕とお前の仲じゃないか」

「初対面」

片手で狸をぶら下げたまま、たきは石段上りを再開する。既に六百三十四段を数えたものの、現在地は目測で全体の半分程度という事実にげんなりしながらも旅の道連れができたので良しとした。

「ホントに駄目だって。オレが怒られるんだから」

「怒られる?誰かに頼まれてやったのか」

「言えない言えない言えやしないよ。ねえ引き返さない?美味しいうどん屋さん紹介するよ」

「後でな、後で」

一人きりで上るよりもずっと早いペースで最上段を踏む。山門を見上げると、既視感を覚えた。地方の町の坂の上にある屋敷。風雨と年月を経た建造物特有の趣が連想させたのだろう。

水草の残骸と泥が堆積するばかりの涸れた池がある。石づくりの円弧橋にも引っ掛かっているそれらに足を取られぬよう慎重に渡った。

橋を渡ると左に層塔。塔と対になる場所に本堂。塔の更に奥には細い道が伸びている。本堂の向こうに見えるのは大きな梵鐘を吊った鐘楼だ。

雑草が蔓延り、苔むす荒れ寺の境内。

そして、地面を埋め尽くすように並べられた骨にたきは言葉を失った。

「なっ…………!?」

見渡す限り、骨、骨、骨。

鳥獣の類いでないのは瞭然。ふくらみのある肋骨、頸椎、胸椎、腰椎、骨盤。上腕骨に手根骨、大腿骨に中足骨。いかに鈍くとも何の骨であるかは察せられよう。白昼堂々、人体を構成する骨組みが詳らかになっている。

物言わぬ骸達が境内いっぱいに横たわっていた。








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