第11話
「どうしてクローゼットの中に靴が?」
「私も同じ感想ですが、こちらをご覧いただけますか?」
革靴にはくっきりと歯型が残っていた。並びや形状からして人間のものではない。この場合、人間の歯型がついている方が怖い。サイズ感や部屋で感じた気配から推察すると小型犬だろう。
「あっ!これうちのケンが噛んだ跡に似てます!犬と書いてケンと読むんですよ。名前がなかなか決まらなくて、折衷案でその名前に。顎が強かったんですよね」
懐かしそうな
「気配や唸り声だけで姿は見えません。ですので百パーセント、
「あ、はい。そうでしたね」
「それなりの頻度だったにもかかわらず、緊急性無しと判断されたとなれば、怪我をしたり事故に遭ったり取り返しがつかない事態に陥ることは無かったのでしょう」
「最初に
「えっ」
「うーん……その月だったのは確かですけど、日付はどうだったかな……でも体調不良者が続出して救急車も駆けつけたらしいですね。おれは騒ぎが収まった頃にようやく大学に到着したんで、蚊帳の外って感じでしたけど。なんでも空調設備に問題があって塗装のなんとかかんとかって……」
「
「言われてみれば……」
「消えた物も戻った時に壊れたり傷ついたりしていたとは仰っていませんでしたね。不思議な現象であっても害する意図は感じられない。むしろ結果的にトラブルを避けられてプラスに働いている」
「じゃあ、ケンはおれを見守ってくれているということですか?申し訳無いなぁ……おれは気配とか全然感じなくって。ケンが亡くなってから、実家では何も起こらなかったんで失念していました」
最後のほうは声が僅かに湿っぽく震えていた。
「本件は保険適用になるでしょう。ご希望されるのでしたら然るべき専門家が対応します」
『ざしき怪異保険』が斡旋する動物系の霊能者となると
「対応……というのは除霊するんですか?」
不安そうな
「今まで助けてもらったのに、それは嫌というか、恩知らずのような気がするんですけど……」
「申し訳ありません、説明不足でしたね」
安心させるように
「対応する、というのは決して除霊だけではありません。共生し、良き隣人であり続けるためのお手伝いも含まれます」
「共生、ですか」
「人間だけの世の中じゃありませんからね。せっかく怪異保険に加入されているんです。追加料金は発生しませんから専門家の意見を聞いてみられては如何でしょう」
詳細は追って連絡を、という流れになり
幸いなことに革靴にくっきりとついていた歯型は綺麗に消えていた。忠実な番犬に
「傷のある靴で客先を訪問するわけにもいかないからな。修繕の手間が省けて助かったぜ」
帰り際、
「差し出がましいようですが、
人間の部品をバラバラにして捏ね混ぜ続けているような影を背負った女性。ボコボコと形を歪ませ崩れていく無数の顔がちらつく。
あれは、よくないものだ。
彼の番犬が警戒していたのも無理はない。
忠告はした。最終的には当事者同士の話なので
勿論、『ざしき怪異保険』の契約者ではない彼女に対して何をすることもない。
「さあ、帰ったら報告と引き継ぎだな」
ネクタイを少し緩めて
閉店後のコーヒーショップにて。
『Close』の札を下げた店内ではスタッフが片付けと清掃を行っていた。
「あのお客さん、また別の人連れてましたね」
ウェイトレスの
「
一筆書きで描けそうな顔のキッチンスタッフが興味津々で話に乗ってきた。つい先日から勤務し始めたが要領の良さと妙な愛嬌で既に職場に馴染んでいた。
「美人さんなんだろ?いいなあ、オレも見たかった。教えてよ
「男の人ってああいうタイプ好きですよね」
「ああいうタイプ“も”ね。どうせ騙されるなら美人に転がされたいもんだ。あ、
アセアセとフォロー(?)を入れる。しかし場を和ませるどころか
「そういや
そう。
今日はある人と約束をしていた。
その為に早く上がらせてもらう予定だったが、結局この時間まで仕事をしていた。
「幽霊とか呪いって信じてます?」
後から振り返っても
「幽霊?呪い?」
案の定、面喰らっている。
構わず続けた。
「あのお客さん、たくさん取り巻きを引き連れてるんですよ」
「取っ替え引っ替えってやつ?今日も違う男と一緒だったんだろ?」
「ああ、違います。そうなんですけど、私が言ってるのは生きてる人じゃないほうです。あの人の周り、凄いんですよ。黒い靄みたいなのがボコボコと沸騰しているみたいになって、何人もの人の顔が浮き上がっては崩れて……釜茹でにされて煮崩れた人体が混ざっているみたいな。すごく気持ち悪いんですけど、見ずにはいられないんです。
ちょっと前になりますけど。あのお客さん、お店に忘れ物したんです。小さなダイヤのネックレス。すぐに受け取りに来られて……その時私、ついあの人の周りの靄に気を取られて。表情で分かったんでしょうね。私は気まずかったけど、あの人はクスクス笑って『可愛いでしょう?』って」
ピンクパールのリップを塗った唇を妖艶に笑わせた彼女はアクセサリーを得意気に見せびらかすように言った。
「あの人、自分に憑いているものを知ってたんです。自分へ執着させているのが心地良いみたいに。それで私は思ったんですよね。あの人は憑かれてるんじゃなくて憑けてるんだって」
「へえ。怖い女もいるもんだね。美女に弱い男としてはゾッとしないや」
ぶるりと背筋を震わせる同僚。
「そうですよね。怖いとか気持ち悪いとか思うのが普通なんでしょうけど」
ギリ、と自身の腕に爪を立てる
「私はとっても羨ましかったんです」
ーーあなたもどう?
彼女は言った。
ネックレスはわざと忘れていったのだろう。釣り糸を垂らすかのように。
「メモリアル・ダイヤモンドって知ってます?遺骨を加工して作られたダイヤモンドなんですけど、あの人が持ってたダイヤがそうだったみたいで。パワーストーンみたいなものだって言ってたんですよね」
今日はその詳しい話を聞くつもりだったのだが、止めにしたのだと
「そりゃまたどうして心変わりを?」
「昼間にサラリーマン風の男性のお客さんがいたんですけど、その人も彼女が憑けてる靄に気づいてました。それで、私が彼女達を見てたのも分かったみたいで」
変な話ですけど、正気に戻ったというか、醒めたというか、毒気を抜かれちゃったんですよねーーと苦笑する。
「本当に自分でもおかしいと思うくらい、ハッとさせられたというか……サラリーマン風のお客さんが何かしてくれた訳でもないのに。だから妙な話に乗るのは止めておくことにしました」
「そうかい。そりゃ重畳だね」
「ごめんなさい、いきなり変な話をして」
引かれるかもしれないな、と今後の職場での関係を懸念するもすぐに杞憂であると知る。
「いーっていーって。世の中変な話なんてゴマンとあるもんだし。幽霊も妖怪もウロウロしてるご時世さ。気にしない気にしない。あ、でも
「相談……。そっか、私、どこかに相談しなくちゃ、ですよね。やだもうどうして変な考えになっちゃってたんだろう」
袋小路に陥っていた考えが晴れていく。追い詰められると正常な思考ができなくなるのは本当らしい。
「その、メモリアル・ダイヤモンド?の原料の遺骨って、誰の骨?」
パワーストーンを謳っているのだから何かしらの箔がつけられているだろう。相談先への手土産に聞いておきたいものである。
「カミサマの骨」
「え?」
「カミサマの遺骨を使って作られたものだって言ってましたよ。今日、彼女と会っていれば詳しい話を聞けたんでしょうけどね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます