第9話

「ヤバイヤバイ遅刻確定じゃん」

慌ただしく身支度を済ませて玄関に小走りで向かうむかえさく。大学一年生の彼は一限からの講義に出席予定だったが寝坊してしまい、慌てていた。

「どうして目覚まし時計から電池が消えてるんだよ〜」

一人暮らしなので実家のように起こしてくれる人も居ない。念の為にスマホと目覚まし時計の両方を準備していたのだが、スマホのアラームは解除されていた上目覚まし時計は針を停止させていた。確かに昨夜就寝前までは問題無く動いていたのでタイミング悪く電池切れかとプラスチック蓋を外して目を疑った。

単三電池二本をセットしていたホルダーは空になっており、底の部分の電池を入れる向きの表示があらわになっていた。

「はあ?なんで?」

疑問符まみれの声が出た。

どこかに転がったのだろうか。いやいやそもそも電池ホルダーには蓋が嵌め込まれている。自分の目で見たものが信じられずに床やベッド下を探すが影も形もない。寝坊した上電池の捜索に時間を割いてしまったためにギリギリアウトからこれはもう遅刻確定間違い無しの時間になってしまった。

玄関框に置きっぱなしのスニーカーを履こうとしたところで動きが止まる。本日のコーディネートに合わないような気がしてきた……からではない。

「無い……」

足に馴染んだスニーカーが忽然と消えている。無意識にシューズボックスに収納したかとそちらを開けて仰天する。

スニーカー、ブーツ、サンダルといった他の靴類まで。所有している全てが無くなっていた。

「えっえっえっ?」

シューズボックスの蓋を閉めて、もう一度開けてみる。

見間違いではないようだ。

慌てて着替えたせいで左右別々の靴下になっているのにも気づかぬまま、むかえは愕然と立ち竦んだ。


『ざしき怪異保険』の契約者と会う約束の百目どうめ保険リサーチ調査員のたきはチェーンのコーヒーショップで時間を潰していた。

約束の時間は午後一時だったのだが、先方から遅刻する旨の連絡が入った。調査する場所は契約者の自宅なので帰宅を待つ他無い。資料整理などをしていると後ろのボックス席の会話が聞こえてきた。

「すごい!これ欲しかったんだ!本当に貰っていいの?」

声を弾ませた女性と。

「勿論だよ。きみに喜んでほしくてね」

猫撫で声の男性の二人組。

雰囲気的にカップルのようだ。

明るく染めたセミロングの髪をゆるく内側に巻いた女性は「でもこれ限定品だから……なんだか悪いわ」と傍から聞いていれば全く悪びれていない恐縮の言葉を述べる。だが男性は「とんでもない」と嬉しさを滲ませた声で否定する。

ーーふーん。こりゃ貢がされてるな。

PC画面に集中しているふりをして耳をそばだてているたきは素直な感想を心の中で呟いた。店内の他の客達も同様の感想だろう。

「奥さんにプレゼントするほうが喜ばれるんじゃない?」

「あいつはこういうの興味無いから価値が分からないんだよ。猫に小判ってやつだ。勿体無いね」

「豚に真珠って言わないのね。やっぱりあなた、優しい人だわ」

ーーおっと、こいつらそういう関係か。

後ろ暗い関係性を示唆するやり取り。サンドイッチを載せたトレイを片手にテーブルの横を通ったウェイトレスがチラッと二人に視線を向けたのをたきは見逃さなかった。店内のBGMがやけに大きく聞こえる。ボリュームが上げられたのかと思ったが、客の雑談の声量が下がったからだと気づいた。皆平然とした顔だが会話の行く末が気になっているらしい。

ただ、店内の関心を集める二人組だけは自分達の世界に没入しているようで、周囲の変化に頓着していないようだった。

最後まで成り行きを見守っていたかったが、待ち合わせ相手からのメッセージを受けて店を後にする。レジと店の出口は二人組の席の横を通らねばならなかったのでたきは細心の注意を払って通り抜けた。


アパートのチャイムを鳴らすとドア前で待ち構えていたのか解錠音も無く即座にドアが開けられた。

「お待たせしてしまってすみません」

申し訳無さそうに頭を下げる契約者はむかえさくという大学三年生。強面に分類される顔立ちの偉丈夫で、ダークスーツで決めれば身辺警護のスペシャリストのような風貌をしている。

「ご足労いただく立場なのにこっちの都合で遅くなってしまって、本当にすみません」

ペコペコと頭を下げるむかえには威圧感など感じられず、しょんぼりした大型犬のような印象を受けた。事前に写真で顔は知っていたがこうして対面すると年齢相応の若さが感じられる。

ーー僕も大学生を見て若いなぁと感じるようになったんだな。

と、妙な感慨に浸るたきだったが、仕事は忘れていない。

懐から名刺を取り出して、差し出す。

「初めまして。私は百目どうめ保険リサーチのたきと申します。この度はむかえ様がご契約されている『ざしき怪異保険』様の依頼によりお話を伺いに参りました」

むかえさくです。よろしくお願いします」

どうぞと促され玄関に入ると、たきは「おや?」と思いむかえに尋ねる。

「動物……ペットか何かを飼っていらっしゃいます?」

息遣いのような、動物の気配のようなものを感じた。このアパートはペット不可だったが、隠れて飼育しているのだろうか、と思ったものの即座に否定される。

「いえ。ここはペット不可なので。実家では昔飼っていましたけどね」

玄関からトイレ、浴室が並び、キッチンスペース、その奥が洋室。ロフト付きのワンルームタイプの部屋だった。

ローテーブルを挟んで早速本題に入る。

「今回は、家の中の物が勝手に消える……とのことでしたが、具体的にはどのような?できれば物が消えた日時と何が消えたのか、その後見つかったかを詳しくお話しいただけますか?後は原因に心当たりがあればお願いします。」

「日時……ですか」

眉を八の字にするむかえ

「正誤表を作るわけではないので憶えている限りで大丈夫ですよ。むかえさんがこのアパートに引っ越しされたのは大学入学の年の夏とお伺いしています。その頃から起こっていましたか?」

正確には一昨年の七月からの入居。保証人は親となっている。実家は電車で二時間ほどの場所にあり、家族構成は両親と姉。実家には両親が住んでおり、姉は就職を機に家を出ている。むかえ本人は入居後近隣トラブルもなく暮らしている。大学での成績は最上位でこそないものの優秀の部類に入り、出席率、授業態度共に問題無し。勤勉な学生であると言えよう。

事前に調べた情報を頭の中で反芻するたき

むかえは「はい、おれがこのアパートに入居してからすぐにありました」と頷いた。

「一限からの講義に出席予定だったので、スマホのアラームと目覚まし時計の両方をセットしていたんです。でもアラームは解錠されて、目覚まし時計も止まっていました。電池切れかと思ってカバーを外したらホルダーは空になっていて、部屋のどこにも乾電池が見当たらなかったんです。

それで時間をロスしてしまって急いで玄関に向かうと置いていた靴が全部消えていたんです。スニーカーだけじゃなくてサンダルとかも、外出するための履き物がまるっと全て。

流石に裸足や靴下で大学に行くわけには行かないでしょう。でも友達に『家の靴が全部無くなったから悪いけど調達してくれないか』なんて頼めないでしょう?だから講義は諦めて通販のお急ぎ便で注文しようとしていたら、玄関の方からコトンと小さな音がしたので見に行くと消え失せていた履き物が戻っているじゃありませんか。もうびっくりして我が目を疑いましたよ。それが最初でしたね」

「ちょっ、ちょっと待って下さい」

たきは口を挟んだ。

「それが最初ですか?」

「はい。その後も間隔はまちまちですが、履き物が消えて戻ってくるのは続いています」

「では、むかえさん、あなたはニ年近くもそんな現象と暮らしてきたんですか?」

「はい、まあ、そういうことになりますね」

「大らかな方とお見受けしますが、何故今になって?保険に加入されたのは一人暮らしを始められてからでしたよね?どうしてすぐに仰らなかったんです?」

わざわざ怪異保険に加入しているのだからすぐに問い合わせをすればいい話だ。二年も放っておいたのならば今更驚いたり怖がったりするだろうか。

「いやその……このぐらいで言っていいのかなぁ、と迷いまして。たとえばホラーだと呪いの品を手に入れて、だとか心霊スポットに肝試しに行って、だとかあるじゃないですか」

「確かに。肝試しとか面白半分にするもんじゃないですよ」

自身の経験からたきは深く頷いた。

「そうでしょう?それで次々と被害が拡大していって……みたいなパターンじゃないですか。でもおれの場合はおれの部屋の履き物が……いや時計の電池とか印鑑とか筆記用具とかの時もありますけど、おれの物が消えるだけ……いや消えるのも勿論困るんですけど、その後元の場所に戻ってくるし……って感じで重大性?深刻性?みたいなのがあまり無いんじゃないかなって。『ざしき怪異保険』は怪奇現象と判断されたら専門家を派遣してくれるって話ですけど、おれみたいな案件にプロを呼んでもらってもいいのかな、という葛藤があってですね」

「その必要性の判断をするために私のような調査員が居るんです。一例ですが、最初は大したことがなくとも長年かけてじわじわと苦しめてくるような案件もありました。取り返しがつかなくなる前にご相談して下さい」

良識のある人ほど「このくらいで相談するのは……」と二の足を踏んでしまうことが多い。早期発見早期解決が重要なのは相手が怪異であっても変わらない。

と、座っているたきの脇を何かがスルリと通る感覚があった。つられて目で追うも捉えきれない。

「……犬?」

なんとなくそんな気がした。

むかえはハッと驚いた顔になる。

「分かるんですか?」

「もしかして実家で飼っていらっしゃったのは小型犬、ですか?」

先ほど感じた息遣いや気配、動き方からしてそんな感じがする。

「チワワです。おれが高校の時に亡くなりました。でも、どうして?」

「もう一つお尋ねしますがーー」

そこでたきの問いは来客を告げるインターホンによって遮られる。むかえは「しまった!」という表情になりたきをぐいぐいとクローゼットへ押し遣る。

「どうしたんですか、むかえさん」

たきさんすみません!何も聞かずにちょっとその中に入っていて下さい!本当にすみません!」

「えっ、いや、ちょっと!?」

有無を言わせぬ勢いに圧されてクローゼットの中に閉じ込められる。なんだどうしたと思っていると玄関先で押し問答をしている気配。どうやらむかえが折れた形となったようだ。

はらさん、約束の時間はズラしてもらったはずだけど」

クローゼットのスリットから部屋の様子を見ていたたきは入ってきた人物を見て声を上げそうになった。

ーーあの女性、さっきの怪しげなカップルの片割れか!











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