第7話

たきが勤務する百目どうめ保険リサーチは保険会社から依頼をされた損害保険や生命保険に関する事実調査を行っている。保険の契約者と保険会社が双方誠実で約款通りに済めば調査会社など無用の長物。オフィスには電話のコール音の代わりに閑古鳥が鳴くだろう。しかしながら人と人とのやり取りでトラブルが生じない筈もなく。特に金銭絡みであるならば尚の事。

「お世話になります、百目どうめ保険リサーチです。○○保険会社様からの依頼により**様の診断書の件についてーー」

「はい、はい、では□月△日の十四時にーー」

そんな会話が職場のブースのあちこちから聞こえてくる。

たきはメールをチェックすると席を立ち、ホワイトボードの自分の名前欄に『外出』の札を貼る。同僚達の名前欄には同じように『外出』『出張』『五月病』の札が貼られている。

「なあ、この『五月病』って何?」

近くにいた同僚に訊ねる。余りの札でトランプタワーを建設中の彼は手を止めずに言う。

「『サボり』の符丁ですよ。最初は五月病に罹患したんで休みますって病休取ろうとして失敗したのが起源です」

「へえ。そんな歴史があったんだな」

「歴史は浅いです。作ったの、オレなんで。連休明けってやる気が出ないんですよね」

通りでせっせとトランプタワー建造に勤しんでいるわけだ。たきは軽く彼の後頭部を叩くと外に向かう。

「ちょっと出てくる。直帰になるかもしれないから訊かれたらそんな風に言っておいてくれ」

「了解でーす」

間延びした返事が帰ってくる。

ドアを閉める直前、たきは付け加えた。

「あと、その札磁石がついてるだろ。ズルいぞ」


駅前の大通りから一本入った所にたきが担当する保険会社のビルがあった。ワンフロアにつき一つのテナントが入っており、一階には喫茶店、二階には書店、三階には食器や生活用品を扱う雑貨店、五階には洋品店、六階にはクリニック。

そして四階に『ざしき怪異保険』が看板を掲げていた。

ーー何度見ても胡散臭い名前だ。

六階の『ひらさかクリニック』(院長・比良坂夜泉)と並んで怪しい響きである。

他の階とは違って人っ子一人居ないフロアは他所の喧騒も届かない。たきはネクタイを整えて自動ドアから入る。

「お世話になります。百目どうめ保険リサーチのたきです」 

「おお、たき君。ご苦労様」

口髭を蓄えた恰幅の良い中年紳士が労いの言葉をかける。霧吹きで観葉植物に水を与えていたつぐながまんりょうは『ざしき怪異保険』社長にしてこのビルのオーナーでもある。

「ゴールデンウィークはどうだったかね」

「いやあ、それが……」

「やあやあこれはこれはたき君じゃないか!久しぶりだね!いやいやそうでもないかな?まあどっちでもいいや!元気そうだね!」

百倍くらい元気そうな声が割って入る。つなぎ姿の童女がキャスター付きの椅子を器用に操縦して机や棚の合間を縦横無尽に動いていた。座面に完全に乗っている状態で右左折減速ブレーキまでお手の物だ。

「みくらさんこそお元気そうですね」

氷滝は鞄と一緒に提げていた紙袋を渡す。

「わあっ!お土産?ありがとう!お取り寄せするか迷っていたお菓子なんだよ!すごい!もしかしてエスパー!?」

「以前気になっていると仰っていましたから。連休中にその方面に行く用事があったもので」

椅子ごとクルクル回転して目を輝かせるみくら。お菓子を貰って喜ぶ姿は無邪気な子供そのものだったが、彼女こそ『ざしき怪異保険』の実権を担う人物であった。

「よし、まずはお茶にしよう!たき君はお茶とコーヒーと紅茶と台湾茶、どれがいい?遠慮は要らないよ社長がとびきり美味しいのを淹れてくれるからね!」

「はっはっは。任せたまえ。一階の喫茶店のマスターには及ぶまいが、日々の研鑽の成果をお見せしよう」

ナチュラルに社長を顎で使うみくら。褒められて満更でもなさそうなつぐなが社長はみくらから土産の袋を預かり、給湯スペースに向かう。

数分後、テーブルには薫り高い湯気が立ち上るコーヒーカップと土産の菓子が並べられていた。

「ん〜!美味しい!」

もぐもぐと咀嚼してパタパタと足を動かすみくら。

たき君に感謝だね!それでそれで?観光できた?地元の名物料理とか食べた?」

「いえ今回は観光ではなくてですねーー」

たきは休日中の出来事について語った。

一通り話し終えるとつぐなが社長は青い顔で慄く。

「どうして遺品整理からそんな事件に巻き込まれるのかね。いや座敷童子に脅されて怪異保険などという怪しげな会社を営んでいる私が言うのはアレだがお祓いしてもらったほうがいいのではないかね」

「なんだとー。いつボクが脅したって言うのさ。工事の重機をストップさせただけじゃないか。そもそもボクが先に住んでいたんだから、後からとやかく言われる筋合いは無いよ」

「くそぅ、駅チカマンションでも建てて不労所得を目論んでいたのに。相続する際に告知してほしかった……!」

「まあまあ。店子は皆繁盛してるから家賃収入はあるわけだし。それにボクも会社ってのに興味あったからやってみたかったんだよね。でも名義とか手続きとかややこしそうじゃない。だからボクは閃いた!出来る人に任せれば良いじゃないかと!適材適所!アウトソーシング!ビジネス用語ってよく分かんないけど使いたくなるよね!これぞWin-Winの関係ってやつだね!お陰様で業績好調右肩上がりの千客万来さ!いえーい!」

ノリと勢いで息つく間もなく言葉を紡ぐみくら。

家や人に憑き、富や幸福をもたらすとされる座敷童子。何の因果かこのビルを根城にしているみくらはビルのオーナーであるつぐなが社長との交渉の末に会社を設立させた。

怪異保険とは字の如く、通常では有り得ない異質で怪しげな物事に対する保険である。

幽霊が怨嗟を撒き散らし、妖怪が悪戯に化かし、神霊が祟る。そのようなトラブルに遭遇した際の備えを商品として扱っている。

「文明が発達しても幽霊や妖怪が居なくなる訳じゃないからね!寧ろ距離感をバグらせて禁忌を破ったりするのが増えてるよね!昔みたいに対処法を修めてる人は減ってるのにね!でも霊感商法はいつの時代もそれなりに流行ってるから不思議!」

勿論、契約者の全てが怪異に行き遭う訳では無い。勘違いや思い込みの場合も多々見受けられる。それらの真偽を判断する実地調査が必要になるのだが、『ざしき怪異保険』はつぐなが社長とみくらの二名のみ。みくらはともかくとして、つぐながは霊感を持たない。よって、外部の調査会社である百目どうめ保険リサーチに委託する形をとっている。

担当調査員のたきは調査依頼に基づいて津々浦々に出張し、本当に怪異が関係している案件か否かを判別する。ハズレもあるが、当然アタリもある。その場合は『ざしき怪異保険』と契約を結んでいる霊能者(人外不問)を現地へ派遣。対処に当たる。

「霊障に殺されそうな人に保険金を支払ったところで香典と思われて泣かせちゃうからね!お金にがめついお化けなら御札の代わりにお札を貼っても効果あるかもしれないけど!」

とはみくらの弁。

偽物や紛い物が混在する業界で、正真正銘の霊能者を派遣するのはかなりの優良企業であるとたきは思っている。これが詐欺紛いの会社であれば片棒を担ぐ羽目になるので担当から外してもらえるよう上司に直訴するところだが、契約履行は真っ当なので今のところは良い関係を築けている。

ーー危険手当もつくしな。

勤め人であるたきにとっては重要なポイントだった。

喋り過ぎて喉が乾いたのか、みくらはコーヒーを一気飲みすると「それでだねたき君」と不思議そうな表情で言った。

「確かに大変だったね!お疲れ様!でもその話、物凄くふわっとしてやしないかい?ボクは疑義を呈さずにはいられない!堅実で綿密な仕事をする君にしては珍しいね!お土産を買ってる場合じゃなかったろうに!美味しくいただいたボクが言えることじゃないけどね!」

指摘されるだろうとは予想していたが、案の定斬り込んできた。

「まあ、プライベートでしたからね」

苦笑するたき

「はて、どういうことだね?追いかけてくる影の群れとか絞殺する日本人形とか年を取らない青年とか恐ろしげなものが盛り沢山だったじゃないか」

つぐなが社長はたきの話に疑問を持たなかったようで、どこがおかしいのかと首をひねる。

みくらは「どういうこともなにも」と人差し指をピンと立てた。

「全部が全部、怪異の仕業じゃなさそうって話さ。だって死体が出ているんだもの!これはちょっとおかしいぞ」








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