第6話

「屋敷そのものが幽霊……ですか?ではこの部屋や調度品も全て幽霊?」

にわかには信じられない。座り直して確かめる。畳も座布団も座卓も確かにここにある。触ることが出来るし、質感も妙なところは無い。

「見えるし触れる。どこに違いがあると言うんです」

「そうでしょう。僕も最初は驚きました」

訝るたきに共感するように頷くあやくら

「ここは元々坂ではありませんでした。土地を購入した方が土を盛って小高くしてから屋敷を建てた。けれども程無くして火事に見舞われて焼失しました。使用人含めて一家全員が死亡。延焼を免れたのは敷地を囲む塀と門だけだったそうです」

これだけなら不幸があった土地で済むんですけどね、と口の端を微かに上げる。

「更地同然、しかも死者が出たとなれば早々に次の買い手はつきません。暫く放置されていたらしいのですが、ある時から『屋敷が戻って来た』という噂が流れます。焼け残りから金目の物を探そうとした人達が居たんでしょうね。いざ門を潜ると消失前と変わらぬ屋敷の姿があり、使用人と思しき声が『何の御用でしょう』と問い掛けてきた。あまりに黒い人影だったので目を凝らすと焼け焦げて影絵のようになった人間の姿だった……という具合です。坂を転げて逃げ帰った者達の怯えようは凄まじく、恐怖に駆られて町を出て行方知れずになった人もいた」

「それ、は……」

「ええ。かげむしの原型ですね。初めは問い掛けをする程度の知性は残っていたようです。行方知れず云々は連れて行かれたんでしょうね」

「そうやって数を増やしていたのか……昔祖父が言ってたんです。『中に入ったら駄目だった。覗いていても危なかった』と。あの時僕らは門が開けられなくて塀も登れなかったから諦めて帰るしかなかった」

ふと、疑問が浮かぶ。

「そう、僕たちは敷地内に入ることも覗くこともしていない。それなのにどうして他の子供達は……」

亡くなっているのか。

「他の子達はのでしょうね。やんちゃ盛りの年の子でしょう。たきさんとは違って地元の子ですからチャンスは何度もあった。最初に躓いた分、リベンジに燃えたでしょう。梯子くらい調達したかもしれませんね」

「……」

たきはもう何も言えなかった。


沈黙を破ったのは、カタカタカタカタ……という音。今度は座卓だけではなく部屋全体が揺れている。たきはギョッとして未だ隣に座っている日本人形の方を向く。あやくらは人形ではなく門のある方向へ首を巡らせる。

途端。

ザアッ、と。

雪を伴った一陣の風が重くなった空気を一掃するように吹き込んで来た。突風に腕で顔を覆う。

かがり!」

「うわっ」

押し倒される。

座っていられない程の強風をまともに受けたからではなく、吹雪を纏った闖入者に、である。

「無事だったか!」

雪をも欺く白い肌。顔立ちは言うまでもなく美しく、少し険のある眦に心配と安堵の色がさしている。覆い被さる体勢から甘く薫る長い髪がたきの頬や首筋をくすぐる。

りっ?君、どうしてここに?」

「メッセージに既読もつかん。電話も出らん。お主の身に何かあったのではと居ても立っても居られなんだ」

妻、りったきを強く抱擁する。柔らかな身体はひんやりと冷たい。

「飛行機の距離だが、どうやってここまで?」

最終便もとっくに終わっている時間だ。移動手段を尋ねると「風に乗って駆けてきたに決まっておろう」と当然のように言ってのけた。

「駆けつけて正解だったわ。そこな人形に大切な旦那様を盗られてはたまらん」

凍てつくような眼差しで日本人形を睨めつける。人形は変わらず無表情のままだが二者の間で火花が散ったような気がした。

たきさん、そちらの方は」

人形に見せつけるようにたきを抱き締めていたりっだったが、あやくらの存在に気づくと流麗な所作で三つ指をついた。 

「私はこの者の妻、りっと申します。この度は夫がお世話になりましたようでまことにありがとうございます」

「奥様ですか。失礼を承知でお訊ねしますが、たきさんはご存知で?」

言い回しに配慮が感じられる問い。たきは妻と視線を交わして頷く。

「彼女が雪女であることは承知してますよ」

雪女。

雪娘や雪女郎とも呼ばれる雪の妖怪。古くは室町時代の伝承にも現れ、鳥山石燕の画図百鬼夜行や小泉八雲の怪談にも登場する。日本人ならばその名を一度は耳にしたことくらいはあるのではなかろうか。

たきは縁あって雪女を妻に迎え、授かった娘は元気に小学校に通っている。

怪異の存在を受け容れているのも配偶者の影響が大きかった。

「仕事柄、そういうものと接点が多いので、幽霊や妖怪が有り得ないとは思っていませんよ」

「それならもっと危機意識を持て」

妻がやれやれと溜息を吐く。

「仕事でもないのに常に気を張っていては疲れてしまうだろう」

「一歩間違えば憑かれて死ぬがな。今回は偶々助けて貰えただけであろう」

痛いところを突かれる。

「それについては……返す言葉もない」

「それにお主は目を離すとすぐに気に入られていたりするからな。我らは人間と違って一夫一妻制の決まりなど無い故くれぐれも肝に銘じておけ。まったく、私がついていれば人形の出る幕など有りはしなかったのに」

苦々しげに美しい顔を歪める。迫力に気圧されつつもたきは両者の間に割って入る。

「君たち初対面だよな?敵意を剥き出しにし過ぎじゃないか?それにその人形はこちらの方の妹さんで恩人なわけだし……」 

「だからこそだ。まさかとは思うがかがりよ。約束事などしてはおらんだろうな?」

「あー……うん」

「目を逸らすな。してはおらんだろうな?」

恩返しは約束に入るのだろうかとドキドキしていると助け舟が出された。

「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。妹は情が強いところがありますけれど、人様の家庭を壊して略奪まではしませんから。……多分」

最後の一言で助け舟が泥舟に早変わりした感がないでもないが、素直に信じておくことにする。


娘を留守番させたままだと言うのでりっは一足先に帰宅した。たきも連れて帰りたがったが祖父母宅の割れた硝子の処理もしなければならないと断った。

そうこうしている内に朝陽が町を照らし始める。屋敷の門の外は舗装の粗い道が下へと続いているばかりで文字通り影も形も無かった。

「そう言えば、たきさん。ご職業は何を?もしかしてご同業ですかね?」

帰り際、あやくらが質問する。

「とんでもない。僕は少しばかり霊感がある程度の人間です。怪異をどうこうする力はありませんよ」

たきは名刺を出そうとしたが、そもそも取るものもとりあえず飛び出して来た身だ。気恥ずかしくなって頭を掻く。

「僕は保険調査員です。主に怪異保険会社からの依頼であちこち飛び回っているんですよ。今回はプライベートでしたが、仕事でご縁があれば何卒よろしくお願いいたします」















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