第5話

灯籠の明りが照らす前庭は昼間とは随分趣を変えていた。陰影を濃くしたイロハモミジは提灯持ちが並んでいるかのようだった。

そして、たきの後ろに立つ青年。

黒の紬で悠然と夜の庭に佇むさまは堂に入っている。

あやくら、さん……?」

たきの口から己の名が出るのが意外だったのか「おや。ご存知でしたか。いや、誰かから聞いたのかな」と言った。

あまりにのんびりとした反応にたきは門を指差す。

「夜分に押しかけて申し訳ないが、あの、影のようなもの……あれは何なんだ!?家に大勢集まっていて、追いかけてきたんだ!」

人のような形をしながらも虫のような動きで追いすがってきたものたち。

門を隔てた向こう側にはどれほどひしめき合っていることだろう。門が破られるかもしれないと嫌な想像が働き、気が焦る。

しかしあやくらはどこ吹く風という顔。

「まあまあ。落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか!?大群引き連れてきた僕が言うことじゃないが、あんたも危険かもしれないんだぞ!?」

「そうですねえ」

「『そうですねえ』じゃなくてだな!?」

危機感欠如甚だしい返答に泡を食うたき。もしやこの男は既におかしいのではーーと眼前の青年に対して内心で嫌な汗をかく。怪異も怖ろしいが狂人も危険だ。

それらが顔に出ていたのだろう。あやくらはフフッと小さく笑う。

「大丈夫ですって。捕まらずにここに逃げ込めた時点でたきさんの勝ちです。安心していいですよ」

「いや全く安心できないんだが。あれが朝日に弱くて朝まで籠城すれば助かるとかなのか?」

「いえ特に日光に弱いわけではありませんよ。昼夜問わず徘徊してますし。夜のほうが活発かな?程度のものです」

「虫みたいだな」

「その通り。だからかげむしって呼んでるんですけどね。まあ、蟲は蟲ですから駆除すればいいだけで」

そこで言葉を区切るとあやくらは門を指差す。たきが指した時よりも少し上の場所、屋根瓦が葺かれているところだった。

小さな人影があった。

明かりの届かぬ暗がりにあってもそれのかたちが分かる。それ自身が薄青く発光しているかのようだった。

花車の豪奢な着物を纏った人形が門の上に鎮座していた。後ろ姿故に顔は見えぬが祖父母の家の床下に納められていた日本人形に相違無い。しかし、あの人形は髪が長く、結い上げずに垂らしていた。何故着物の柄が判別できたのかというと、答えは瞭然。

ぬばたまの髪が身の丈を超えて滝のように伸びており、幾つもの束に分かれて門の外へと溢れているからであった。よってたきには人形の背の蝶文庫まで見えていた。

そして。

目線が上に移動したことにより、見上げる形となった門の上の空。その光景を一幅の絵画として切り取り、タイトルを付けるならば。


“影法師の絞首刑”


人型の影が七夕の短冊のように吊り下がっていた。正確には人形の髪によって吊り上げられている。影たちは四肢を暴れされてジタバタと苦しげにもがくも拘束を振り解くことは叶わず、動かせていた手足にも髪が絡み付き、足掻くことすら許されなくなる。

ーーまるでさっきの僕みたいだな。

影の手と髪の違いはあれどそれは再演だった。

たきと目の前のかげむしとの決定的な違いは次の瞬間。

万力のようにかげむしを締め上げた髪は縊るだけでは飽き足らず、餅や大福を糸で切るように千切った。五体をバラバラにされたかげむしの破片は地に落ちる前に溶けて消えた。

絶句するたき

「ね?大丈夫だったでしょう?」

涼しい顔でそんなことを言うあやくらたきに手を差し出す。

「ひとまず家の中にどうぞ。硝子とか踏んでいなければいいのですが」

そこでようやくたきは裸足の足の裏がズキズキと痛むのに気がついた。


幸い軽い擦り傷と切り傷くらいで大したことはなかった。水場を借りて泥を落とし、消毒すれば処置終了。

「古い釘とか刺さっていなくてよかったですね。昔は破傷風になる人が多くて」

医療も発達してなくて大変だったんですよ、と続ける。

「北里さんには感謝ですね」

北里さんとは細菌学者の北里柴三郎氏のことか?とたきは思ったが、口には出さなかった。明治時代の偉人よりも優先して話すべきことがある。

客間に通され、黒檀の座卓を挟んで座ったたきは居住まいを正して頭を下げる。

「まずは夜分に申し訳ありませんでした。それと、助けていただいてありがとうございます」

「いえいえ。たきさんの運が良かっただけですよ。普通は一度捕まったら逃げられませんから」

「縁側の硝子戸をぶち破って転がり出ました。空き巣に這入られないといいんですが……まあ、這入られたところで盗られる物もありませんけどね。無我夢中で走ってお宅にお邪魔しましたが、門が開いていて本当に助かりました。普通、夜間は閉めておくものだと思うのですが……」

「ええ。いつもは閉めますが、妹がうるさくて」

「妹さん?が、居られるので?」

浮世離れした様子から一人暮らしと推察していたが、同居人が居たのかと素直に驚く。

ふと、右手にさらさらした感触があたった。

「うわっ!?」

思わず大声を上げる。右手側にはたきに寄り添うように日本人形が座っていた。さらさらとした手触りは人形の髪と着物であったらしい。

「おやいつの間に。たきさん、そちらが妹です」

「これが!?失敬、こちらが妹さん!?どう見ても……」

人形じゃないか、という言葉は呑み込んだ。やはりこの男、狂人であったか。

「仰りたいことは分かりますよ。いや僕も人形を妹のように思っているとかではありませんよ?」

目は口ほどに物を言う。たきの反応を過不足無く汲み取ったあやくらはパタパタと左手を顔の前で振る。

「妹は既に亡くなって、遺体も何処かにある筈です。身体は動けないようですが、魂はその人形に宿ってるんです……いや本当ですって。滅茶苦茶疑ってる顔じゃないですか」

「いや、その……失礼」

たきはバツが悪そうに頭を掻く。

「僕も仕事柄、そういう分野に触れる機会が多いんです。先刻、襲われたばかりですしね。世の理から外れたと言っては大袈裟だが、怪異が存在するのも知っています。有り得ないと言うつもりはありません。ありませんが……」

「どうしてご自身が狙われたのか、ですか?」

「いやそれは何となく分かっています。きっとガキの頃に肝試しでここを訪れたからでしょう。その時も妙な影がついてきたのを見たんです。だからまあ、自業自得ではあるんですが」

「成程。では何が気がかりなのでしょう?」

「今回のはこれで終わりなんですかね?明日僕が町を出て我が家に戻ったとして、ずっとついてくるものでしょうか?僕には家族が……妻と娘が居るので彼女達に障りがあると非常に困ります」

自分のせいで家族にまで累が及ぶとなれば対抗策を講じなければならない。

あやくらの返答はしかして妹と呼ぶ人形に対してのものだった。

「残念でしたね。奥様がいらっしゃるそうですよ」

「……」

人形は無言だった。

その代わり、誰も触れていない黒檀の座卓がカタカタカタカタ……と揺れる。たきは倒れそうになる湯呑を慌てて持ち上げた。

「駄々を捏ねられても」

「だ、駄々?」

人形は変わらず澄まし顔。

「妹はどうやらたきさんを気に入ったようでして。今夜門を開けておいたのも妹が待つと言って聞かなかったからなのですよ」

トントンと宥めるように座卓を叩く。するとあやくらの前に置かれていた湯呑がひとりでに浮き上がり、眉間に激突した。

「うわっ」

クリティカルヒット。見ていたたきのほうが痛そうに顔を顰めて声を上げた。

湯呑はあやくらを攻撃した後、見えない糸に操られるように茶托へと戻った。

「すぐに手が出るのは悪い癖ですよ。すみません、少々お転婆な妹なんです」

眉間を押さえていた手を外し、やれやれと嘆息する。

「すごい音がしたが、大丈夫ですか?」

「痛いは痛いですけど、慣れてますから」

たきはあらためて傍らの人形を見るが、身じろぎ一つしていない。だが、この人形の仕業だろうという確信があった。髪を伸ばして影の怪異を縊り殺したくらいだ。ポルターガイストを引き起こす程度は朝飯前だろう。

「話を戻しますね。結論から言いますと心配は無用です。妹がずっと蟲除けの役割をしていたわけですが、それが無くなって集結したところを一網打尽に駆除出来たので、これ以上ついてくるようなものはありませんよ」

「じゃあ二十年近くも床下に居てくれていたんですか?そんなことをさせてしまって怒っているんじゃ……」

決して快適空間ではなかっただろう。暗い床下に何年もとは。自分がその立場だったら気が狂いそうだ。

「勿論了承は得ましたよ。というよりかなり乗り気でしたね。たきさんのお祖父様が妹のタイプだったようでして……」

後半につれて声が小さくなり、苦笑いするあやくら。記憶の中の祖父の顔を思い出す。キリッとした男前で、女性に相当な人気だったと祖母が言っていたような……と回顧するたき

「まあ、嫌になったら自分で勝手に出ていきますからね」

「そ、そうですか……」

納得するしか無い。

たきは丁重に人形を抱えて礼を述べる。

「お陰様で助かりました。僕には妻と娘が居るので申し訳ありませんがお気持ちには応えられません。ですが助けていただいた恩は何かの形で必ずお返ししたいと思います」

理由はどうあれ助けて貰った事実に変わりはない。

人形をそっと座らせる。

「では、あらためてお礼に伺います」

そう言って腰を浮かせる。足の痛みはすっかり引いていた。

「おや。夜明けまでゆっくりなさってください」

「ありがとうございます。しかし、ここにいるとあれこれ詮索してしまいたくなる。助けていただいた上に立ち入ったこと訊くのは失礼でしょう。例えばあやくらさん、あなたは二十年近く前に僕と会っている。あなたの外見はその時から全く変わりが無い。若く見えるというレベルではなく、変化が無いんです。子供が大人になる程度の年月を経ても何一つ変わらないのは尋常なことではないでしょう」

人にはそれぞれ事情がある。 

仕事でもないのに根掘り葉掘り暴くのは完全なる好奇心に基づいた行動だ。そして好奇心は猫を殺す。たきはまだ死ぬわけにはいかないので一線を越えるような迂闊な真似はしない。

「ああ、僕のことですか?隠すような話でもありませんが、面白味もありませんからね」

しかし、こちらが引いた一線が防波堤になるか否かは相手次第と言う他ない。

気付かずに、或いは確信犯的に飛び越えて来る場合も往々にしてある。

「そんなことより」

青年は果たしてどちらなのか。

「僕なんかよりも余程、この屋敷のほうが面白い。たまに誰かに自慢したくなるんですよね。ここ、幽霊屋敷と呼ばれているでしょう?でも少し違うんです」

秘密基地を自慢する子供のような無邪気な笑顔で語る青年。

「屋敷そのものが幽霊なんですよ」
















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