第3話

坂を駆け下り、肩で息をするたき。息を整えるうちに頭も冷える。何も逃げることはなかったかもしれないと冷静に考える。

「実年齢より若く見えたり、年を取らない顔立ちってあるもんな」

あの青年には当てはまらない気がするが、自分の中で理屈をつける。危害を加えられたわけでもない。

「あの屋敷に住んでるだけで色眼鏡をかけてしまっていたのかもしれん」

悪いことをしたな……と少し罪悪感すら覚えていた。心がモヤモヤしたまま帰るとますます沈みそうな気がしたのでついでに買い出しに行く。

コンビニでカゴに商品を入れ、レジに向かう。暇そうにしていた店員が「っしゃいませ〜」と気の抜けた接客をする。

「ダンナ、ここらじゃ見ない顔だね。仕事かい?それとも観光?」

一筆書きで描けそうな顔の店員が気安い調子で話しかけてきた。

「いや、ええ、まあ」

「歯切れ悪いな。もしかして……これかい?」

ニヤリと五本の指を立てる。たきは内心で「どれだよ」とツッコミを入れた。

店員はヒヒヒと笑い「まあ金さえ落としてくれればお客様々だ。詮索はしませんよっと」レジ袋に手早く商品を詰める。

と、店の自動ドアが来客を知らせるメロディを鳴らす。

「ただいまー」

「ただいま」

小学生くらいの男女二人組が店に入って来た。

ーーこの店の子供か?

家族経営のフランチャイズも珍しくない。そう思っていると店員が子供達に返事をした。

「おう。おかえり。気をつけて帰んな」

「うん」

「じゃあねー」

子供らは頷いて店を出て行った。

ひらひらと手を振っている店員にたきは訊いた。

「今のは?」

「ああ、まじないみたいなものなんだわ」

「まじない?」

ますます分からない。

店員はわざとらしく大袈裟に店内を見渡して(他に客は居ない)内緒話をするように声を低める。

「大きな声じゃ言えないがね、この町じゃに遭ったら寄り道してから帰るようになってるんだ。オレも流しのバイトで余所者だから詳しいことは知らないが、に遭って真っ直ぐ帰るとんだと。だからさっきみたいに全然関係無い店なんかに入って、家に帰ったフリをするんだ」

「何でまた、そんな妙なことを。それにって何なんだ?」

「さてねえ。オレも見たことないからさ。子供がよく見るって聞くけど大人でも見たって言う人は言うしなあ。まあ、良いもんでもないんだろ」

「それがついてきたらどうなるんだ?」

「どうなるって、そりゃ連れてかれるさ。何も無いならまじないなんかしないだろ。二十年近く前は立て続けだったらしいぜ。それで町の人間は坂の上にを呼んだって話だ。まったく、わざわざあんなのを呼ぶなんてよっぽどだったんだろうな」

「坂の上?坂の上ってあそこか。町外れの行き止まりの幽霊屋敷」

たきが言うと店員はたちどころに青くなった。

「だ、ダンナ……ご存知なんで?」

「幽霊屋敷の坂の下が祖父母の家だ。もう誰も居なくなったんで荷物やらの整理に来てるんだ」

「先に言ってくれりゃあいいのに。人が悪いぜ」

「先に言うもんでもないだろう、そんなの」

「じゃ、じゃあとも知り合いで?」

「坂の上に住んでる人のことか?さっき久しぶりに会ったんだが以前見た時と全く変りないように思えた。そっちこそ知り合いなのか?」

店員は「さてねえ」とはぐらかす。顔を青褪めさせるくらいなのだから訳知りだろうに。

たきはレジ横に山と積まれていたドリンクを一本追加する。

「これで口の滑りが良くなるといいんだが」

店員はパチパチと目を瞬かせると「これは滅茶苦茶不味いんだ。甘酸っぱ苦くてエグみが後を引く。うがいしても口の中が一日中不味くなる。新し物好きの店長が発注をミスってね」と言った。 

そして、親指で煙草が並ぶ棚を指した。

「仙人みたいにお上品じゃないがね。オレは煙がいいや」


夜、たきは家の二階の和室に居た。

仰向けになって考えるのはコンビニの店員から聞いた話だった。

「まさか四人全員とはな」

たきが同行した肝試しのメンバーのその後。

一人は自宅の窓からの転落。

一人は道路に飛び出して自動車と衝突。

一人は神社の階段で足を滑らせた。

一人は貯水池を囲むフェンス上の有刺鉄線で縊首。

状況はそれぞれ異なるが全員が亡くなっていた。自動車との事故の目撃者の証言によれば「何かに追われて必死で逃げているようだった」らしい。聞きかじりの情報であるし、今となっては真偽は不明だ。

頻繁に行き来していたとはいえ、たきはこの町に住んでいたわけでは無い。しかも当時はまだ子供だ。祖父母をはじめ、周囲の人間も不安を煽るような話をわざわざ教えようとは思わないだろう。

、か……」

蘇る在りし日の祖母の言葉と剣幕。

ーー「この子は!坂の上に行ったんでしょう!影がついてきてるよ!」

首をもげそうなくらい振り乱し、関節を引き千切るようにめちゃくちゃな動きをする奇怪な影。

あれが、なのか?

あの時町の何処かへ逃げて行ったあれが未だに彷徨っているのだとしたら。

「坂の上の住人も、奇妙だ」

の話よりも数段口が重くなったコンビニ店員は「絶対にオレから聞いたってバラさないでくださいよ」と念押ししてきた。

青年の名はあやくらしずと言うらしい。まじない師を生業として津々浦々を行脚しているが、二十年程前にこの町に越して来た。以来、かつての幽霊屋敷の主となっているらしい。

今日初めて門の内側に入ったが、正直拍子抜けした。

「死体が見つかったなんて信じられないくらいこざっぱりしていたな」

さてはまじない師らしくお祓いや祈祷でもしたのか。

「まあ、明日には帰るんだ。色々考えたって仕方が無い」

もう寝てしまおうか……と欠伸したところでスマホに着信。娘のふうからだった。

『あ、パパ?』

ふうか。どうした?」

小学生の娘は『んーん、わたしはどうもしてないんだけどさ、ママが電話しろって。ねーママ、パパだよ』と近くに居るのであろう妻を呼ぶ。

『おうかがりか。どうした?』

電話口の声が妻に替わる。

「いや、僕はどうもしてないんだが」

『いやなに、一人で寂しかろうと思ってな。娘と妻の声を聞けば癒やされよう』

『寂しいのはママのほうでしょ〜ムググ』

『お主が一人で充分だと言うからついて行かなかったが、人手はあったほうが良かったのではないか?』

「平気だよ。もう殆ど終わらせたし。明日にでも戻れそうだ。それにこっちには布団も無いし、目ぼしい観光地も無い。一緒に来ていたとしたら君もふうも退屈するだろう」

『まさか遊ぶために同行するとでも思っているのか』

呆れた声。呆れた顔が目に浮かぶようだ。

「すまない。そういう意味で言ったんじゃないんだ。ただ、この町は少しばかり妙なところがあるから」

『妙なところ?かがり、そんなことは一言も言っておらんかったろ。お主の祖父母が住んでいたとしか……』

「ああ。間違いなく住んでいたんだが、ちょっとな。実はーー」

心の片隅に不安があったのだろう。家族の声でホッとしたたきは幽霊屋敷と呼ばれていた坂の上の家のこと、その家の住人から祖父母が借りていた日本人形のこと、という正体不明のもの、それに対するまじない……。

そして子供の頃の肝試しとその後に至るまで。

一通り話し終えると、電話の向こうから長い長い長い溜め息が聞こえる。

かがり……よくもまあ、そんな場所にノコノコと一人で……』

「そんな場所だからこそ君やふうを連れて行きたくなかったんだ。昔の話だ、とも思っていたがどうも違うらしい」

『何を呑気な。今からでも遅くない。人形を返した家の者に世話になれ。私はとやらを目にしておらんゆえ正確なところは分かりかねるが良くないものであるのは明らかだ。まったく、どうして祖父殿の言いつけを守らなんだ』

「心配してくれるのは有り難いが、一晩くらいどうにかなるさ」

今にも駆けつけんばかりの妻にたきは敢えて楽観的な発言をした。たきは多少の霊感こそあれ、封じたり祓ったりするような霊能力者ではない。怪異に対抗する手段を有しないのならば身を低くしてやり過ごすのみだ。

「こっちに引っ越すともなれば色々と調べて回っただろうがね。仕事でもないんだ。探偵の真似事なんかしないさ」

それから二言三言交わして電話を切った。

明日は早目に起床して作業を終わらせようーーなどと考える内に日中の疲れが追いついてきて微睡みを誘う。寝袋に包まるのも億劫だ。畳の上に転がったまま、重たくなった瞼を閉じる。


それは地を這っていた。 

住宅街のコンクリート塀の上で丸まっていた猫がピンと耳をそばだてる。

街灯が照らす無人の道。

暗がりから光へ、光から暗がりへ。

頭がある。胴体と手足がある。けれどもあるのは地面のシミのような影ばかり。人のシルエットをしているが、手足の蠢きは虫の這いずりに酷似していた。

猫は塀の上から目だけでそれを追っていたが、すぐに興味を失った様子で再度丸くなる。この町で暮らす猫達にとっては珍しくもない光景だった。

と呼ばれるそれはこの町を這い廻り続けていた。

あと、一人。

町全ての道を這うにも決して近寄れぬ場所があった。知能を有せずとも本能が忌避するそこは長らく手出しできなかった。

しかし、今夜は。

十字路の向こうからも、細い細い路地からも。あちらこちらから同じような影が合流して数を増やしていく。

蠢くものたちはぞろぞろと坂のふもとを目指していた。









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