第2話

「よっ……と」

5月の大型連休。

たきかがりは仕事の休みを利用して祖父母の家の整理をしていた。

昨年末にこの家の主である祖父が逝去した。各種手続き等に奔走する内に春を迎え、初夏のこの頃になって漸く遺品整理に着手する運びとなった。

坂の多いこの町を訪れたのは久方ぶりで、最後に来た時から二十年近く経っている。中心部は再開発で新しくなり、駅併設の大型商業施設は増築されて複雑になっている。その部分だけを切り取れば繁華な都市を模したよう。しかし百貨店の屋上遊園地は閉鎖され、シャッターが下りている店も少なくない。空き店舗なのはマシな方で、店の面影も消えて『売地』と記された看板が立っている場所も目立つ。

汗を拭って小休止。祖母が他界してから計画的に身辺整理を行っていたようで、家には最低限の物しか残っていなかった。

仔細が纏められたエンディングノートにしたがって進めていたが、首を傾げずにはいられない一文があった。

『家の整理が終わったら、最後に床下のものを坂の上に返すこと』

これである。

「もう少し具体的に書いといてほしかったなぁ」

家は二階建て。床下と言うくらいなので一階の可能性が高い。一階には茶の間と客室、台所にトイレと風呂がある。

「もの、と言っても大きさが分からん」

大きく嵩張るものなのか、はたまた御札のように薄いのか。畳を外さなければならないのなら大仕事だ。

「それは最後の手段として、探しやすい場所から見ていくか」

それにしても坂の上に返すこと、とはどのような意味だろう。坂の上とはまず間違いなくあの屋敷のことだろう。そこの住人から何かを借り受けていたのか。しかも自分の死後に返却とは。

「台所なら床下収納があった筈だ」

梅仕事が得意だった祖母が梅酒や梅シロップを貯蔵していた記憶がおぼろげにある。

記憶は当たり、取っ手を引いてゆっくりと持ち上げる。

「うわっ!?」

小さな子供が座っているように見えた。

ぬばたまの長い髪を垂らし、俯いている。

ガラスケースに収められたそれは日本人形だった。

「な、何でこんな人形がこんな場所に……?」

慎重にケースを引き上げる。黒地に花車の着物を着付けた豪奢な日本人形。面は白く唇には紅を差している。足袋に包まれた小さな足を投げ出している様は今にも動き出しそうに思わせる。

置物として飾るならともかく、床下に眠らせておくような代物ではないだろう。

「これを借りてたのか?」

何のために?

しげしげと眺めてみても素人目にはただの人形にしか見えない。

「理由はとんと分からんが、返すのはきっとこれだろう」

借り物ならば返却は早いうちが良い。たきは嵌めていた軍手を取ると手土産を買いに出掛けた。


菓子折りと人形が収められたガラスケースを抱えて坂を上る。車一台通れるかどうかの道幅や舗装の粗さは記憶の通り。

間違っても躓いて人形を落としてしまわぬよう歩く。

「在宅ならいいが……」

突然の訪問は迷惑だろうが、生憎電話番号すら知らない。無礼を承知で押し掛けるしかないが……。

そこでふと、気づく。

住人が変わっていたりしないだろうか、と。

いつ借りたのか、誰から借りたのかを書いていなかった。屋敷の住人で思い出すのはかつての青年の姿だが、もう二十年近く前の話だ。健在ならばそれなりの年齢になっているだろう。

「健在ならーーか」

今でも幽霊屋敷と呼ばれているのだろうか。

視線を地面に落とす。

荷物を抱えた一人の男のシルエットがあるのみ。

ゆるゆると息を吐き出す。

確かめるまでもないだろうに。

「引っ越してる可能性もあるが、そん時はそん時だ」


うねる長坂の終わりに門が待っていた。

時経て更に朽ちているかと思いきや、ひび割れた瓦や剥落した漆喰はそのまま。修繕もされていなければ劣化もしていない。

「……開いてる」

玄関までの道案内をするように並んで植えられたイロハモミジが青々としている。背の低い灯籠は昼寝中のようだった。飛び石もきれいで掃き清められている。雑草が蔓延り荒廃した敷地を想像していたのでギャップに面喰らう。

門にはインターホンが設置されていなかったので、どう訪いを入れたものかと逡巡する。玄関で呼べばいいのだろうか。開いているとはいえ他所様の家の敷地に入るのは少し躊躇われる。

けれどもここでうろついているのも不審だ。人形の入ったガラスケースもずっと持っているせいか腕が重い。不心得者ではありませんよ……と心中で呟いてから敷居を跨いだ。

「デカいな……」

予想以上に広い。外からだと塀の途中から木々に囲まれて隠れていたが、かなりの坪数だ。母屋とは別に石蔵や納屋らしき建物もある。

玄関にも呼び鈴は無い。四枚建ての格子戸を軽くノックしてみる。

「ごめんくださーい」

数秒待ってみるも応えが無い。

「留守かな?」

試しにそっと指を掛けて横に引いてみる。

「鍵もかかっていないのか」

無用心な……と思いつつ、自分が入れる幅まで開けて外から再度声をかける。

「すみませーん、どなたかいらっしゃいますか?」

耳を澄ませるも人の気配は無さそうだ。

「出直すか……」

アポ無し故仕方無い、と下がろうとしたところで背後から肩をポンと叩かれる。

「うわっ!?」

文字通り飛び上がって、危うくガラスケースを落とすところだった。すんでのところで体勢を立て直す。

ほう、と安堵の息をつく。

「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが」

済まなさそうな声の主にたきは振り返る。

「いえこちらこそ突然押し掛けて申し訳ありません。僕は坂の下にある家の者の縁者でして……」

言いかけて言葉が止まった。

驚愕のあまり喉が硬直し、短く息を呑む。

七分袖のジャケットにパンツというどこにでもいそうな服装の青年。平均身長よりも幾ばくか高いたきが見上げる程の長身。涼しげな目を細めた顔は間違いなく。

「あ、あんた……」

酸欠の金魚のようにパクパクと口を開閉するたきの顔を不思議そうに観察した青年は「ああ」と得心がいった様子でポンと手を打つ。

「あの時の。いやあ、久しぶりですね」

「久しぶりって……」

青年の反応からして、他人の空似ではないようだ。

たきの抱えるガラスケースに目を遣ると「こちらも久方ぶりですね。変りないようで」と懐かしむようなことを言う。

「返しに来てくれたんですか」

「あ、ああ……祖父から、祖父が亡くなったら返すよう託けがあったんだ。あんたの、いや、失礼。あなたのだったんですか」

「ええ。僕がお貸ししていた子です。ああそうでした。この度は御愁傷様でした」

頭を下げる青年にたきは「いえ、大往生だったので」と言った。

「それでその、こちらをお返ししたいのですが」

ガラスケースを差し出す。いい加減腕の感覚がなくなりかけていた。だが、青年は受け取ろうとはせず「失礼ですが、整理などは全てお済みになられましたか。もう、帰られます?」

「いえ、あと少し残っています。丁度連休ですし、泊まって片付けようかと」

「そうですか。どこか宿を取られてますか」

「いえ。あの家に泊まりますよ。寝袋も持参してますし。真冬でもないので凍える心配はありませんから」

寝具類は処分したのでゴロ寝になるが、野宿というわけでなし。電気ガス水道も片付けが終わるまではと契約を続けていたのであまり気にしていなかった。

青年は「ふむ」と考え込むように手を口元に添える。

「折角お持ちいただいたのですが、その子は帰られる時にお返しいただくほうがよろしいかと。僕が引き取りに伺っても構いません。それか、こちらに泊まられるか」

「いやいや結構ですよ。確かに祖父の託けでは『最後に』とありましたが、早ければ明日の夕方には終わりそうですし、誤差ですよ誤差。いつまでもお借りしておくのも座りが悪い。それに電気なんかもまだ止めてませんのでお気遣いなく」

たきは申し出を断り、ガラスケースと手土産を半ば押しつけるようにして受け渡した。挨拶もそこそこに飛び石を渡って坂を下りる。そのつもりがなくとも気が急いているのか、足早に屋敷から離れる。ほとんど逃げ帰っているようなものだった。

その背中を見送っていた青年は「折角これまで無事だったのに」と独りごちる。

ガラスケースの中の人形に「どうしましょうねえ」と話し掛ける。人形は当然身じろぎ一つしない。真珠の帯留めにつけられた飾り紐だけが幽かに揺れた。















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